イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの橋(2)

一番豪華なリアルト橋に対する、一番貧弱な橋として、欄干もない橋がカンナレージョ(Canalegio)区にあります。ヴェネツィア本島で唯一と思われる欄干のない橋の例です(アルセナーレの中は海軍の敷地ですので、一般人は入れませんからそこは確認されていません)。[知られた事ですが、トルチェッロ島にも通称《悪魔の橋》という欄干のない橋が残されています。橋の様子はshinkaiさんのブログヴェネツィア、トルチェッロ島をご上覧あれ]

リアルト橋からフォンダコ・デイ・テデスキ大通り(Salizada del Fontego dei Tedeschi)を鉄道駅へ向かって、どこまでも(ヌオーヴァ大通りを通過)道なりに真っ直ぐ行きます。四つ目の運河(Rio de S.Felice)を渡ったところで、運河沿いの道(教会運河通り(Fdm.de la Chiesa))を右へ曲がって直進します。ミゼリコルディア運河(Canale de la Misericordia)の手前で道は左折しますが、その右手に欄干のない釘橋(Ponte Chiodo)があります(三つの一番上の地図では最下部中央で文字がごちゃごちゃして分かり難いです)。
キオード橋(左図最下部中央部)近辺地図
駅に向かうヌオーヴァ大通り中心の地図
     リアルト橋近辺地図この橋は映画にも何度か取り上げられています。デヴィッド・リーン監督の『旅情』(1955)ではキャサリン・ヘップバーンとロッサーノ・ブラッツィの恋がようやく実り、2人は夜を過ごしに橋を渡ってある館の中へ入っていきます。夕方で薄暗く分かり難いのですが、ヴェネツィアに行くようになり、再度映画を見てみますとそれはこのキオード橋でした。
[この映画『旅情』には原作となった戯曲があるとかで、それは『ウェスト・サイド物語』の原作者アーサー・ローレンツ(Arthur Laurents―本年5月没)作『カッコーの季節(The Time of the Cuckoo)』というお芝居で、ハロルド・クラーマン演出でブロードウェイでヒットしたものだそうです。]
キオード(釘)橋キオード橋また独映画『逢いたくてヴェニス』(ヴィヴィアン・ネーフェ監督)では、女主人公のエーファは亭主の浮気相手の女の夫(弁護士)を拳銃で脅し、不倫の2人がいる筈のヴェネーディヒ(ヴェネツィア)にやって来ます。弁護士は水恐怖症のために、この欄干のない橋は這ってでしか渡ることが出来ません。

かつてヴェネツィアには欄干のない橋が数多く見られ、例えば拳骨橋やサンタ・フォスカ橋なども欄干はなく、殴り合いの乱闘の末、運河に多数の人が転落しています。運河に落下した人は戦列から離脱する決めになっていたそうです。
アントーニオ・ストーム画『拳骨戦』ガブリエール・ベッラ画『サンタ・フォスカ橋の棒戦』左はアントーニオ・ストーム画『拳骨戦』、右はガブリエール・ベッラ画『サンタ・フォスカ橋の棒戦』

ヴェネツィアをハプスブルク・オーストリア帝国が支配下に置いていた19世紀、オーストリア政府は欄干を積極的に取り付けさせたそうで、鉄製の欄干にはオーストリア風のデザインを取り込んだ欄干が数多く見られると言います。

オーストリア軍はヴェネツィアでの移動の便のために、本土とヴェネツィア島との間のリベルタ橋(1846年完成)を始め、大運河にアッカデーミア橋とスカルツィ橋を架橋しました。その鉄の橋は、大運河にヴァポレットが就航することになった時、橋桁が低すぎて運航不能のために取り壊されて、新しいアーチ形の橋が架けられました(アッカデーミア橋については2010.04.17日のアッカデーミア橋に書きました)。
[リベルタ橋に沿って架橋された車用の橋は、1933年ウンベルト・ファントゥッチの設計で架橋されました。]

