イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

マルゲリータ・サルファッティ――ドゥーチェ(統帥)の恋人(1)

マルコ・ベッロッキオ監督の映画『愛の勝利を――ムッソリーニを愛した女』が、5月連休のイタリア映画祭で上演され、その後シネマート新宿で一般公開されました。その後もシネマート六本木で名画上演されました。
『愛の勝利を―ムッソリーニを愛した女』ジョヴァンナ・メッゾジョルノとマルコ・ベッロッキオ監督『愛の勝利』のパンフレットから。右は主演のジョヴァンナ・メッゾジョルノとマルコ・ベッロッキオ監督
ベッロッキオ監督の作品は『ポケットの中の握り拳』(1965公開)を皮切りに一般公開や映画祭公開等を含めて、次のようです。『凱旋行進』(1984)、『肉体の悪魔』(1987)、『サバス』(1988)、『新肉体の悪魔(蝶の夢)』(1994)、『乳母』(2001)、『母の微笑』(2003)、『夜よ、こんにちは』(2004)、『愛の勝利を――ムッソリーニを愛した女』(2011)等があります。

私が気に入っている映画は1994年の『蝶の夢(Il Sogno della farfalla)』です。今回のイーダ・ダルセルの生涯を辿る『愛の勝利を』見ながら、だんだん腹が立ってきました。ファシズム時代はこういう無法がまかり通っていたのです。

かつてクラウディア・カルディナーレがムッソリーニの《女》の役をした時、何故彼女がこんな悪逆非道の男の《女》役を演ずるのか、と非難されたことがあったと記憶します。第二次大戦後は、ムッソリーニという名前を聞くのも穢らわしいというようなことがあったのでしょう。

やはりムッソリーニと恋愛関係にあったマルゲリータ・サルファッティ(Margherita Sarfatti)というヴェネツィア出身の女性の事を書いた本があります。そのBruno Rosada『Donne veneziane』(Corbo e Fiore Editori、2005.12刊)から、拾い訳をしてみます。
ブルーノ・ロザーダ『ヴェネツィア女――愛とその価値』「少女の姓はグラッシーニ(Grassini)というヴェネツィアの古いユダヤ人一家のものであるが、当時の習慣で夫の姓サルファッティという姓で呼ばれた。

マルゲリータ・サルファッティは特異な女であったが、大変な美人だった。今日思い出されるのは、特に20年間ベニート・ムッソリーニの愛人だったということである。この男は、典型的なイタリア男で、彼女と妻のラケーレ2人だけでは満足するようなタイプの男では決してなかった。

ドゥーチェと彼女の関係は噂の類では決してなく、疑いのない確かなもので、その関係の中で彼女は彼が受け取った物より、遥かに多くの物を彼に注いだのは確かであり、モラルの点でも、ましてや政治的な面でもそれは彼女に相応しいことでは決してなかった。なぜなら特に文化的な分野でのこの女性の才能と功績は、全く別物だったからである。

彼女は1880年4月8日ヴェネツィアで誕生した。イタリアの最も重要なユダヤ系一家と親戚関係で繋がっていた。例えば女流作家の故ナターリア・ギンズブルグは、ピエモンテの反ファシズム運動の代表となった従兄弟でトリーノのユダヤ系ジュゼッペ・レーヴィの娘であった。

ヴェネツィアで少女時代、マルゲリータは文化的に非常に高い環境で過ごした。そして大運河の豪華な邸宅でアントーニオ・フラデレットからポンペーオ・モメンティ、ピエートロ・オルシからヴィットーリオ・ピーカ、アルベルト・マルティーニまでの重要な人物達と交際し、彼女の館からザッテレ海岸通りまでのヴェネツィアのインテリ達とイギリスの著名な研究者(美術評論家)ラスキンによって提示された美学論を共有しあった。
ジョン・ラスキンの碑[ザッテレのカルチーナ小広場(C.llo.de la Calcina)の781番地に英国の美術評論家ジョン・ラスキンが住みました。建物右の壁面に次の碑文が掲げてあります。《ジョン・ラスキンが1877年この家に住んだ。彼は我がサン・マルコの石における、イタリアのあらゆるモニュメントにおける、その芸術の祭司であり、創造者の心と民衆の心とでもってあらゆる大理石、あらゆるブロンズ、あらゆる織布を見出した。あらゆる事が彼に声高に言明された、宗教心の美しさ、人間の徳性が何というものを作り出すのか、と。そして人々により崇敬された。1900年1月26日、感謝を込めて、ヴェネツィア市》
更に隣の782番地には、ウィーン皇帝のポエータ・チェザーレオ(ウィーン宮廷詩人)になったアポーストロ・ゼーノが住み、そして1750年亡くなったことを示すラテン語の碑文が掲げてあります。]

