イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

『世界遺産 ヴェネツィア展』――ヴィットーレ・カルパッチョ(2)

2011.07.26日に『世界遺産 ヴェネツィア展』(1)について書いた後、1999年の夏、ヴェネツィアで『二人の貴婦人』と里帰りした『潟での狩猟』がサン・サムエーレ教会広場前のグラッシ館(P.Grassi)で、初めて並べて展示された時の新聞のコピーが出てきました。『ヴェネツィア展』に関連しますので訳出してみました。――マルコ・カルミナーティ記者の記事です。
カルパッチョ『潟での狩猟』と『二人のヴェネツィア女』の新聞カルパッチョ『二人のヴェネツィア女』と『潟での狩猟』の新聞[元二人の《maliarde(手弱女)》、今は《perbene(貴婦人)》] 「1700~1800年代に渡って生きたヴェネツィア貴族のテオドーロ・コッレールは、冷酷なまでの収集家と言われた人であった。セレニッシマ(静謐この上なき共和国)の滅亡後、ヴェネツィアの市場に雪崩を打って登場した芸術作品、文献や色々な物品を大資力で手に入れたいという思いに取り憑かれて、この貴族は自制すること不可能な精神状態にあった。

祖国の歴史にとって素晴らしく、貴重で、重要と思われた芸術品を見ると、電光石火のごとく、財布の紐を緩めたのである。一家の紋章のある物品に遭遇すれば勿論のことである。その時は欣喜雀躍、獲物に食らい付くので、商人や贋造者の利益に貢献する羽目になる。彼等は彼の紋章学的知識のないことを熟知しており、どこであろうと、コッレールの紋章を売り捌くのに躊躇しないし、この見栄っ張りの購入者を満足させれば満足である。

テオドーロ・コッレールが破廉恥な商人の恥知らずの悪ふざけと不埒な奸策の犠牲者であったことは確かである(エマヌエーレ・アントーニオ・チコーニャが『日記』の中でその面白い話を書いている)。しかし実際は、彼はそんな未熟な人物ではなかった。

1830年亡くなった時、収集した芸術品をヴェネツィア市に遺贈することを決め(その時は大運河に面した館に収蔵されており、現在はサン・マルコ広場の翼(ala)館に収められている)、人々は直ぐ様理解したのであるが、それは多くの議論の余地のある作品群であっても、絶対的に重要な傑作として光り輝く指輪のように並べ立てることが出来たのである。

それらはジョヴァンニ・ベッリーニであり、アントネッロ・ダ・メッシーナであり、コズメ・トゥーラであり、カルパッチョであった。今日でも、それらは彼の名を冠した美術館(コッレール美術館)の誇りとなっている。

そしてそのコッレールでさえ、作品を購入する時、奸計とクリーンでない取引から免れた訳ではないに違いないのである。そうでなかったなら、何故彼の死後直ぐに遺産管理人達が慌てて作品の取得に関わる一件書類を一掃することを決め、コレクションの形成に纏わる貴重な(そして危険な)情報を闇に葬ったのか、の説明が付かないのである。

アントーニオ・フロリアーンとジョヴァンニ・カルロ・ベヴィラックァは、ヴェネツィアの裁判所の専門官だが、1830年春、コッレールの遺産の千にも及ぶ物品の目録を作り、評価するために16回にも渡る実地調査が必要だった。その目録の中に初めて、著名となることが運命付けられた一つの作品が現れた。

主題はよく分からなかったが、専門官達は『二匹の犬と戯れる二人の女』と命名し、12リラという馬鹿馬鹿しい評価をした。しかし今我々が話題にしているのは、ヴェネツィア・ルネサンス期の最も有名な作品の一つである、ヴィットーレ・カルパッチョの『二人の貴婦人』であることは分かっている。

絵画の名声を上げるには、特に特異唯一の主題が必要である。この孤独でエレガントな、人目にはっきりと、退屈そうに見える2人の女は誰か? 家のバルコニーに腰を下ろして、そこで何をしているのか? 1800年代のヴェネツィア案内(ガイド)には、最初策略があった。それは《maliarde(魅力ある女、手弱女あるいは魔法使い)》だったと言われている。

導火線に火を点けるようなものだった。好奇心に溢れた目はよりじっと見ようと《高級娼婦》の性格を取り込んだようである。その時からもはや誰一人として人々の動きを押し止めることが出来なくなった。一つには研究者の一群、もう一方で優れた文学者達(その中にラスキンとダンヌンツィオがいる)は、肉体を売るという領域に属する女達を描きたいという目的で、蠱惑的な絵に飛び込んだのである。

イコン的な洗練された絵は、動物や物、色々の職業の女の衣装を語るのだが、当然女神ウェヌス、魔女キルケとの比較もある。一方ある人がロンブローゾ精神医学的分析を試み、2人の貴婦人の顔には倦怠と何か鈍い、ぼやけた感覚が漂っているとした。」
 ――後半は次回『世界遺産 ヴェネツィア展』――カルパッチョ(3)です。
  1. 2011/09/06(火) 00:01:22|
  2. ヴェネツィアに関する展覧会
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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