イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィア年中行事(9)

9月第1日曜日《歴史的レガッタ(Regata Storica)》 です。
「2007年ゴンドラのチャンピオンを決めるレガッタは最後の最後まで、さざ波一つ立たない順調な進行だった。特別ゲストとしてヴェネツィア映画祭でヴェネツィア入りをしていた映画監督Spike Lee が、ゴール地点の舞台[Machina マーキナ、ヴェネツィア語]に表れ、この素晴らしいイヴェントを楽しんだ。

市長のマッシモ・カッチャーリが、レガッタ前に漕ぎ手を招いて次の事を強調した、即ち剥き出しの闘争心にも、漕ぎ手達のいつもの喧嘩にも、レース審判に対する侮辱行為にも、私は与しないのだ、各種のレースでは平和裡に無礼な事もなく進められてきたのだから、と。……」
ガブリエール・ベッラ画『大運河での女子のレガッタ』[ガブリエール・ベッラ画『大運河での女子のレガッタ』]  女性チームはルイゼッラ・スキアヴォーンとジョルジャ・ラガッツィの栗色のマスカレータが優勝。giovanissimi(18歳以下)は予想通りサムエーレ・ブゼットとアレッサンドロ・ポンペーオ組のプパリーンが第一位。カオルリーナでは、ブラーノ島のチームがトップを獲得。最終戦のチャンピオン・シップを賭したゴンドリーノのレースでは、今回も Ivo D'este と Giampaolo Tezzat 組がトップでゴール、Rudi と Igor の Vignotto 従兄弟組は第2位。
女子マスカレーテ競技男子カオルリーネ競技男子二人漕ぎ最終戦「……素晴らしいゲームで、レガータ・ストーリカは平穏に有終の美を飾るだろう。だがしかしゴール直後に起こった事は全く予想を裏切るものであった。

Igor は市長や委員会の面々に罵声を浴びせながら、舞台の表彰台に飛び乗って、そこから怒りを爆発させた。事は、Vignotto 組と D'este=Tezzat 組との燃えたぎったライヴァル意識の成せるものであり、Vignotto 組を怒らす原因となった D'este にも問題があったとして、判定は宙ぶらりんとなった。誰が正しく、誰が間違いか、問題の核心に迫ることなく、両チームの2008年の出場は停止された。

現在でも、召集された技術委員会は試練にさらされている。しかしながらゴンドラの感動をもたらす挑戦は忘れることの出来ないものである。どんな決定がなされ、次回(2008年)のレガータ・ストーリカには誰が登場するか、見守るとしよう。」
 ――『2008年度行事予定』より

レガッタに先立って、水上時代行列が行われます。市のPCサイトではこれについて次のように言っています。
「時代行列は、キプロス(Cipro)島女王だったカテリーナ・コルナーロがヴェネツィアのために退位して、1489年ヴェネツィアに帰還した時のその大歓迎水上パレードを記念したものである。
「レガータ・ストーリカ」ガイド行列は10以上のヴェネツィア独自の櫂漕の船で、当時総督がカテリーナに同席して乗ったのと同じように、当時の衣装に身を固めた漕ぎ手達が、この時のみに使われる Bissona 船に乗り込み、進む。

船列はサン・マルコ湾岸から出発し、大運河全域、憲法橋(Caratrava)まで行って引き返し、フォースカリ宮前の Volta di Canal(大運河屈曲部)前に設置された浮き舞台(Machina)まで戻るが、沿岸の旅行者や大運河沿いの館からヤンヤの声が掛かる。」
カナレットが描いた volta di Canal の舞台(machina)[カナレット画 volta di Canal の舞台(machina)]  私のレガータ・ストーリカ体験は、ミラーノの製本学校で教師をしているベッタ(Elisabetta)とヴェネツィアのサン・ラッザロ・デリ・アルメーニ島図書館の書籍修復を仕事としている仏人のベア(Be'atrice)らと、最初にサルーテ教会前広場で水上時代行列を見ました。その後レースになるというので、大運河奥に移動しました。どこも混んでいて競技を見るという談にはなりませんでしたが、サンタンジェロ停留所前広場に空きがあり、そこに腰を下ろしました。

隣に座った attaccabottoni のベッタはのべつ幕なし喋り続け、私は彼女のお喋りに耳を傾け続ける事態となり、レース観戦というよりも、伊語のヒアリング練習となりました。

レガッタが終了すると、その事を告げる警察のモトスカーフォがサイレンを鳴らして大運河を疾走し、すぐさま大運河は動き出した種々の船で大混雑です。我々はその足で、リアルトのバーカロ、マルコとジョルジョの店、アンティーカ・オステリーア・ルーガ・リアルトに赴き、夕食までの時間をスプリッツやオンブラ、それにチケーティを摘んで過ごしました。

[この店は、初めてヴェネツィアを訪れた時に入った、《レティーツィア》という名のレストランでした。数年後、現在の名前のバーカロに変わり、その後現在までヴェネツィアに行く度に寄っています。食事には印刷メニューはありませんが、スパゲッティの《ネーロ》(烏賊墨スパゲッティ)等抜群です。前日日曜日はリアルトの魚市場が休業ですので、月曜日はネーロはありません。]

[追記=先日の東北沖の地震の NHK-TV のドキュメントを、東京での大揺れ直後から、朝から深夜まで見続けています。ヴェネツィアのブログを書き続けることが空しくなっています。何をあの被災した人達のためにすることが出来るのでしょうか。原稿はその先まで既に予約で書きましたが、以後はどうなりますか。長い間、いつもご高覧有り難うございました。
この度の地震で被災された方達へ心からお見舞いを申し上げます。更にヴェネツィアやミラーノ、フィレンツェの友人から、あなたの傍に私は常に居るからと全日本人に対する励ましをイタリア人から受けています。]
  1. 2011/03/12(土) 00:01:53|
  2. ヴェネツィアの行事
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィア年中行事(10) | ホーム | ヴェネツィア年中行事(8)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア