イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ジョルジュ・サンド

2009.12.12日と12.19日に文学に表れたヴェネツィア――サンドとミュッセとしてジョルジュ・サンドとミュッセのことを書きました。サンドの最高傑作の一つと言われている『歌姫コンシュエロ――愛と冒険の旅』(上・下巻、持田明子・大野一道監訳)は、音楽ファンにとって1700年代のヴェネツィアやボヘミヤ、ヴィーン等の音楽事情・雰囲気を知るのに格好の小説です。
ジョルジョ・サンド『歌姫コンシェルジュ』2010.08.21日のジュスティニアーン館他でも触れましたように、女主人公のコンシュエロはヴェネツィアに生まれ、ヴェネツィアで歌手として成長し、世界に羽搏いていきます。その彼女が世界に飛び出していく切っ掛けとなった登竜門が、ジュスティニアーン館での歌唱であったという設定です。
「……街の大時計が真夜中を過ぎた二時の鐘の音を響かせ合っていたとき、アンゾレートがふいに足を踏み入れたのはサン・ファンティーノ教会に近いコルテ・ミネッリだった。日没後、その名も顔も思い出すことのなかった人物の住まいのほうへ、奥深く秘められた本能に導かれて、彼の足は向かった。この小広場へ足を踏み入れるや、優しい声が彼の名を最後の音節でそっと呼ぶのが聞こえた。

顔を上げると、周りの建物のひどくみすぼらしい露台の一つにほっそりした影が浮かび出るのが見えた。すぐにそのあばら屋の戸が開いた。そして、インド更紗(さらさ)のスカートをはき、昔、母親のアクセサリーだった黒い絹の古いヴェールで胴衣を覆ったコンシュエロが現れ、黙っているように指を一本、唇に当てながら、もう一方の手を彼に差し出した。……」
「……
《勇気を出して、娘よ》と先生が小声で言った、《おまえはこれから偉大な師の音楽を歌う。そしてこの師はおまえの歌を聴こうとここにおられる》
《どなたですか、マルチェッロですか?》とコンシュエロは先生が譜面台の上にマルチェッロの詩篇曲を広げるのを見て言った。
《そうだよ、マルチェッロだ》と先生が答えた。《いつものように歌うことだよ、それ以上でもそれ以下でもない。それでいい》

実際、この時、生涯最後の年を迎えていたマルチェッロは、作曲家として、作家として、また、行政官としてその誉れであった祖国ヴェネツィアを最後にもう一度見ようとやって来ていた。生徒たちの歌を聴いてくれるように懇願したポルポラにたいし、彼は慇懃にその求めに応じた。

ポルポラは初めにマルチェッロの壮麗な詩篇曲『広大な天は語る』を、完璧なまでに精通しているコンシュエロに歌わせるという贈り物を用意していた。まさにこの瞬間、気高い娘の心が感じている宗教的高揚にこれほどふさわしい曲はなかった。

このおおらかで、率直な歌の最初の言葉が目の前で輝くやいなや、コンシュエロは不思議な世界に運ばれるのを感じた。ジュスティニアーニ伯爵も、ライバルたちの敵意のこもった眼差しも、アンゾレートさえも忘れて、彼女は神様とマルチェッロのことだけ考えた。
……」
12 オペラ歌手としてジュスティニアーニ宮殿で歌う
音楽の議論は、ココアとシャーベットを食するために真夜中近くに戻って来たジュスティニアーニ宮殿の客間まで続けられた。話は芸術の技法から、様式、思想、古代ならびに現代の形式、さらには表現に及び、そこから、芸術家や、彼らの感じ方、表現の仕方に移った。ポルポラは宗教作品に感動的な性格を最初に刻印した師スカルラッティについて賞賛の念で語った。だが、彼はそこで止まった。宗教音楽が装飾音や走句やルラードを用いることで、世俗音楽の領域を侵すことを望まなかったのだ。

《そういうわけで閣下は、高名な弟子ファリネッリに成功と名声をもたらした、走句や難しい装飾音に反対なさるのですか?》
《私が反対するのは教会にたいしてだけでしてな》とマエストロは答えた、《私は劇場は認めている。だが、それが適所で使われることを求めていますのじゃ。私はとりわけその濫用を禁じている。それらが純粋な趣味をもち、簡潔で、独創的で、優雅なこと、そして、転調にあっては、扱っている主題のみならず、登場人物、表現する情熱、人物の置かれた立場にふさわしいことを求めている。

