イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ティツィアーノ・スカルパ

1963年5月16日ヴェネツィアに生まれた作家、ティツィアーノ・スカルパの『スターバト・マーテル』(中山エツコ訳、河出書房新社、2011年9月30日)が出版されました。2008年イタリア最高の文学賞ストレーガ賞とスーペルモンデッロ賞を受賞した作品だそうです。早速読んで見ました。
ティツィアーノ・スカルパ『スターバト・マーテル』Tiziano Scarpa『Venezia e` un pesce』スカルパの本は、『Venezia e` un pesce』(Universale Economica Feltrinelli、2003.10刊)というエッセー風のガイドを読んだことがあります。ヴェネツィアを魚(舌平目)に喩えて、ヴェネツィアのイメージを描出した書です。《Venezia e` un pesce. Guardala su una carta geografica. Assomiglia a una sogliola distesa sul fondo.…》と始まります。

『スターバト・マーテル』はピエタ教会のピエタ養育院に収容された一少女の目から見た、ピエタ養育院の音楽活動等を書いたフィクションです。当養育院の音楽教師として新たにやって来たアントーニオ・ヴィヴァルディと重なっていきます。

「ジュリオ神父はあまりにも長いこと音楽を書き続けていて、もうアイデアもなければひらめくものもありません。養育院の監事のひとりの兄弟で、それが、毎年ここのヴァイオリン教師兼作曲家の契約を更新する唯一の理由です。インスピレーションが惰性に堕落してしまうなんて。ジュリオ神父がもう飽き飽きしていることは、楽譜を一目見ればわかります。惰力で書いているのです。たぶん神様に、もう死なせてくれとお願いしているのです。
……
お母様、今日シスター・テレーザが稽古場にやってきて、わたしたちの何人かに一緒にくるように言いました。マッダレーナ、ガブリエッラ、エリザベッタ、アニータ、そしてわたしの五人です。楽器を持ってくるように言われました。そしてわたしたちに演奏会用の赤い服を着させました。それからフードのついたマントをまとい、フードの下は仮面で覆いました。養育院の、運河に面した裏門が開けられ、そこでわたしたちを待っていた小舟に乗り込みました。背中には船頭の視線を、岸辺からはじろじろ眺める通行人の視線を、わたしたちは感じていました。
……
わたしたちは、男たちの音楽を演奏する。音楽家はほとんどみな司祭です。

男たちは、その音楽でわたしたちの中に侵入してくる。養育院の新しい教師兼作曲家、アントニオ神父が書きあげた楽譜をもってくると、わたしたちはそれを読み、自分のパートを写譜する。こうして音楽は少しずつわたしたちの中に入り込んでき、わたしたちはそれを目で追う。音楽は、書いているわたしたちの手を動かし、わたしたちはそれを学んでいく。

