イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ツルゲーネフ

「本稿が考察の対象とするのは,大正時代の流行唄として知られる『ゴンドラの唄』(吉井勇詞,中山晋平曲)である。
 この歌の冒頭に置かれた「〽いのち短し,恋せよ,少女」(今日ではしばしば「命短し,恋せよ乙女」と表記されることもある)という,いささかあざといまでに直截的な一節を覚えている人は少なくないと思われるが,この歌がもともと,島村抱月率いる藝術座(芸術座)によってロシアの文豪ツルゲーネフの小説『その前夜』(1860)が舞台化され,大正4年(1915)の帝劇公演において松井須磨子の主演で上演された際の劇中歌として生まれたことは,それほど知られていないのではなかろうか。……」
と相沢直樹先生は『山形大学紀要』第16巻3号に《『ゴンドラの唄』考》を書き起こされています。

そして当時の新聞記事を次のように引用されています。
「久しく各地を巡業して居た島村抱月氏等の藝術座員は今度暫く振りで東京へ戻つて來て此の廿六日から卅日迄の六日間の帝國劇場で華々しく新劇を開演する事になつた狂言は第一ツルゲエネフ原作 楠山正雄脚色 吉井勇作歌の悲劇「その前夜」。第二中村吉蔵作社會劇「飯」。第三オスカー、ワイルド原作 島村抱月 中村吉蔵合譯の新古典劇「サロメ」。

俳優は例に依て松井須磨子、武田正憲等の顔觸であるが、最初の「その前夜」は、十九世紀中葉頃の露西亞を背景にして稍眼覺かかつた智識階級の生活状態を戯曲的に面白く描いたもので、女主人公はエレエナ。男主人公はインサロフと云て前者は理想的空想的な露西亞の懶惰に倦きて力強い現實を求めてゐる女性、後者はブルガリアの革命家で實際的の手腕家であるが夫が偶々相逢て遂に強い戀に落ち自由結婚する事になつた處折からブルガリアの風雲急を告げて革命の機運が來たので二人は露西亞を後に出發しヴエニスの客窓で便船を待つてる内、インサロフは不治の肺患が重つて志を抱いた儘死し、エレエナは一人寂寥の中に悲しい生を續けて行くといふ筋で、雪に埋もれたモスクワ郊外の別離、伊太利港の客舎邊は泣かせる。俳優も皆達者にやつてゐる。……」
とあり、当時の様子が想像されます。

『決定版 ロシア文学全集 3』(ツルゲーネフ『父と子』『その前夜』『初恋』米川正夫訳、日本ブック・クラブ、1969年9月20日)の『その前夜』を読んで見ました。

モスクワ郊外のヴィッラで恋し合う仲になったエレーナとインサーロフ(ブルガリア人)は、両親に隠れて結婚します。ブルガリアがトルコとの戦争で風雲急を告げ、愛国者インサーロフはエレーナ共に、ウィーンを経てヴェネツィア経由で帰国しようとします。

「……カナレッチイもグワルジイも(近代の画家にいたっては、今さらいうまでもない)あの銀色にふるえるデリケートな空気や、遠ざかるが如くみえて、しかも間近に感じられる遠景も、たとえようのない優美な輪郭の奏でだす驚くべき諧音、溶けて行くような色彩のコーラスも、画布に伝える事ができなかった。すでに己の生涯を終って、人生に打ち砕かれた人間は、ヴェニスを訪れても無意味である。それは青春時代におけるはかない空想の思い出のように、苦い味わいを蔵しているだろう。けれど、まだ生の力が湧き返っている人、自分の生活を平穏無事と感じている人にとっては、これほど甘味な都はないだろう。
[カナレッチイとグワルジイとは、Canaletto と Guardi のことでしょう]
……
 食後二人は劇場へ赴いた。
 劇場ではヴェルディのオペラが演じられていた。それは、正直なところ、かなり俗悪なものだけれど、もうあまねく欧州の劇場に広まって、ロシアでもよく人に知られている歌劇「トラヴィアタ」である。ヴェニスのシーズンはもう終っていたので、歌手はみな凡庸の域を脱しない連中で、誰も彼も根かぎりの声を出して、わめき立てていた。ヴィオレッタの役を勤めていたのは、あまり評判のない女優で、見物の冷淡な態度から見ても、大して人気はなさそうであったが、ある程度まで才能の閃きが認められた。
……
 インサーロフとエレーナの泊まっているホテルは、リヴァ・ディ・スキャヴォーニに面していた。二人はそこまで行き着かないうちにゴンドラを下りて、聖マルコ広場の附近を何度も往復した。無数に並んだアーチの下には小さなカフェーがあって、その前に呑気そうな連中がうようよ集まっていた。 
 
愛する人と一緒に、知らない町で知らない人たちの間を歩くのは、なぜか格別楽しいものである。何もかも美しい意味ありげに思われて、すべての人々にたいして、自分自身を充たしている幸福と平和を祈ってやりたいような気がする。 ……」
  ――『決定版 ロシア文学全集 3』(ツルゲーネフ『父と子』『その前夜』『初恋』米川正夫訳、日本ブック・クラブ、1969年9月20日)より

この直後、インサーロフは既にロシアで兆していた病、肺と動脈癌のためヴェネツィアの宿で客死します。イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ(1818.11.09~1883.09.03)はロシアの Oryol に生まれ、パリ郊外の Bougival で亡くなりました。彼はヴェネツィアに行ったことがあるのでしょうか。
イワン・ツルゲーネフ[wikipedia から借用。ワシーリー・ペロフ画『ツルゲーネフの肖像』(1872)] ヴェルディがヴェネツィアで初演・再演した『椿姫(ラ・トラヴィアータ)』については、2007.11.17日の Campo S. Luca と2009.01.03日の サン・ベネデット劇場 でも言及しました。フェニーチェ劇場での初演は不首尾に終わりましたが、翌年何の変更もなしに近くのサン・ベネデット劇場で再演し、大成功だったそうです。ヴェルディ自身も不思議がった手紙を残しています。
  1. 2012/04/07(土) 00:05:46|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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