15歳の時、彼女よりずっと年の離れた教授に教えられたカール・マルクスの思想との出会いがあった。それは彼女の心を虜にした。

家族の希望に反して、刑事事件専門の弁護士だったチェーザレ・サルファッティと1898年結婚した。彼もまたユダヤ系ヴェネツィア人だった。1902年10月15日、彼と共にミラーノに移住した。

最初2人はブレーラ通り19番地のアパートに部屋を借りた。その後1908年マルゲリータは父の莫大な遺産を相続したので、ヴェネツィア大通り93番地の豪壮なアパートに引っ越した。そこで当時の有名なインテリ達との出会いがあり、またコーモ湖のカヴァッラスカにヴィッラ《イル・ソルド》を手に入れた。

そのヴィッラは、1世紀前はアレッサンドロ・マンゾーニの母ジューリア・ベッカリーア[Beccarla と誤植されています]のパートナーであったカルロ・インボナーティの持ち物であった。
[マンゾーニの母方の祖父はチェーザレ・ベッカリーアという啓蒙思想家、法学者、経済学者で、名著と言われた『犯罪と刑罰』(1764年匿名で発表されたそうです。日本では風早八十二・風早二葉訳、岩波文庫、昭和一三年一一月一日第一刷発行)は、死刑や拷問の廃止を主張し、ヨーロッパの知識人に大きな影響を与えたそうです。パリ12区にはベッカリーア通りがあります。]
ベッカリーア著『犯罪と刑罰』アレッサンドロ・マンゾーニの肖像右、フランチェスコ・アイエツ画『アレッサンドロ・マンゾーニの肖像』(ブレーラ美術館蔵―Hayezのサイトから借用)
ミラーノでマルゲリータは政治の分野にのめり込んだ。社会党に入党しフィリッポ・トゥラーティとアンジェーリカ・バラバノッフの仲間であったアンナ・クリショッフの親友となった。クリショッフが1912年雑誌『女労働者の守り』を創刊した時、鋭意専心、実りあるように彼女に協力した。

その間、党の日刊誌『アヴァンティ』に執筆し、ある時からその雑誌の公式の美術評論家となった。将来のドゥーチェとの関係はその日刊誌で生まれた。1912年12月1日に彼はその編集方針を決定したのである。

マルゲリータはフィリッポ・トゥラーティの指導の下、党の穏健派に属していたが、ムッソリーニから辞職を迫られ、受け入れることになった。が、突如2人の間に大きな共感が生まれ、2人は恋人同士になったのである。」 (続く)
   ――ブルーノ・ロザーダ著『ヴェネツィア女達(Donne veneziane)』(Corbo e Fiori Editori、2005.12)より
  1. 2011/10/22(土) 00:01:08|
  2. | コメント:2
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コメント

こんばんは! 映画になっていたのは知りませんでしたが、このイーダ・ダルセルの事は読んでいました。 まったくの仕打ちに腹立たしい思いがした事を良く覚えています。 あのカルディナーレが出た映画はこちらのTVで見て、どこか話で読んだのと違う女性の様に感じたものでした。 ムッソリーニの方が、自分の最後を感じて少し弱気になっている印象の映画だったように記憶しているのですけど、どうでしたでしょうか。
このマルゲリータ・サルファッティについては、ファイルしていましたが覚えておりませんでした。

こちらで見るかっての映像の中のムッソリーニは、最盛期の自己満足のふんぞり返った映像が多く、傲慢で、これはイーダ・ダルセルに対する態度を納得させるに十分ですね。
  1. 2011/10/21(金) 21:38:58 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
マルコ・ベッロッキオ監督のこのイーダ・ダルセルの映画は、非常に説得力があるものでした。この映画の事が頭にあったので、偶々覗いたこの本に、ムッソリーニの文字が見えたので訳してみました。
美術界では大活躍した女性だったようです。
  1. 2011/10/22(土) 12:26:00 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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