イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: Palazzo Balbi(バルビ館)

カ・フォースカリ運河(Rio de Ca' Foscari)の大運河出口に建つバルビ館について、『大運河』(1993)は次のように書いています。
Elsa e Wanda Eleodori『大運河』(1993)バルビ館「1582~90年、アレッサンドロ・ヴィットーリアの設計で建てられた、盛期古典様式から初期バロック様式に至る間の堂々たる建造物。ファサードは中央に二対の柱を置いた美しい三連窓が、3、4階は扶壁柱で強調される、伝統的な三部構成を示している。

しかし浮出し飾りのある滑やかな石積みの高い1階窓は、波状の縁取りがあり、三つの玄関門の縁飾りとなっている壁龕のティムパヌムは(上の階の窓のように)、装飾的モチーフを受け入れることを止めている。大理石の二つの大きな紋章は、ピアーノ・ノービレの二つのモノーフォラ(Monofora――連になっていない一面窓)の間に置かれている。

現在はヴェーネト州の州庁の所在地である。

サン・パンタローン運河(Rio de S.Pantalon)[カ・フォースカリ(Ca' Foscari)運河にはこういう呼称もある?]の河口に建ち、艦隊司令長官であったことを示す一対のオベリスクが屋根の上に高く聳えている。貴族ニコロ・バルビのために建てられた。

年代記によれば、長い間この人物は大運河の屈曲部(volta di Canal)の見事な衝角部分に、自分の住処を建てたいという希望を持っていたが、計画実現の時を見出せないでいた。一家はその地の所有者の家から程遠くない所の建物に住んでいたが、その家の持主とは友好関係にはなかった。持主の男は彼への嫌がらせを目論んで、侮辱する機会を窺っていた。

ある日バルビが元老院への登庁途中、決められた月日に支払いを怠っていた彼に、賃料の支払いを直ぐするように失礼な態度で声を掛けてきた。怒り狂ったニコロは、直ぐにその場所に館の建設を命じた。それだけではなかった。敵の家の前に大きな船を係留させ家から大運河が見えないようにし、家族諸共そこに越してきて、賃借契約は破棄した。

こうして水の上で何ヶ月も生活しながら、建築が迅速に進むように監督した。しかし残念なことに、風邪に罹り、素晴らしい住宅に入居出来る前に亡くなった。1807年[12月2日]、ナポレオンは彼の名前を冠したレガッタをこの館から見守った。

左隣には、現在低い建物[Palazzetto Masieri]があるが、これはアメリカ人大建築家フランク・ロイド・ライトが1951年に、若き建築家アンジェロ・マジエーリのための住宅として設計した物であるが、アンジェロはその年航空事故でなくなった。その後、マジエーリを記念して建築学生のための学生寮として改築されることになったが、そのプロジェクトに論争が巻き起こり、そのため当局は決めかねて未だに実行に移されていない。」

マジエーリ館左隣の黄色の建物(写真左奥に見える橋の右)は、ヴェネツィア市の消防署です。水面に接した四つの入口の中に消防艇が係留されています。ここからフェニーチェ劇場までは僅かの時間です。フェニーチェ出火当時、大運河口のラルボロ運河(R.de l'Alboro)からフェニーチェ劇場周辺のレ・ヴェステ(le Veste)運河やラ・ヴェローナ(la Verona)運河等はヘドロ浚渫のために水が堰き止められていて、消防艇は現場に近付けませんでした。そのため消防の主力は、ヘリコプターによる海水の撒布でした。劇場修復時、塩分の除去は大変だったと言います。
1792年のフェニーチェ1837年のフェニーチェ劇場1977年のフェニーチェ劇場炎上するフェニーチェ劇場(1)[左、1792年ジュゼッペ・サルディが印刷発行したフェニーチェ劇場正面。中左、ジョヴァンニ・ブザートの幕の見える、1837年のジョヴァンニ・ピヴィドールのフェニーチェ劇場内部。中右、焼失前1977年の舞台風景。右、1996年水勢のないポンプの消火風景。]

バルビ館右隣はカオトルタ・アンガラーン(P.Caotorta Angaran)館です。『大運河』(1993)の記述は次のようです。
「17世紀末の建物で、1956年に建て直された。名もなきファサードは中央のセルリアーナ式の窓が特徴であり、横に長方形の単純な窓が開いている。執政官をしていた古い家系のカオトルタ家は、ヴェネツィアの初期からの史料で裏付けられる。一方、ヴィチェンツァのアンガラーン家は1655年、14万ドゥカートで貴族身分を買い取った。」
  1. 2010/10/23(土) 00:03:41|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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