イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――アンデルセン

アンデルセンの『即興詩人』(神西清訳、小山書店、昭和33年3月31日)の後半で、主人公アントニオはヴェネチアに向かいます。

ローマに住んでいたアントニオは、友人のファビアーニに言われます。
「……君はもう子供じゃない。自分の足をどこへ向けるかは十分わかるはずだ。すこし旅行をしたらためになるだろう。医者も同じ意見だ。もうナポリへは行ったことがあるから、今度は北イタリアへ行きたまえ。
……
冷たさがアルプスからこの暖かい血へ吹き込まれるのか? 北へ、水に浮ぶヴェネツィア、海の花嫁へ! 神よ! 私をまたとローマへ、忘れがたい思い出の墓へは帰し給うな! さらば、わが故郷の町よ! 
……
ヴェネツィアそのものは実際、ほかのどのイタリアの町とも非常にちがっていた。それは豪華な粧いをこらした力強い海の花嫁であった。翼をもったヴェネツィアの獅子が私の頭上の旗にゆらめいていた。帆が風にふくれて、私の目から海岸をかくした。
……
私は宏壮な聖マルコの広場を見た。《ここに生活がある!》と私は聞いてきたが、ナポリとは、いや、あの賑やかなコルソ通りに見るローマとさえ、なんという違いであろう! しかもなお聖マルコの広場はヴェネツィアの心臓、生活のある場所なのだ。

書物、真珠、絵画などを売る店が長い柱廊を飾っていたが、しかし、まだ人出がなく活気づいていなかった。けばけばしい服装をして、長いパイプをくわえたギリシア人やトルコ人のかたまりが、コーヒー店のそとに静かに坐っていた。聖マルコの黄金の円屋根の上、玄関の上の堂々たる青銅の馬の上に、太陽が輝いていた。
……
私はゴンドラに乗って、無言の夜の街々を舟の行くままに運ばれていった。船頭たちはたがいに歌いかわしたが、それは『解放されたエルサレム』の中のものではなかった[かつてヴェネツィアの唄は《サンタ・ルチーア》ではなく、これだったそうです]。ヴェネツィアの人々は彼等の古い唄さえ忘れてしまったのだ。彼等の総督(ドージェ)は死に絶え、彼等の凱旋の車につけられた獅子の翼が、外国人の手で縛られてしまったからだ。
……
ここで私は堂々たる総督の邸宅を訪れ、人のいない豪華な広間をさまよい、おそろしい地獄の責苦の絵のある宗教裁判の部屋を見た。私は狭い歩廊を通り抜け、ゴンドラのすべって行く運河の上に、屋根よりも高いところにかかった屋根と壁のある橋を渡った。
カナレット『サン・マルコ湾から見たサン・マルコ潟岸』溜息の橋[左はカナレット画『サン・マルコ湾から見たサン・マルコ潟岸』部分、右は溜め息の橋] これは総督の邸から牢獄への通路であり、この橋は《溜め息の橋》と呼ばれる。その直ぐそばに《井戸》がある。通路に置いたランプの光が目のこまかい鉄格子を通って、いちばん上の土窂だけにようやく射し入る。
……
次の朝、私は非常に元気だった。けだかい誇りが私の胸に目ざめていた。私は自分にめぐまれた詩才という神の賜物を幸福に思い、神に感謝する気持だった。私はゴンドラに乗った。その妹の知人として市長の家を訪問に行くつもりだった。かくさずに言えば、あんなに明白に私にたいする敬意を表わした、美の女王と認められている若い婦人に会いたい、という願いをもっていた。
……
《オセロの宮殿が見えます!》船頭はこう言って、大運河を通って私をある古い建物へつれて行った。漕ぎながらの彼の話によると、美しい妻デスデモーナを殺したヴェネツィアのムーア人はそこに住んでいたので、イギリス人が誰でもそれを見物に行く様子は、まるで聖マルコの教会か、造船所の遺跡へでも行くようだという。 ……」
  ――ハンス・クリスチャン・アンデルセン『即興詩人』(神西清訳、小山書店新社、昭和33年3月31日)より

日本では『みにくいアヒルの子』『マッチ売りの少女』等の童話で有名なアンデルセン(丁抹語式発音では [ˈhanˀs ˈkʁæsdjan ˈɑnɐsn̩]“アナスン”のようです。dは無音。独語式はアンデルゼン、英語式はアンダースン、鷗外の読みは何語から?)。森鷗外が初訳したこの小説は、『鷗外全集』第2巻(全38巻、岩波書店、昭和四十六年十二月二十二日)で読むことが出来ますが、古い文体の雅文調で書かれ、正字・旧字の旧仮名遣いで印刷されたこの本は、読むのも、原文通りここに引き写すのも苦労です。先ずPCの文字は旧字・正字に正しく対応していません。

ダンテの『Divina Commedia』を『神曲』と訳したのは、鷗外のこの『卽興詩人』の中でが初めてだったことは知られています。ダンテは元々この詩を単に『Comedia』と題していたそうですが、何年か後ヴェネツィアで出版された時(1555年)、『Divina Commedia』と“Divino/a(神の)"の文字が追加され、以後出版される時は、このヴェネツィア本式が踏襲されているのだそうです。

2012.04.05日追記= 「……ダンテ Dante の神曲 Comedia[現在の伊語では Commedia、ダンテの表記は Comedia だそうです]は幽昧にして恍惚、ギヨオテ Goethe の全集は宏壯にして偉大なり。誰か來りて余が樂を分つ者ぞ。……」――『鷗外全集』第35巻(岩波書店、昭和五十年一月二十二日)《獨逸日記》の明治十八年八月十三日の件にこのようにあります。彼は『卽興詩人』を出版する前から『神曲』の訳語を考えていたようです。
  1. 2011/07/16(土) 00:04:02|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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