E.&W.Eleodori『大運河』(1993)によれば、
「スカルツィ橋は1858年、オーストリアによって架けられた鉄の橋が大運河の通行に適さなくなり、建築家エウジェーニオ・ミオッツィによって代わりの橋が1934年架橋された」とあります。
故スカルツィ橋Alvise Zorzi著『Venezia ritrovata 1895-1939』(Arnoldo Mondadori Editore、1995.09)から写真を借用しました。キャプションは次のようです。「スカルツィ教会とサンタ・ルチーア鉄道駅前の、1858年オーストリア占領時代、Neville とかいう人に作られた鉄の橋(ガブリエーレ・ダンヌンツィオは《大運河を侮辱するオーストリアの橋》と言っている。1934年まで機能した)」。写真からかつての鉄道駅とその前の広場の様子が分かります。
スカルツィ橋前の賑わい「レガッタの日の大運河の最終地点の模様。一番奥に Neville とかいう人の設計の、オーストリア人が手掛けた銑鉄製の悪名高い橋は、丸でニワトリの鶏小屋である。」 かつての旧サンタ・ルチーア教会(鉄道駅)とスカルツィ教会近辺の様子。
新しいスカルツィ橋「Nevilleとかいう人の、今や死刑を宣告された橋の傍らに、地元の技師エウジェーニオ・ミオッツィの最新の橋がある。」
ヴィゼンティーニのヴィゼンティーニ版画の『サンタ・クローチェ教会(現パパドーポリ公園)からスカルツィ教会への景観図』より
「11月2日の故人の日、ラグーナから立ち上ってくる靄、そしてヌオーヴェ海岸通り(Fdm.Nove)と死者の島サン・ミケーレ島を結ぶ船の長ーい長い浮橋を包む霧の中は、既に冬景色である。菊の香りが辺りに強く漂い、お菓子屋は故人の日に食べる甘い空豆形のお菓子やアーモンドを並べる。程なくやって来る11月11日のサン・マルティーノ(聖マルテイヌス)の祝日のためのパンペパート菓子やマーマレードも店頭に現れる。」
サン・ミケーレ島への船の浮橋[モノクロ写真とそのキャプションは全て、Alvise Zorzi『Venezia ritrovata 1895-1939』(Arnoldo Mondadori Editore、1995.09)から借用したものです。かつてサン・ミケーレ墓地にお詣りのために、こういう浮橋が架けられたことを初めて知りました。]

You Tube にLa Venezia che fu`というサイトがあります。かつてのヴェネツィアをモノクロ写真で見ることが出来ます。
  1. 2011/08/20(土) 00:02:03|
  2. ヴェネツィアの橋
  3. | コメント:2
<<文学に表れたヴェネツィア――アンリ・ド・レニエ(3) | ホーム | ヴェネツィアの橋(1)――リアルト橋>>

コメント

こんにちは! トルチェッロ島へのリンク有難うございます!
いやぁ、あの手摺の無い橋が「旅情」に出てくるのは、しっかり見ておりませんでした。 そうでしたか、またDVDを見直さないといけません。 他にもかなり地理的に無理だと思うシーンもあったと思うのですが。

サン・ミケーレ島にも浮橋がかけられた、というのも初めて知りました。 きっとヴァポレットがまだなかった頃ですね。

ダヌンツィオのオーストリアに対する憤慨が橋に向けられているのが、可笑しいです。
 
  1. 2011/08/20(土) 17:09:53 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
Alvise Zorzi の本を読んでいて、鉄の橋を造ったNeville とかいう人(墺太利人or伊人)に対する偏見を感じました。どこの人か調べて見ますが、いずれにしてもヴェネツィア人ではないのでしょう。イタリア人のカンパニリズモをすごく感じました。

デヴィッド・リーンのあの映画は、地理的には繋がらなくても、ヴェネツィアの特色を本当にうまく使っていると思います。同じ頃封切られた仏映画の、ロジェ・ヴァディムの『大運河』と比べると特にそう思われます。私はこの映画の音楽を担当した米国のモダン・ジャズ・カルテットのファンなのですが。

P/S Alfred Neville はオーストリアの建築家のようです。
  1. 2011/08/20(土) 18:15:26 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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