それから、楽器を手にする。アントニオ神父の音楽はわたしたちの目の中に入り、わたしたちの頭を満たし、わたしたちの腕を動かす。右腕の肘と手首は、弓を操ってくねくね柔軟に動き、右手の指は弦の上で折れ曲がる。わたしたちの中を、男たちの音楽が横切っていく。
……
《アントニオ神父! アントニオ神父!》 聖具室から老女の声が聞こえ、それからシスター・アッポローニアが祭壇のほうに走っていくのが見えました。
《喘息! 喘息!》 シスターが言います。《なんて頑固な、ミサができないのはおわかりでしょうに!》
《喉に詰まって……》 神父は引きつけながら、やっとのことで言いました。《息ができない……》
シスターは、神父の背中を力強くはたきだしましたが、神父はまだ咳をしています。
……
神父は四つの詩を書きました。各季節にひとつずつ。それを印刷させ、演奏会の前に教会で配りました。聴衆の鑑賞を助け、白昼夢でも見るように音楽で彼らに想像させようというのです。抜け目のないぺてん師です。音楽の純粋さを子供騙しでけがそうというのですから。
《春がきた。小鳥たちはさえずり、嬉しそうに春に挨拶をする……》
《空気が澄みわたる。小鳥たちは忘れていた歌を取り戻す。氷は解け、水はもう形をとどめない》
《牧夫は山羊のかたわらにうずくまる。犬は遠くのなにかに向かって吠え立てる。牧夫たちはぎこちない踊りを披露する》
《息もできないような暑さ。カッコウが鳴いている。キジバトが仲間の鳴き声に応え、ゴシキヒワが間に割り込む》
《遠くから雷鳴が近づいてくる。北風が吹いて、なにもかも台無しにしてしまいそう。若い農夫が悔しさに涙を流す》
《そこら中を飛びまわる蠅。嵐がやってきた》
《農夫たちが歌い踊る。この農夫は飲みすぎたよう。ふらついて、挙げ句は立ったまま眠り込む》
《獣が逃げ惑う。銃、犬。獣は傷を負って息絶える》
《吹き荒れる風。足踏みをして体を温めるが、体が震え歯は自然とガチガチ鳴る》
《雨が降る。大雨になった》
《用心して氷の上を歩く。すべって転び、体を打ちつける。足の下で地面にひびが入る》
《あちらこちらから凍てつくような風が吹きつけてくる。みんないっぺんに》
……
雷の中に音楽の形で入ることができたのは、アントニオ神父のヴァイオリンだけです。猛りたった独奏でした。空の神経が苛立ち、ひとつの思いにとらわれる。猛り狂うこと、震動すること、戦慄(わなな)きそのものになること、それも秘密のただ中で。世界にできた亀裂、創造の源が口を開いて光が流れ出る。」
  ――ティツィアーノ・スカルパ『スターバト・マーテル』(中山エツコ訳、河出書房新社、2011年9月30日)より
ブラーゴラ教会と3805~09番地サンティ・フィリッポ・エ・ジャーコモ広場の家パラディーゾ橋前の建物大運河に面した最後の家ヴィヴァルディが住んだ家。左から出生(1678)から1705年まで居住、カステッロ区バンディエーラ・エ・モーロあるいはブラーゴラ広場3805~09番地(ブラーゴラ教会右の4棟のどれか)。中左、1705~11年居住、カステッロ区サンティ・フィリッポ・エ・ジャーコモ広場4358/a番地の2階。1711~22年は同じ4358番地に移動。中右、1722~30年居住、サンタ・マリーア・フォルモーザ広場裏、パラディーゾ橋前のドーゼ運河通り5878/79番地、ここで名曲『四季』を作曲。右、リアルト停留所前のベンボ通り4644番地に1730~40年、ウィーンに旅立つまで居住(2階より上に行くにはベンボ通りの入口からで、ヴィヴァルディの部屋の窓は大運河に面していたらしい)。詳しくは2010.04.03日のヴィヴァルディの家に書きました。
ヴィヴァルディの出生証明書の写しピエタ養育院のヴィヴァルディについての碑左はサン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会内部に展示されているヴィヴァルディの出生証明書のコピー。右は、ラ・ピエタ教会右のラ・ピエタ通り(Cl.de la Pieta`)の入口に掲げられているヴィヴァルディについての碑。2008.07.15日のブログインテルプレティ・ヴェネツィアーニにそれぞれの訳を掲載しています。また2008.12.27日のサンタンジェロ劇場》も参考までに。
  1. 2011/12/17(土) 00:03:01|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:2
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コメント

こんばんは! ピエタ養育院について知ることの出きる、ヴィヴァルディについても別の面を知ることのできる興味深い本の様ですが、如何でしたか?
主人公は何歳くらいの少女の設定になっているのでしょうか?
ヴィヴェルディがこの養育院での教育用に書いたというチェロ・コンチェルトのCDを持っていて好きで良く聴きますが、いつもの華やかさの無い、渋く瞑想的にも聞こえ、色々想像します。 

下のマニーンについても、また改めて拝見し、最後のドージェの人となり、また今のイタリア銀行がマニーン邸であった事も知りました。

バーカリについての展開も楽しみです。

今年も本当にいろいろ有難うございました!
良いお年をお迎えくださいませ。
  1. 2011/12/28(水) 17:19:04 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有り難うございます。
この『スターバト・マーテル』は、この9月に翻訳・出版されたばかりの本です。この養育院に拾われた少女が記憶が丸で無い母親に宛てて色々な思いを語っているような構成になっていて、具体的な事は殆ど書かれていない作りです。主人公の話者も10代から20代にかけての少女と類推するのみです。その辺りを空想するところが楽しい小説と言えるかも知れません。
shinkai さんの今年の活躍は、エジプト、トルコ、フランスと行動範囲が大変広がりました。非常に興味深いことでした。それに面白写真の撮影が半端ではありません。今後も楽しく鑑賞させて下さい。
来年がいいお年でありますように祈念致します。
有り難うございました。
  1. 2011/12/29(木) 07:20:19 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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