イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアを撮影した映画(1)

《日本におけるイタリア2001》年に始まった《イタリア映画祭》が、今年も5月連休に開催されます。今年、特別上映される『シュン・リーと詩人(仮題)』は、ヴェネツィア対岸にある、小さなヴェネツィアとも呼称されるキオッジャが舞台のようです。見逃す訳にはいきません。
イタリア映画祭2012イタリア映画祭内容イタリア映画祭内容 イタリア映画祭2001図録2001年映画祭図録 イタリア映画祭広告1980年代のイタリア映画祭1980年代に始まったイタリア・ブーム中、渋谷や六本木、大森など数ヶ所の映画館で行われた《イタリア映画祭》があり、何本か見た作品の中に題名は記憶から抜け落ちてしまいましたが、ヴェネツィアが舞台だったものもありました。また例えば1986年の映画祭の作品を列挙してみれば、『マカロニ』(エットレ・スコーラ監督)『女たちのテーブル』(マーリオ・モニチェッリ監督)『女テロリストの秘密』(ジュゼッペ・ベルトルッチ監督)『ドレスの下はからっぽ』(カルロ・ヴァンツィーナ監督)等、12作品が上演され、『マカロニ』の上映ではエットレ・スコーラの舞台挨拶があったように記憶します。

今回ナンニ・モレッティ監督『ローマ法王の休日』が上映されますが、モレッティと言えば熱烈なファンが沢山あり、次のようなファンクラブ冊子や映画会がありました。
ナンニ・モレッティ会報シネマ通信シネマ通信後記モレッティ映画会チラシ  チネテーカ・イタリアーナ無声映画『カサノヴァ回顧録』解説またイタリア文化会館で1980年代《チネテーカ・イタリアーナ》と題して数年間定期的に上映されていた映画の中に、ヴェネツィアを舞台にしたものもありました。記憶にあるのは、ルイージ・コメンチーニ監督(『ブーベの恋人』『天使の詩』等)の『カサノヴァ回顧録(ヴェネツィア人ジャコモ・カサノヴァの幼年期及び天職と青春体験)』(1969)です。少年時代のカザノーヴァの成長していく模様がヴェネツィアの現風景の中で描かれていました。

同じカザノーヴァを描いても、フェデリーコ・フェッリーニ監督の『カサノバ』では現実のヴェネツィアの街は使われていません。我々が目にするのは想像力豊かなチネチッタのセットです。大変面白かったマーシャル・ハースコヴィッツ監督の『娼婦ベロニカ』では、アンリ3世がヴェローニカの家に訪れるシーン等、運河の場面が何度も登場しましたが、これもチネチッタのセットでした。ヴェローニカ・フランコについては、2010.09.18~10.09日に―《文学に表れたヴェネツィア―ヴェローニカ・フランコ(1)~(4)》―で触れています。

私が初めて映画の中でヴェネツィアの街を見たのは、高三の時、ルキーノ・ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』(1954)の中ででした。ずっと後にビデオ屋さんからテープを借りてきて見ると、完全に忘れていたヴェネツィアのシーンが少しずつ蘇ってくる思いでした。この映画の原作は、音楽家でオペラ『メフィストーフェレ』の作があり、ヴェルディの『オテッロ』『ファルスタッフ』の台本の協力者となったアッリーゴ・ボーイトの兄、建築家のカミッロ・ボーイトが書いた『Senso(感覚、官能とも)』です。2010.03.27日に―《文学に表れたヴェネツィア――ボーイト―を書いています。
夏の嵐(1)夏の嵐(2)夏の嵐(3)[2004年ヴィスコンティ映画祭パンフレット] 同じ頃、NHKラジオ第二放送で週一度午後ジャズやタンゴ、シャンソン(蘆原英了氏担当)等の音楽紹介の時間があり、ジャズ評論家油井正一氏が、モダン・ジャズを紹介しました。そこで初めてモダン・ジャズ・カルテットの音楽を聞いたのです。アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズが来日するずっと前のことで、まだモダン・ジャズという言葉が耳新しい頃でしたが、映画『グレン・ミラー物語』でジャズの洗礼は受けていました。それがM.J.Q.の“No Sun in Venice”でした。

