イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

カーニヴァル(3)

2月はカーニヴァル・シーズンです。ヴェネツィアのジャンニが今年も東京にやって来ました。彼は私の伊語の先生がヴェネツィア大学に留学した時、師のアパート等の面倒を見て呉れた人でした。元々東洋に興味があったそうで、毎年のように日本(中国も)にやって来ます。そんな訳で師に会いに来たジャンニと知り合いました。彼のヴェネツィアの店はサン・マルコ広場からサン・モイゼ教会に向かう繁華街サン・モイゼ通り(Salizada S.Moise`)の右側にある土産物屋さんです。日本語も少し話します。一軒しかないから直ぐ分かります。

カーニヴァルには彼の店は開店しますので、彼のヴァカンスは常にカーニヴァルが始まる直前の期間です。NHK・TVで今年が第3回《日本におけるイタリア》年である故なのか、先日2002年放映の番組《世界の謝肉祭: ヴェネツィア編》が電波に乗りました。懐かしいコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキの人達の顔が映っていました。ある年の2月、3回目のカーニヴァル体験をしました。
Il Volo del Turco(o dell'Angelo)サン・マルコ広場の仮面サン・マルコ広場の舞踏 語学学校に通学していた時、サンタ・マルゲリータ広場の、語学学校の真向かいにあった本屋さんは、ヴェネツィア関連の本や美術本を割引で販売しており、よく訪れたので、店主のドナートさんと口を利くようになっていました。

2月初め、カーニヴァルの始まる前のある日サン・ポーロ広場に通りかかった時、テント小屋を造っていました。何を作っているのかと近づくと、ドナートさんの顔があり、中も見て行きなさいと案内してくれました(帰国して録画していたNHK・TV番組『あのカザノヴァが甦る―ベネチア仮面の謝肉祭』を見ると、カザノーヴァ劇を企画するグループの人達の顔の中に彼の顔もありました。語学学校左前方にある仮面師のグェッリーノ・ロヴァート(Guerrino Giano Lovato)さんもこのグループの人です。グェッリーノさんの店の真向かいにはこのグループの作業場がありました。焼失したフェニーチェ劇場復元に当たっては美術関係で大変尽力されたそうです)。カーニヴァル中に上演する楽しいヴァラエティ・ショーだというので、即、席を予約しました。

それはコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキの人達の企画した『昔の展示室《バウータ》』と題されたカザノーヴァの罪を問うといった内容のお芝居でした。かつて存在した同名のグループ名を現在に名乗るこの人達が、1979年に町興しで始めたのが、この仮面のカーニヴァルだったと聞いたことがあります(カーニヴァルの様相がそれ以前とまるで異なってしまったようです)。リーダーのルーカ・コルフェラーイ(Luca Colferai)さんは、TVの中でCompagnia de Calza "I Antichi"の Calza をカルザと発音されていました。

最前席がいい、と妻が言うので選んだ席はその日の唯一残った席で、当日そこに着席してみると、役者達や舞台道具等の通過する口の脇で、また傍近く居た男性は白髪の人品骨柄卑しからざる品格の人で通りかかる人達全てが「Buona sera, professore」等と挨拶していく、ひどく目立つ席でした。中央が丸く開けられた円形劇場です。

劇が始まると、危惧したように最初の狂言回しのおかまを装った進行役の役者が一番目立つ席の私の膝に腰を下ろし、笑いを取っていました。私にはヴェネツィア語など何も分かりません。多分一番笑いを取りやすい東洋人など、近くにいなかったのでしょう。

罪を問われた白い義眼のカザノーヴァが何故か女装して表れ、私の前に椅子を置き、collana (首飾り)をはずしてくれと要求します。強い脂粉の香りが指先の動きを狂わせ、女性の首飾りの鎖の装着のメカニズムが中々分かりません。時間が掛かるものですから、ブタカン(舞台監督)の人が傍に張り付いたのが分かった時、全てが判明してさっと取りはずせました。Ecco fatto !

お芝居が終わった時はホットしました。終了するとカザノーヴァ氏が舞台でシャンソンを歌い始め、このカザノーヴァの若き時代の役の影武者(全身真っ黒の黒子)だった黒いネットを被った青年が、まず妻の前に跪いて踊りを所望して連れ出し、それにつられて観客達も踊りの輪に入っていきました。私もこのグループの女性に踊りに連れ出され、メヌエット(minuetto)を踊らされましたが、ステップを知らないので1曲で解放して頂きました。もの皆、踊りで終わるのです。

席に戻ると、例の傍に座っていた品のいい《教授》に、礼を言われる筋合いはないのにと思ったのですが、にこやかに今夜は有り難うと礼を言われました。この人はこのコンパニーア・デ・カルザ・イ・アンティーキの相談役か何か偉い人だろうと思ったことでした。

テント小屋の片隅にバールが設けてあり、妻が帰ってくるまでスプリッツ・コン・ビッテルを飲んでいました。暫くたって妻が戻って来て、カザノーヴァ青年の後、傍に居たあの先生とも踊り、「お礼を言われたわ」と言います。やっぱりあの人はこのグループのお偉いさんだったのです。

NHKのTVに登場した白目のカザノーヴァ役の役者さんやこのグループの人達、また私とメヌエットを踊ってくれたこのグループの若い女性らの顔を画面で見る度に、目の裏が熱くなってきます。
ガブリエール・ベッラ画『ピアッツェッタでのカーニヴァルの最終木曜日の祭』かつてのカーニヴァルでは、このガブリエール・ベッラ画『ピアッツェッタでのカーニヴァル最終木曜日の祭』に描かれたように、人間ピラミッド等がメイン行事だったようです。
  1. 2011/02/12(土) 00:00:24|
  2. ヴェネツィアの行事
  3. | コメント:2
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コメント

こんばんは! 素敵なお話を有難うございます! 「首飾り事件」は以前も
ちょっと書いておられましたが、今回詳しく知る事が出来、白い義眼の女装の
カザノーヴァなどと読むと、もうそれだけであの時代に浸れそうな感じで、
こういう舞台はさぞ面白かろう、と思いました。
そしてそういうお知り合いになった方の顔を、何年か後に日本のTV番組に
見出す、というのは、さぞやなんとも言えない気持ちでしょう。

と、はい、あのカスタルディは私も少し読んだだけなので、楽しみにしています。
  1. 2011/02/12(土) 19:02:08 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
数日前見た、NHK・TVの番組で昔の事を想い出してしまい、今月はカーニヴァル
シーズンだと思い、またぞろ書きながら思い出を楽しんでしまいました。
本作りに関わった者として、印刷、それもヴェネツィアに関係した人の事は、
かつてアルド・マヌッツィオの事を書いたのですから、無視して通れません。
しかし日本にどれほど資料があるのやら。
  1. 2011/02/14(月) 10:29:25 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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