イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア年中行事(8)

レデントーレ(Redentore)の祭7月第3日曜日に行われます。以下、パンフレットから。

「《レデントーレ》の事を話すということは、ヴェネツィアで《最も有名な夜》に立ち会うということが、ヴェネツィア人にとってどんな意味を持つのか、等と考えなくても、それは繰り返し言い古されてきた事を、またぞろ繰り返すことである。

今や徹夜をするということは、大変な流行である。《レデントーレの夜》は、徹夜(notte bianca)の別称となり、そしてその起源は何世紀も遡るが、それは全市民を一晩中その宗教的な祝祭行事に巻き込むという、全市民的祭を考案したことが、全く革新的な時代であった。

(その日)ヴェネツィア人は早朝から行事の準備をしたものである。家族や両親、友人に素敵な夕べを約束するために、舟を用意し、食べ物、飲み物、音楽を準備しなければならなかった。そして朝早く花火の発射場所(現在の場所とは異なる)に急いだ。

船は葉の生い茂った枝で飾られ、紙の提灯(中に蠟燭)で明かりを点し、飲み物や西瓜を冷やすためにバケツや桶には氷を一杯にした。歌や合唱で楽しく時間を過ごすために楽器演奏の出来る親類や友人を物色した。

そして最後に、最初のドーンという音が鳴り響く。花火大会の始まりである。サン・マルコ湾の水に映え、この素晴らしいショーを見て楽しもうと群がったゴンドラや色々のタイプの船の姿を水面に映し出す。皆息を凝らし、天を仰いで楽しそうに歓声を上げ、陽気に花火についてのコメントを口にする。

花火が終わり、ガヤガヤした人声が戻り、ゆっくりと櫂で漕いでリード島に向かう船から人々の呼び声や「ぶつかる! 危ないぞ!」の大声や悪態などが始まる。人々はリードの浜で日の出を待つのである。

翌朝遅い時間には、大運河や内部の運河で寝ぼけ眼の人や眠りこけた人を乗せて、疲れてゆっくりと係留場に向かう船と船が出会う。

現在の祭との比較は簡単である。うるさいモーター船が主流であり、色々害を振りまいている。装飾され、イルミネーションを施した伝統的な船には招待状が出されているが、ますます数が減ってきている。

そしてヴェネツィア人がそれを使わなくなっただけでなく、実際に batele、peate、burci、topi 等の舟が存在しなくなったからである。現在、移動には普通プラスティックの船が使われている。……」
レデントーレ祭の花火1576年9月4日、ヴェネツィア元老院はペストが終焉するよう、総督が Redentore(救世主)に捧げる教会建設の誓願を発するように決議しました。1575~77年ペストが猖獗を極め、市の人口の3分の1以上の5万人が死亡していました。

その結果、建築家と建設地が選ばれ、アンドレーア・パッラーディオが1577年7月から建築を始め、彼の1580年の死後はリアルト橋を建設したアントーニオ・ダ・ポンテが工事を引き継ぎ、1592年に教会は完成しました。

1577年7月13日、ペストは完全に撲滅されたと宣言し、7月の第3日曜日に宗教的お祝いと全市民的祭として、ペストからの解放を祝うことが決定されました。

そのため市は、この教会に感謝と敬意を表明するためにジュデッカ運河に、ザッテレ海岸通りとレデントーレ教会前広場とを結ぶ平底船を並べたその上に330メートルにも及ぶ長い浮橋(ponte votivo―奉納橋)を設けて架橋し、歩いてお詣り出来るようにしました。
『レデントーレの夜』ジュデッカ島側から見た、peate船上の浮橋(昔の写真から)現代のレデントーレ教会への船の浮橋[左はガブリエール・ベッラ画『レデントーレの夜』、中央はジュデッカ運河に架けられた、レデントーレ教会への peate 船上の浮橋(ジュデッカ島側から見た、昔の写真。サルーテ教会のクーポラやサン・マルコの鐘楼も見える)。右はレデントーレ教会に向かう現在の浮橋。]

このためヴァポレット等は通行止めとなります。この祝祭はヴェネツィア人にとって格別のもので、5世紀を経た今日でも非常に活発なものとなっているのです。

お祭り前日の土曜日には浮橋の渡橋が許され、レデントーレ教会にお詣りする人や深夜前に始まる花火見物の席取りなどのために、人々がどんどん渡って行きます。サン・マルコ湾やジュデッカ運河には色々に飾られた船が、花火見物に最上の席を求めて集まってきます。船上でもジュデッカ島の海岸通りでも用意したワインと伝統料理で夕食を摂り、23.30分から深夜過ぎまで続く花火に備えます。

私が寄せて頂いたテーブルは(最初の体験)、ズィテッレ教会前の海岸通りにサンタ・クローチェ区の Ponte Canal 傍のバールの人々が設定したテーブルでした(自分の船でテーブルや飲み物、食べ物を運び、日本の桜見物のようにセットしたのだそうです)。隣に座っていたパードヴァから来た人々は、花火の後リード島に行き、日の出を見て家に帰ると言っていました。

花火は23.30分から深夜過ぎまで、大空に華麗な光の傘を何層も花咲かせ続け、溜息の連続でした。

一方、またこの8月には、ヴェネツィア・テニス・クラブ(Tennis Club Venezia)の大会があるそうです。
  1. 2011/03/05(土) 00:01:07|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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