イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――吉井勇と森鷗外

吉井勇作詞、中山晋平作曲による歌謡に『ゴンドラの唄』があります。黒澤明監督映画『生きる』の中でも歌われました。You Tube にその唄がありましたので、次のサイトでお聞き下さい。 『ゴンドラの唄』

いのち短し、恋せよ、少女(おとめ) / 朱(あか)き唇、褪せぬ間に、 / 熱き血液(ちしほ)の冷えぬ間に / 明日(あす)の月日はないものを。……

前々回掲載したロレンツォ・イル・マニーフィコの『バッカスの歌』について触れながら、塩野七生さんが『わが友マキアヴェッリ―フィレンツェ存亡』(新潮文庫、平成二十二年五月一日)の中で次の事に言及しています。

「この推論の根拠は、ロレンツォのこの詩(うた)が、フィレンツェにとどまらずにヴェネツィアでも大流行し、ヴェネツィアではとくに、ずいぶんと後代になっても謝肉祭中は欠かせない歌になっていたという事実である。それを上田敏か誰か、ヴェネツィア旅行をした日本人の文人が聴き知り、日本にもどってきて話したのが、吉井勇にヒントをあたえた、とまあこんな具合である。『ゴンドラの唄』と題されたのも、ヴェネツィア経由であったからではないかと…。」

実は私は、『海の都の物語』の著者のこの意見を長い間、信じていました。最近森鷗外訳、アンデルセンの『卽興詩人』を読み返し、何か疑問のような蟠りが仄かに芽生えてきました。それは次の鷗外の訳文です。
森鷗外[森鷗外。『ヨコハマ経済新聞』サイトより借用] 「…我は艙板の上に坐して、藍碧なる波の起伏を眺め居たるに、傍に一少年の蹲れるありて、ヱネチアの俚謠を歌ふ。其歌は人生の短きと戀愛の幸あるとを言へり。ここに大槪を意譯せんか。其辭にいはく。朱の脣に觸れよ、誰か汝の明日(あす)猷在るを知らん。戀せよ、汝の心の猷少(わか)く、汝の血の猷熱き間に。白髪は死の花にして、その咲くや心の火は消え、血は氷とならんとす。來れ、彼輕舸の中に、二人はその盖(おほひ)の下に隱れて、窓を塞ぎ戸を閉ぢ、人の來り覗ふことを許さゞらん。

少女よ、人は二人の戀の幸を覗はざるべし。二人は波の上に漂ひ、波は相推し相就き、二人も亦相推し相就くこと其波の如くならん。戀せよ、汝の心の猷少く、汝の血の猷熱き間に。汝の幸を知るものは、唯々不言の夜あるのみ、唯々起伏の波あるのみ。老は至らんとす、氷と雪ともて汝の心汝の血を殺さん爲めに。」
  ――『鷗外全集 第二巻』(岩波書店、昭和四十六年十二月二十二日)『卽興詩人』より

この『ゴンドラの唄』について渉猟してみました。PC上で相沢直樹先生が『山形大学紀要第16巻3号』に《『ゴンドラの唄』考》を書かれたものが掲載されています。その中で大正5(1916)年5月に『新演藝』誌上に発表された吉井勇の公開書簡《松井須磨子に送る手紙》が引用されていました。
吉井勇[吉井勇。高知工科大学《吉田研究室》サイトより借用] 《「その前夜」が上場されるに就て、その脚色者である楠山君から唄を作る事を頼まれて喜んでそれを引き受けたのは無論友達の脚本と云ふ事もありますが、ひとつには又あなたに對する、憧憬もないではなかつたのです。この時作つた「ゴンドラの唄」は實を云ふと鷗外先生の「卽興詩人」の中の「妄想」と云ふ章に、

「其辭にいはく、朱の唇に觸れよ、誰か汝の明日あるを知らん。戀せよ、汝の心猶少く、汝の血は猶熱き間に、白髪は死の花にして、その咲くや心の火は消え、血は氷とならんとす。來れ、彼輕舸の中に。二人はその蓋の下に隠れて、窓を塞ぎ戸を閉ぢ、人の來り覗ふことを許さざらん。少女よ。人は二人の戀の幸を覗はざるべし。二人は波の上に漂て、波は相擁し相就き、二人も亦相擁し、相就くことは其波の如くならん。戀せよ、汝の心の猶少く、汝の血の猶熱き間に。」とあるのから取つたものですが、幸か不幸かその節が稍難しかつた爲めに、あまり流行せずに濟んでしまひました。》[鷗外はゴンドラを《輕舸》と訳したようです]

これは大正4(1915)年、島村抱月の藝術座がロシアのツルゲーネフの『その前夜』を舞台化し、帝劇で松井須磨子の主演で上演し、第4幕の《ヱ゛ネチアの町 大運河の岸》の場で歌われた劇中歌だったのです。

イタリアに大変な興味を抱いていた、デンマークの詩人アンデルセン(正確な発音はアネルセン?)は、当然ロレンツォ豪華王の『バッカスの歌』は読んでいたでしょうし、イタリアを経巡り、ヴェネツィアに行った時、そういう耳でヴェネツィアの歌も聴き、『卽興詩人』を完成させたに違いありません。2011.07.16日に 文学に表れたヴェネツィア―アンデルセンを書きました。   
  1. 2012/03/31(土) 00:01:48|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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