イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

Il filo d'Arianna(A)(アリアドネーの糸)

初めてヴェネツィアに行きたいと思った時、ルキーノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』でのように船でヴェネツィア入りしたいと思い、資料を渉猟しました。マルコ・ポーロ空港(Aeroporto Marco Polo=テッセラTessera)空港からサン・マルコ小広場(Piazzetta S.Marco)の桟橋(S.Marco Molo)までアリラグーナ(Alilaguna)の船便があることを知りました。
『サン・マルコ湾から見たピアッツェッタと総督宮殿』[カナレット画『サン・マルコ湾から見たピアッツェッタと総督宮殿』。サン・マルコ桟橋とはサン・マルコ小広場前の海岸通りを指します。]
乗船した船はリード(Lido)島に立ち寄った後[その途中、ムラーノ島に立ち寄ったのですが、その時は何処やら分かりませんでした]、サン・マルコ桟橋に向かいました。その日は快晴で、船上からの、海の税関(Dogana di mare)、サルーテ教会(chiesa di Santa Maria della Salute)、総督宮殿(Palazzo ducale=ドゥカーレ宮殿)等の近付いてくる眺めは、一生忘れられないものとなりました(当時はどれがどれやら分かりませんでしたが)。

この街は迷宮都市と聞いていましたので、道に迷わないようにと『ガイド(ヴェネツィア イタリア北東部)』(Touring Club Italiano版)のヴェネツィアの地図をコピーして持って行きました。

サン・マルコ桟橋からその白地図を頼りに、入り組んだ道(intrico di calli)を曲がり、角ごとにマーカーで印を付けながら、無事ホテルに辿り着くことが出来た時は感慨も一入でした。

そして1週間、街歩きをしながらその白地図に色変わりでマーカーリングをすると、迷宮をそれほど迷わずに6つの地区(sestiera)を巡ることが出来ました。この地図はホテルなどで呉れる省略だらけの地図とは異なり、強力なものでした。

迷宮(ラビュリントス)は伊語で labirinto、meandro、dedalo 等が辞書にあります。

ギリシア神話の中で、ダイダロス(Dedalo)がクレータ(Creta)島に作った迷宮に、閉じ込められた牛頭人身の怪物ミーノータウロス(Minotauro―ポセイドーンが送った牡牛とパーシパエーの子)の生贄として、テーセウス(Teseo)がやって来ます。

彼に一目惚れしたアリアドネー(Arianna―クレータ王ミーノースとパーシパエーの娘)は、迷宮から地上に帰還出来る策をダイダロスから授かり、彼に教えます。彼は教えられた通り入口から糸玉の糸を伸ばしながら怪物の所に至り、怪物退治をして無事戻ってくることが出来ました。

その糸のことを伊語で、il filo d'Arianna(アリアドネーの糸=問題解決の手掛かり)と言い、私がコピーしたヴェネツィア白地図は正にその糸玉でした。辞書にデーダロとは、ダイダロス(Dedalo)の作った迷宮(dedalo)の意味、ともあります。

ヴェネツィアの街歩きには、全ての通り名の載った、無省略の地図が必携のようです。
  1. 2007/10/21(日) 22:47:55|
  2. ヴェネツィアの地図
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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