イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

食(2)

前回のブログ《食(1)》で書いたフォークについて、『食のイタリア文化史』(アルベルト・カパッティ、マッシモ・モンタナーリ著、柴野均訳、岩波書店、2011年2月25日)は次のように触れています。
『食のイタリア文化史』「……十四世紀のレシピ集のなかでただひとつ、ナポリの『リベル・デ・コクィーナ』にはラザーニャの料理法と味付けについて、次のようなこと細かな説明がある。発酵させた(これは例外的なものか、それともふつうなのか?)パスタの生地を薄く延ばして、指三本(の長さ)の四角形に切り分ける。これを茹でてから何層にも重ねながら、おろしチーズと(好みで)香辛料をふって味付けする。最後に、先を尖らせた木の道具で食べるようにという助言があるが、これはイタリアで早くからフォークが使われるようになっていたことをうかがわせる記述である。

イタリアでは十四世紀以後フォークはふつうに使われるようになっていたが、他のヨーロッパ諸国では十七、十八世紀になっても指を使う伝統を捨て去ることへの抵抗が残った。イタリアでフォークの普及が早かったのは、少なくともひとつにはパスタのように滑りやすく、また危険なほど熱くて《食べにくい》料理が食大系に組み込まれたことによるのだろう。……」

ヴェネツィアに関連しては次のような記述があります。
「ポーランドでの戦争を終えたアンリ3世を迎えてヴェネツィアの人々が準備した祝祭では、正餐のメニューについては何も伝わっていないが、砂糖細工に関する記述が残っている。全艦隊、きらびやかな旗、馬、ライオン、虎、主君を迎える大勢の人々、《教皇、王、枢機卿、統領》の胸像など、砂糖で作られた二百以上の細工物が二つのテーブルを占領した。

これは食べ物が会席者に記念として贈られるオブジェへと進化していった最終段階であった。砂糖やパイ生地、マジパンなどで作られた細工物は、地上のすべての産物に対する君主の政治権力を表現していただけでなく、俗世の空間、さらに歴史、神話、全ての創造物に対する君主の象徴的な支配を表していたのだ。……」
[2010.09.11日のフォースカリ館と2010.10.09日の文学に表れたヴェネツィア―ヴェローニカ・フランコで、ヴェネツィアでのアンリ3世について触れました。]

また最終章で肥満について次のように述べています。
「食に関する議論のなかで、肉体のもつ食欲が中心におかれていた時代がごく最近まであった。たくましい食欲とそれを十二分に満たすことのできる能力こそが、社会的威信のしるしであると同時に、健康の最上のしるし(と同時に手段)とされてきたのである。

栄養が行きとどいて丸みを帯びた腹は健康と豊かさおよび安定を伝えるものとされた。ある食卓を《脂ぎった(グラッソ)》と呼ぶのは、幸せな食卓と同じ意味だった。……」

しかし現在ではこの考え方は変化し、食養生学と医学から来る健康志向により、
「地中海式ダイエットなどの新しい神話を生み出した……消費者はどちらを向いてよいのかわからない。勘を頼りにカロリーやタンパク質、ビタミンの量を計算し、一週間ずっとリンゴを食べつづけたかと思えば、次の週にはバターを断ったりする。

その後そうしたダイエットにうんざりすると、たくさん食べることが健康につながっていた良き時代の素晴らしいバランスを思い出す。……」
  ――アルベルト・カパッティ、マッシモ・モンタナーリ著『食のイタリア文化史』(柴野均訳、岩波書店、2011年2月25日)より。

著者2人は食文化大学で教鞭を執り、スロー・フード運動に関わっている先生方だそうです。
台所単語集(1)台所単語集(2)料理用語単語集ガストロノミーア(gastronomia―料理法、食道楽)という伊語について。
1801年仏詩人 Joseph de Berchoux が『Gastronomie(美食術)』と題する長文詩を発表しました。古代ギリシア語《ガストロス(胃)》と《ノモス(規範)》を組み合わせて造語したのだそうです。その詩がエリダニオ・チェノマーノにより翻訳され、1825年『La Gastronomia ovvero arte di bel pranzare』として刊行されたことから、イタリアでもこの言葉の使用が始まったそうです。
  1. 2012/03/03(土) 00:02:47|
  2. ヴェネツィアの食
  3. | コメント:2
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コメント

こんばんは! 上の唱え言葉を大いに愉しませて頂きました。 そう、やはりこちらにも決まり文句、締め括りの言葉はあるのですよね。
最後のオペラ「道化師」の台詞は、なんとイタリアオペラ日本公演の、マーリオ・デル・モナコで聞いたのが今も記憶に残っております。 彼の冥福も祈ります。

で、今回のこの食べ物についての中で、アンリ3世の事、これを暫く前から気にしておりました。
というのも、コネリアーノの建物の壁に近年フレスコ画が描かれ、その主題は、アンリ3世がコネリアーノを訪れ、町を挙げての歓迎で、町の鍵が送られたという物なのです。
暫く前にブレンタのブルキエッロについて読んだ時に、ヴェネツィアに行くのにアンリ3世が使った、とあり、その日程と行程が掴めずにおりましたが、今回の記事と、前のヴェロニカの記事とで、有難うございます、よく分かりました!

コネリアーノのこのフレスコ画についても書きたいと思っておりますので、その時はお知らせいたしますが、どうぞこちらの記事にリンクさせて下さいますよう、お願いいたします。
  1. 2012/03/10(土) 00:35:30 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

shinkai さん、コメント有難うございます。
デル・モナコの『道化師』を観ておられるとは、大変貴重な体験ですね。彼は非常に神経質で、喉をかばってお喋りの声も出さなかったとよく聞きますが、『道化師』のカニオでは実際に涙を流したのだとか。
その上、舞台に立つ前は、緊張して「これが最後の舞台だ」等しょっちゅう呟いていたと言われます。あんな舞台慣れしているに違いない、偉大な人でも人は見かけによらないのだと、合点します。
彼のナポリ民謡は聞いたことがありますが、オペラの体験はありません。
  1. 2012/03/10(土) 09:15:09 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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