イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

veneziafilo(V)(ヴェネツィア偏愛)

初めてヴェネツィアを訪れたのは、14年前、仕事の合間にようやく休暇を取ることが出来てのことでした。

それまで外国旅行したい等考えたこともなかったのに、突如それが浮上してきたのでした。それとは《イタリア、とりわけヴェネツィア》に行くことだったのです。

イタリア語の響に魅せられて、言葉の独学をしていました。始めた当初は初心者に程よい参考書も余りなく、語学学校は日伊協会があったのですが、忙しくて通えませんでした。偏に紙の上の勉強で、1990年4月にNHKが伊語講座を始めたのは途轍もない朗報でした。

ヴェネツィア好事家になる過程の記憶を辿ると、先ずヴェネツィアの映像を見たのが、ヴィスコンティ監督の映画『夏の嵐(Senso)』です。記憶に残っている場面は、運河(rio)沿いを2人が歩く暗い場面だけでしたが、後年ヴィデオで全体を再確認しました。

モダン・ジャズ狂だった私は、ロジェ・ヴァディム監督の『大運河(Sait-on jamais…)』を4、5回見に通いました。それは見るというより、モダン・ジャズ・クァルテットの演奏を聴きに行ったと言った方が適切でした。

今でも話題になるデヴィッド・リーン監督の『旅情(Summertime)』では、ヴェネツィアの風景が鮮明で、サン・マルコ広場が初めて登場する場面は印象的、またキャサリン・ヘップバーンが運河(Rio S.Barnaba)に落下するシーンは今でも目に焼き付いています。

ジョセフ・ロージー監督の『エヴァの匂い(Eve)』にもヴェネツィアが沢山登場しましたが、ジャンヌ・モローがビリー・ホリデーの『柳よ、私のために泣いておくれ(Willow weep for me)』という唄を聴くシーンが、気に入った映画でした。

映画が、私が実際に見たことのないヴェネツィア熱を刺激してきたのですが、決定的だったのはやはりルキーノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す(Death in Venice)』でした。映画は船がサン・マルコの桟橋に向かうシーンから始まるのです。

日本ではかつてイタリアについてTVで放映されたり、雑誌等で書かれたりするのは、圧倒的にローマやフィレンツェの方が多かった筈です。何故そんな熟知された町ではなく、ヴェネツィアに心が向かうのか、自分では明確ではありませんでした。

イタリアおたくの私は、塩野七生さんの書かれる物を手当たり次第に読み、『チェーザレ・ボルジア、あるいは優雅なる冷酷』には感動しました。しかしその後の『海の都の物語』には感動以上に興奮しました。この本が最終的に《veneziafilo(ヴェネツィア偏愛)》を決定付けた、と自分では実感しています。
『海の都の物語』正・続巻ですから、海の都ヴェネツィアに初めて訪れた時は、『旅情』のように列車で入るのではなく、中世の人々のように船でサン・マルコ小広場(Piazzetta)のS. Marco Molo(桟橋)から上陸しようとしたのでした。私に出来ることはマルコ・ポーロ(Marco Polo、テッセラTesseraとも)空港からアリラグーナ(Alilaguna)の連絡船(motoscafo)を利用することでした。

乗った船はリード(Lido)を経てサン・マルコを目指します。次第に近付くにつれて、明るく晴れ渡った海上から、初めてサン・マルコ湾(Bacino)から見る税関岬(Punta di Dogana)から総督宮殿(Palazzo ducale)に及ぶ眺めは、あまりにも魅惑的で感動的で、finalmente siamo arrivati (到頭やって来た!)という思いでした。
  1. 2008/01/14(月) 00:09:15|
  2. ヴェネツィアの街
  3. | コメント:2
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コメント

つい数日前にDVDで借りたイタリア映画 「Pane e tulipani」 を見ました。喜劇嫌いの私が最後まで息をつめて見てしまいましたが、それというのも、ただの喜劇ではなく何か深く考えさせるものがあったからだと思います。その舞台がベネツィアで、それもツーリストのヴェネツィアでは無くて、住民のヴェネツィアだったのも私を喜ばせました。
  1. 2009/03/23(月) 20:02:51 |
  2. URL |
  3. September30 #-
  4. [ 編集 ]

september30さん、沢山のコメントありがとうございました。
久し振りに古い自分のブログを読み返しました。「Pane e tulipani」は日本では
「ベニスで恋して」と題されて封切られましたが、この映画は私には忘れられない
思い出があります。映画を見ていて、主人公のロザルバとコスタンティーノ探偵が
出会った広場は、Campo do pozzi(do=dueの意)と言い、この広場から少し入った
所のアパートを借りて語学校に通っていましたから、直ぐそれと分かりました。
後にこの広場のバール(ここで毎日ワインをひっかけていました)の主人に映画の事
を聞くと、バールの中にカメラを据えて撮ったりもした話をしてくれました。
  1. 2009/03/24(火) 07:48:07 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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