イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: Il Casin degli Spiriti di Palazzo Contarini dal Zaffo(コンタリーニ・ダル・ザッフォ館)(2)

「四月末のとても過ごしやすい、快適なある宵、この魅惑的な女性が窓から顔を突き出して、気だるそうにどことなく遠くを見やっていた。物憂い思いが心の片隅を過ぎり、身の回りに起こったよしなし事から気を紛らそうとしていた。モルトが近づこうとしているのには気付かなかった、この男が背後から彼女の腰に腕を回し、首筋にキスし始めるまで。
Marcello Brusegan『ヴェネツィアの神話と伝説』彼女はその抱擁から逃れようとしたけれどうまくいかず、この恋する男の手が胸に触ろうと上がってきた。《止めて、放して、離れて、ゾッとする!》 モルトの酔った息の悪臭が鼻に付いた。《穢らわしい、放して!》 そう言うと、男の睾丸を踵で激しく蹴り上げた。ルッツォは息の詰まったような叫び声を上げて彼女を放し、二、三歩後退した。その間に彼女は激しいビンタを男の顔に浴びせ掛けていた。

《おいおい、おとなしくして呉れよ、キスだけだったんだ、もう行くよ》 半ば苦笑いで、モルトが敢えて口に出した。しかしチェチーリアは激しい憎悪で怒り心頭に発し、許すつもりは一切なかった。

《キスだけだよ、もう行くよ、分かってくれよ。俺、あんたに夢中なんだ。どうしてもキスしたかったんだ。もう首を括りたいよ》。《くたばっちまえ!》 彼女が言った。《触らないでよ、穢らわしい豚め! そこに水があるじゃん、身を投げてくたばっちまえ!》。

《気を付けた方がいいぞ》 モルトが叫んだ。《死人は時には戻ってくるんだから》 こう言うとドアを開けて、あっけにとられた全員を尻目に走り去った。チェチーリアもまた、ジョルジョーネの腕の中に身を投げに走っていった。それがピエートロ・ルッツォの姿を見た最後だった。この哀れな男は本当に身を投げたのだった。
……
ある夏の暑い宵、開け放れた窓から射し込む銀色の月光で部屋が満たされている時、チェチーリアとジョルジョーネはオリエントの柔らかい絨毯に身を横たえて、何度となくキスを交わしながら陶然と上の空にあった。

それはモルトだった。……窓枠の中に浮かび上がっていたのはモルトの幽霊だった。蒼白な顔色で、瞼は殆ど開いておらず、体は骨がないかのように、よれよれと今にも倒れそうだった。

2人の恋人が一斉に叫び声を上げたので、部屋の全員が気付いた。皆が窓の恐ろしい幽霊を見た。全員走って逃げた。次の日、亡霊の出た窓を塞ぐために左官屋が呼ばれた。しかし別の窓にルッツォの幽霊が現れて同じ光景が現出した。次の日、その窓も塗り込められたが、毎夜幽霊は現れるので効果はなかった。

最後の窓が塗り潰された時、一同は他の場所に移ることに決めた。この小館は早寂れ果て、恐ろしげに変貌していた。その時からコンタリーニ小館は、casin degli spiriti(幽霊の館)となり、夜中使われなくなったこの建物から、奇妙な音や不思議な声がすると言う人がいるのである。
……
これは事実に沿った詳細な検討の末のお話ではない。コンタリーニ・ダル・ザッフォ館(エルサレムのテッラサンタに封土があるヤッファ公から続くコンタリーニというこの一家の分家の通称で、それは十字軍の時獲得されたもの)は、1530~40年頃に建てられた物で、ジョルジョーネがここで過ごしたのは20年前、即ち1510年のことだということである。

更に、恋人のチェチーリアは1511年、ルッツォは1526年に死んでいる。ピエートロ・ルッツォ(美術史家の言う通り、ロレンツォかも知れない)、即ちモルト・ダ・フェルトレは彼について書かれた人相書とは丸で関係がないし、ジョルジョ・ヴァザーリは、異常な情熱でもって、彼に古代ローマの地下道内で過ごす体験をさせようと仕向けることになった。

実際にはピエートロ・ルッツォは、1508年ヴェネツィアのドイツ人商館[フォンダコ・デイ・テデスキ――Fontego(ヴェネツィア語)=Fondaco(伊語)]の有名なフレスコ画の完成をコネリアーノのマエストロ[チーマ・デ・コネリアーノの事?]と協同で仕上げたジョルジョーネの弟子であり、彼女と駆け落ちをしたのは彼だった。
……
この小館はコンタリーニ館と同時に建てられたのであり、文学者や哲学者、文化人を宴に招きたいとコンタリーニ家が望んだことである。それ故"spiriti"の意味は亡霊や幽霊のことではなく、才気煥発の、洗練された、高尚な人の意である。」
  1. 2011/11/12(土) 00:01:16|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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