ニンフや羊飼いの娘たちが鳥のように鳴き、泉のささやきのように調子をつけて歌うことができる。だが、メーディアやディドーネは傷ついた雌ライオンのようにすすり泣くか、ほえることしかできない。あだっぽい女はその浮かれたカヴァティーナを気まぐれで、凝った装飾音でいっぱいにすることができる。コリッラはこのジャンルで秀でている。

だが、深い感動や崇高な情熱を表現しようとすれば、その役を演じるだけの力がないのじゃ。そして、彼女が興奮しても、彼女が声や胸を膨らませてもむだでしてな。場違いな走句や、ばかげたルラードが一瞬のうちに、彼女が達すると思っている、この崇高さを滑稽なパロディーに変えてしまうのじゃ。

あなた方はみな、ファウスティーナ・ボルドーニ、今日のハッセ夫人を聴かれた。その輝かしい長所にふさわしいいくつかの役では彼女は比類がない。だがクッツォーニがその純粋にして深い感情で、苦しみや、祈りや、あるいは優しさを語らせると、彼女が流させる涙は、ファウスティーナがあなた方の感覚に惜しげもなく与えた驚嘆の思い出をあなた方の心から一瞬にして消し去ってしまうだろう。……」
  ――『歌手コンシュエロ――愛と冒険の旅』(上・下巻、持田明子・大野一道監訳、藤原書店、2008年5月30日・6月30日発行)

第一部の《ヴェネツィア》篇だけでも、ニコーラ・ポルポラ(先生役)、ベネデット・マルチェッロ、アレッサンドロ・スカルラッティ、ファリネッリ、ファウスティーナ・ボルドーニ、ヨーハン・アードルフ・ハッセ、フランチェスカ・クッツォーニ等々と当時の音楽家の名前が数多く登場します。
ロザルバ・カッリエーラ画『ファウスティーナ・ボルドーニ・ハッセの肖像』レッツォーニコ館にあるロザルバ・カッリエーラの『ファウスティーナ・ボルドーニ・ハッセの肖像』
[ニコーラ・ポルポラはサンタ・マリーア・デイ・デレリッティ教会のオスペダレット養育院で、実際に1744~46年音楽教師を勤めました。ボルドーニとクッツォーニの、ロンドンでの確執については、2007.12.25日のヴェネツィア18世紀博物館で触れました。]

話に出てくるサン・サムエーレ劇場は、貴族のグリマーニが建てた物ですが、小説では大運河に壮麗な邸館を持つジュスティニアーニ伯爵の経営という設定です。ジュスティニアーニ伯は2010.11.13日に書きましたサン・モイゼ劇場を建てました。
ジョルジュ・サンドの家サンドが1834年夏、『ある旅人の手紙(Les lettres d'un voyageur)』というヴェネツィア通信を本国に書き送った住み処跡。彼女はサン・ファンティーン教区のコルテ・ミネッリ(Corte Minelli)の自分が生活したこの場所を、この小説『歌姫コンシュエロ』の中で上記のように利用しています。碑文訳「ここにジョルジュ・サンドが住んだ。1834年夏『ある旅人の手紙』の中にヴェネツィア的魂を喚起させた。」
  1. 2010/12/11(土) 00:01:51|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
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コメント

こんばんは! 少し大時代がかったサンドの作品は(これは訳し方にも関係する
のかもしれませんし、また逆にこうでなければいけないのかもしれませんが)
ちょっと苦手ですが、ニコーラ・ポルポラの名前が思いがけずに出て、
なぜか懐かしく思えました。
確か、ヴィヴァルディの音楽が少し飽きられ始めた時に彼が登場して、その新しい
音楽に皆移って行った、という事を読んだ事がありますが。
それに、映画「カストラート」の中にも登場していましたね。

下のピザーニ家のいわばお家騒動、大変興味深く拝見しました。 
成程、こういう事件も起こりえたのですね。 彼のその後の消息はありますか?
  1. 2010/12/13(月) 23:15:33 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
映画『カストラート』は、ファリネッリの生涯を描いた映画でした。小説での先生役の
ポルポラは実際にもファリネッリの先生だったそうですし、ヘンデル大好き人間の私は
映画を嬉々として大いに楽しみました。それにしても、サンドは状況を大変うまく
利用していると思いました。
ピザーニ家に関しては、他の文献も渉猟してみます。
  1. 2010/12/14(火) 16:34:43 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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