イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア―ミッシェル・ロヴリック&ミンマ・バーリア

ミッシェル・ロヴリック&ミンマ・バーリア著『ヴェネツィアの薔薇――ラスキンの愛の物語』(富士川義之訳、集英社、2002年1月30日)というジョン・ラスキンとローズ・ラ・トゥーシュの恋を描いたエッセー風の物語があります。著者達はラスキンの死後、ローズとの往復書簡が近親者によって焼却されているので、近年の伝記的研究の成果を元にこの恋物語を描いたようです。
ミッシェル・ロヴリック&ミンマ・バーリア『ヴェネツィアの薔薇』「……ふたたび、ヴェネツィアの魔法や街と運河の迷路が、不意打ち的にラスキンをとらえ、頭にガツンと一撃をくらったような歓喜と認識をもたらす。これこそもう一度ぜひ見ておきたかったヴェネツィアなのだ。健康を回復させてくれるヴェネツィアなのだ。

彼はヴェネツィアの美しさや、その街をまたはっきりと認めることができたことにすっかり胸をなでおろしていたから――それに、いま出会ったばかりの美しい聖母マリアそっくりの娘のことを思って気を散らしてもいたから、これから自分がどこへいこうとしているのか、そんなことには無頓着だった。

そして気がついてみると、スクオーラ・ディ・サン・ジョルジョ・デッリ・スキアヴォーニ礼拝堂の前に立っていた。《ああ――と、わたしは独り言を言った。〈小熊像〉がここで立ちどまるようにと言っているのだ。》

礼拝堂の内部は、こぢんまりとして魅力的だった。見るものは一階の低い梁(はり)の下に素朴な、だまし絵(トロンプ・ルイユ)的効果で描かれた聖人伝に基づく連作画である。ラスキンはそれら名品のうち聖ゲオルギウスを描いたカルパッチョを丹念に調べていた。

効果はてきめんだった。言葉がまるで蜜蜂のように彼を満たしはじめたのである。これらの絵は、と彼は書いている。さながら、《どこかの静かな炉床の上の残り火のように》輝き、《夕暮時に、親友たちが来るのを坐って待っている部屋のなかへと持ちこまれたり……あるいは千年前の家庭でクリスマスの夜のために飾られたつづれ織り(タペストリー)を思わせる……》

足もとにローズが膝を丸めて坐り、自分の話す物語にじっと耳を傾けていた遠い昔のことを思い出していた。
……
サン・マルコ広場を横切り、サン・マルコ寺院が見えると、彼はいつもうっとりとしながら深呼吸をする。真珠色の列柱が目に止まり、乳白色の梁(はり)の受け材に目を走らせる。サン・マルコ寺院の正面はモザイク、ブロンズ製の馬像、天使像、柘榴(ざくろ)模様の装飾で覆われている。しかもその内部には! 略奪した珊瑚(さんご)、縞(しま)大理石、それにビザンチンの金細工でできたカササギの巣があるのだ!

サン・マルコ広場は高潮(アックア・アルタ)のため水浸しになっている。ラスキンは水面がぴんと張って反射レンズのようになり、とつぜん二つのサン・マルコ寺院――一方は明るく、他方は青白い――が映るのを見る。二つの鐘楼(カンパニーレ)は大地の腹に釘で打ちつけられているように見える。

すべてのヴェネツィアの鏡と同じく、この水鏡も小さな斑点をつけている。銀白色の水は鳩達の落したちっぽけな白い羽毛だらけになっているのだから。白い羽毛、それはローズが堅信礼のときに着たドレスの上のレースのように白い。 ……」
  ――『ヴェネツィアの薔薇――ラスキンの愛の物語』(ミッシェル・ロヴリック&ミンマ・バーリア著、富士川義之訳)より

ラスキンは何度ヴェネツィアを訪れているのでしょうか。最初は1845年26歳の時と年表にあります。通称エフィー・グレイ(ジョンと離婚しエフィー・ミレーとなる)と結婚する以前のことです。またローズが亡くなったその翌年1876年に最後から2番目となるヴェネツィア行をしています。この物語の設定はその時のことでしょうか。

レデントーレ教会が望めるザッテレ海岸通りのジェズアーティ海岸通り(Fdm.Zattere ai Gesuati)の一角、カルチーナ小広場(Cp.de la Calcina)の781番地に次のようなプレートが掲げられています。
ジョン・ラスキンの碑《ジョン・ラスキンは1877年この家に住んだ。彼はわが町の石造物、我らがサン・マルコ、イタリア中のモニュメントの美の司祭であった。創造者の心、人民の魂と共に、あらゆる大理石、青銅、画布等あらゆる物を探し出し、美とは宗教であり、人間の才能は美を創造するものであると言明し、人々に甚く崇敬された。感謝を込めて、ヴェネツィア市、1900年1月26日。》
  1. 2012/07/14(土) 00:03:16|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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