イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ピザーニ・モレッタ館(P.Pisani Moretta)

ティエーポロ館の右隣は瀟洒なピザーニ・モレッタ館です。『ヴェネツィアとその入江』(1926)は次のように述べています。
ピザーニ・モレッタ館他『ヴェネツィアとその入江』「富贍(ふせん)で複雑に入り組んだ装飾を施した大きな窓を持つ15世紀半ばのゴシック式建築である。16世紀劈頭ファサードと内部には修復の手が入った。1742年内部の重要な装飾が完成した。大広間はムラーノ製の鏡とシャンデリアで著名であり、パーオロ・ヴェロネーゼが『アレクサンダー大王に跪くダレイオス(ダリウス)王一家(La famiglia di Dario ai piedi di Alessandro)』(1857年からロンドンのナショナル・ギャラリーにある)を描いた。

ジャン・バッティスタ・ティエーポロは天井にフレスコ画を描き、ピアッツェッタは大キャンバス画『ダレイオス王の死(La morte di Dario)』を描き、現在でもそこに存在する。他の部屋はヤーコポ・グァラーナによりフレスコ画が描かれた。ここにはアントーニオ・カノーヴァの若き日の傑作『ダイダロスとイーカロス(Dedalo e Icaro)』の群像があったが、現在はコッレール美術館に収蔵されている。」

また『ヴェネツィアの邸館』(1998)の記述は次のようです。
ヴェネツィアの邸館  ピザーニ・モレッタ館ティエーポロ・パッシ館、ティエーポロ館、ピザーニ・モレッタ館[中と右、ピザーニ・モレッタ館] 「ピザーニ・モレッタ館のゴシック式のファサードは、総督宮殿のそれを想起させるが、大運河の中でも最も美しい四葉装飾の多連窓を持つ邸館の一つである。二つの大玄関は、この建物にピザーニの家系に属する二つの別の家族が住んでいたことを現している。この家系は1307~28年、大評議会のメンバーだったニコロ・ピザーニまで遡る。

彼の息子ベルトゥッチ(アルベルト)からは、銀行業や商業活動のために呼称されるようになったピザーニ・ダル・バンコ(Pisani dal Banco)家が興り、もう一人の息子アルモロ(エルモラーオ)からはサント・ステーファノ広場の建物[現在、ベネデット・マルチェッロ音楽院となっています]やサンタ・マリーア・ゾベニーゴ広場の建物[現在ピザーニ・グリッティ館はホテル・グリッティ・パレスとなっています]、モレッタの家系が始まった。

ピザーニ家はその始祖がピーザのバッシ伯爵家まで遡るが、ヴェネツィアでも最も富裕な家族の一つであった。市内の建物以外にも、バニョーロとモンタニャーナにはアンドレーア・パッラーディオに、またロニーゴにはヴィンチェンツォ・スカモッツィにヴィッラを建てさせていた。

ピザーニ・モレッタ家の最後の跡継ぎが亡くなると、全財産はピザーニ・ダル・バンコに嫁いでいた娘キアーラに移った。彼女はサン・ポーロ区のこの住宅に一貫した修復を施した。それは栄えある大階段を設置したり、当時の最も秀でた芸術家ジョヴァン・バッティスタ・ピアッツェッタとジャンバッティスタ・ティエーポロに装飾を委ねたのだった。

ピアッツェッタは『ダレイオス王の死』[現在これは、レッツォーニコ館(18世紀美術館)に収められている]を、ティエーポロは『美神アフロディーテー(ヴィーナス)と軍神アレース(マールス)の邂逅(L'incontro tra Venere e Marte)』を描いた。
ジャンバッティスタ・ティエーポロの天井画(1742)[ティエーポロの天井画『ヴィーナスとマールスの邂逅』(1742)] キアーラの息子の一人ヴェットールは1700年代後半、色々な噂が絶えなかった人物である。1753年彼はヴェネツィアの小市民階級に属する若い娘と関係を持った。彼女はテレーザ・ヴェードヴァ又はダッラ・ヴェードヴァという名前で、有名な鏡の刻版師の娘だった。その不倫関係が露わになり、彼女は父親にムラーノ島のサン・ジャーコモ修道院の女子寄宿舎に押し込められた。

しかし2人は、修道院の女院長のお陰で会い続けることが出来、1758年秘密裏に結婚することが出来た。しかし事が露見し、テレーザは修道院の国家査問委員会に送られ、その直後そこで男子ピエートロを産み落とした。ヴェットールは子供を認知したくなく、テレーザに便宜的に亭主をあてがおうとしたが、彼女は拒否した。

教会上の結婚の取消を得ることが出来、ヴェットール・ピザーニはグリマーニ家の娘と再婚した。1775年彼の死後、テレーザとの間に生まれたその息子は、遺産の要求を公の場に持ち込んだ。全ヴェネツィアが世紀の裁判に固唾を飲んだ。ピエートロは貴族や市民の温かい眼差しに囲まれ、裁判所が彼に正当性を与えた時、月桂樹に飾られたゴンドラの勝利の船列が彼の家まで付き従った。

彼はバニョーロ伯爵となり、ヴェネツィア貴族の仲間入りをした。現在、邸館はピエートロ・ピザーニの相続者の手に属している。」

この館は、ヴェネツィアで結婚式を挙げたい日本の若い人達を含めて、その豪華な背景からここを結婚式場として提供してもいるそうです。館を保持していくための一つの方針なのでしょう。molto interessante !
  1. 2010/12/04(土) 00:00:50|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
  3. | コメント:0
<<文学に表れたヴェネツィア――ジョルジュ・サンド | ホーム | 文学に表れたヴェネツィア――ソフィ・カル>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア