イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア年中行事(6)

第34回ヴォガロンガ(Vogalonga――櫂漕マラソン)は、5月11日(日)に行われました。頂いたパンフレットから引用してみます。

「ヴェネツィアの漕ぎ手にとってだけでなく、ヴォガロンガはこの季節に欠かすことの出来ないイヴェントである。前年の秋には乗組員を決める等、議論が始まる。クラブ《フォレステ協会》は何ヶ月も前から、舟の収容場所確保、ホテルは前年から情報を流し、予約活動に余念がない。

僅かな時間だけの行事であるが、このために多方面に渡る組織が、34回を数えるこの祝祭行事に、世界中の何千という漕ぎ手に参加してもらおうと活動している。

毎回同じ中身で行われたのではない。第1回からすれば非常な変貌を遂げた。特にヴェネツィア人の態度と関心の度合いが大いに変わった。

当局は最初大袈裟に宣言し、何年かの間、決定的に後退する措置を公表しながらも、細々ながら多くの矛盾を抱えて続けてきた。そして潟の猛烈な波を何とか鎮めるための努力も大した結果も見せず(波動との闘いに敗れたということ)、その時以来、観光客が押し寄せるようになったということで収益も必然的に上がった。

櫂漕は多くの面で、危険で困難なものとなり、開催不能となりつつあるように見えた。今や何世紀にも渡って画家や芸術家達によって不滅のものとなったラグーナ(潟)の状況については、静かな水面は本当に少なくなった。多くの水域で、外海で舟を漕ぐよりも困難で、大変な状況になっている。

しかしラグーナに舟で漕いで出かけるということは、運命への挑戦、無礼な行為に対する闘い、環境や記念すべき事、町の海での何世紀にも渡る伝統的な生活法を実現する市民の権利、それらを無視するということはあり得ない。

この時よりヴェネツィア人の無関心、諦め、放棄、怒りといったものが、時の流れの中で変化し、その数を大幅に減らしてきた。そして更に執拗にこの櫂漕マラソンにのめり込んできている。参加者の舟が変化してきた。ますますボート漕ぎ(canottaggio)、カヌー(canoa)が増えてきている。そしてこの分野では技術的な革新が見られるのである。

古いギグが、大部分がガラス繊維で出来た新しい船体としての一歩を残した。それは大抵の場合2人漕ぎで、強力な広がりを見せている。カヌーもまた技術的な革新を伴って、追従している。新しいラインの船体である。ドラゴン・ボートやポリネシアのカヌーも現れた。数年前は単に興味津々だった物が、現在一段と増加し、色取り取りになってきている。

この競技の風景は変わりつつある。益々船体の低い舟が増え、広い船体で旗を掲げた船上に立って漕ぐ人が益々減って舟が均一化しつつあると言えるかもしれない。

この曲がり角通過の後、ヴェネツィア人が自分達の手で、自分達のために、自分達のラグーナのために、自分達の町のために始めたこの行事への参加者数は、徐々にヴェネツィア人に取って代わりつつある《フォレステ協会》と共に増加し始めた。

2008年も白髪の人達の参加がきっと更に増えるだろう。残念なことは若い青年男女の支えがないかもしれないことである。幸いな事に、ヴェネツィア方式の櫂漕、ヴェネツィアという町のこの表現がイタリアや世界各地に愛好者を見出しており、少なくとも彼らは、この素晴らしい力強いスポーツ(環境の将来を、コースを、水に映える色の摩訶不思議を見つめ続け)を伝え続けるだろう。」 ――『2008年度行事予定』から

Wikipedia に Vogalonga の歴史が書かれていますので訳出してみます。
「ヴェネツィアの櫂漕愛好家達によって行われた1974年11月11日のレガッタの際、伝統を見直し、潟の波による破壊や波動に対抗するキャンペーンを張るために、ヴェーネトの全ての櫂漕愛好家のためのレガッタを立ち上げたいという案が登場した。
ヴォガロンガ[サイトから写真借用]  そしてその発起人が生まれた。中でも当時の『ガッゼッティーノ』紙の主幹ラーウロ・ベルガモ、更にトーニ・ローザ・サルヴァとジュゼッペ・ローザ・サルヴァ(2人は《ヴェネツィアを守れ》の第一人者だった)。

1975年1月26日、この意図がヴォガロンガ設立の公式の通達となり、委員会に支持され、市民の前に表明された。コースは約30kmで、サン・マルコ湾や大運河などヴェネツィアの中心を通ること、ブラーノ島やムラーノ島、その近くを通ること、カンナレージョ運河からヴェネツィアに入り、大運河を通ってサルーテ岬をゴールとすることが検討された。

最初のヴォガロンガは1975年5月8日のセンサの日に挙行された。大砲の祝砲で総督宮殿前に集合した全ての舟は出発した。

第1回大会から既に500艘の舟に約1500人の漕ぎ手が参加した。ヴェネツィアやヴェーネトの色々な町、また他の地方からの乗組員も参加していた。

大会は成功し、ヴォガロンガは次第に世間に認められ、参加者は増大していき、2008年には1600艘の舟に6000人以上の登録者を数え、櫂漕者は今や全世界から、それも櫂漕用のあらゆるタイプの舟を見るに至った。

失格した漕ぎ手を除き、ゴールした全参加者に記念メダルと参加証明書が渡される。しかし時に協会から、ボーナスの賞が抽選で与えられることがある。」
  1. 2011/02/05(土) 00:03:54|
  2. ヴェネツィアの行事
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは! ヴォーガロンガが行われる時は既に初夏のイメージで、爽やかな風が
TVのニュースからも伝わってきますが、とにかく大変大きな行事となりましたね。
何千艘もの手漕ぎの舟が、何人もの漕ぎ手の船から一人漕ぎのカヌーに至るまで
同じコースをハイキングする、というのが世界中のファンを引き寄せるようですが、
あの素晴らしい舟の数をサン・マルコ運河に見るのは、往時の賑わいも偲ばれる
晴れやかさで、ニュースを見ると、ああ、今年も!と思います。
レガータ・ストーリカもそうですけど、やはり海の都だと、私まで自慢したくなる
晴れやかな行事です。
  1. 2011/02/11(金) 15:01:44 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
残念ながら私はまだこのイヴェントを見ていません。この大会に立ち会った妻の
言うことをただ聞くのみです。船はカンナレージョ運河から大運河に入ってくる
ので町を歩いて移動しながら、あちこちで色々の船を見ることが出来るそうです。
リアルトの大運河に面した Erbaria 広場で見ている時、一人漕ぎのカヌーに
手招きされて行くと何か言われたそうですが分からず、と隣の男性が水のボトルを
手にして帰ってきて渡したそうです。意味が分かればと残念がっていました。
  1. 2011/02/12(土) 12:48:40 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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