ジョン・ルイスが、仏人監督ロジェ・ヴァディムの映画『大運河』用に、そのシノプシスだけを渡され作曲したもので、放送から何年も後に(1956年)東京でも一般公開され、このM.J.Q.の『たそがれのベニス』を映画の中で聞きました。冒頭“The Golden Striker”が聞こえます。映画画面の始まりは、ヴェネツィアの当時既に映画館となっていたロッスィーニ・オペラ劇場前の劇場橋(P.del Teatro)からです。当時のこの近辺の賑わいが感じられました。劇場は現在は廃墟同然です。2007.11.17日に―《Campo S.Luca》―と2009.01.03日に―《サン・ベネデット劇場》―と関連記事を書いています。You Tube で―《The Golden Striker 》―をどうぞ。

キャサリン・ヘップバーン主演、デヴィッド・リーン監督の『旅情』(1955)を見たのも同じ頃だったでしょうか。ヴェネツィアに行くようになり、このテープをビデオ屋さんから何度も借りて見ました。ヴェネツィアを見せるために、リーン監督のワザは大変なもので、ヘップバーンがサン・マルコ大聖堂を目にするに至る道程の描き方は本当に考え抜かれた演出と感心しました。

見る度に新しい発見があったりします。最近もヘップバーンとロッサーノ・ブラッツィの恋が成就し、一夜を過ごしにある館に入っていくのですが、ヴェネツィアに唯一残存する欄干のない橋として有名な《キオード橋》を渡って入館するという設定になっていました。2011.08.20日に―《ヴェネツィアの橋(2)》―として、《キオード橋》と『旅情』の原作にも触れました。

映画でも登場するサン・バルナバ運河の、船の八百屋さんは拳骨の橋の下にあり、日本でも知られていますが、昨年など船上が空でした。以前傍の語学学校に通っていましたので、時々帰宅途中ここで野菜や果物を買いました。特徴のある顔の男性(双子or兄弟?)が交代で店に居たので記憶にありました。船が空になり、直前の陸の八百屋を見ると特徴のあるその顔がありました。船での八百屋は辞めたのかなと思っていましたら、次のブログに出会いました。――をご覧下さい。

ヴェネツィアの総督宮殿の、潟側の左の角の彫刻[フィリッポ・カレンダーリオ制作の『アダムとエヴァ』の彫刻――総督マリーノ・ファリエールの陰謀事件に連座して絞首刑になった10人の一人]からカメラは左のサン・マルコ小広場へ向かってパンして行くことで始まり、終わりにはまた、カメラが小広場側から角の彫刻に戻っていくというカメラ・ワークで終わる映画、米人監督ジョセフ・ロージーの仏映画『エヴァの匂い』は、ジャンヌ・モロー演じるエヴァの悪女振りに驚嘆刮目しました。

ジェイムズ・ハドリー・チェイスの『悪女イブ』(小西宏訳、創元推理文庫、1963年)を原作とするこの映画は、ジャンヌ・モローが若い時、詩人のジャン・コクトーに将来これを演ずるようにと『悪女イブ』を薦められていたのだそうです。長年胸に温めていたこの役を演じるモローは凄絶濃艶です。

エヴァがヴェネツィアのある館の一室で、ベッドに寝そべって聞く、ビリー・ホリデーの歌う“Willow weep for me”には胸がじーんとなります。You Tube で彼女の歌を見つけました。そして長年彼女の歌のピアノ伴奏を勤めたマル・ウォルドロンが、彼女が亡くなった時、その死を悼んで作曲した(追記: そうではなく生前の彼女に贈った曲)“Left Alone”(彼女はその曲に作詞した)もありました。共演のジャッキー・マクリーンの咽ぶようなテナーサックスの叫びは胸に突き刺さります。You Tube でどうぞ。 ―《Willow weep for me》――《Left Alone》―です。

[何年か前ラジオを聞いていると、長い間日本にも住んでいたヘレン・メリルが久し振りに来日し、不思議なテープを聴かせてくれました。それは彼女のデビュー前、ビリー・ホリデーのパーティで、偶々2人がドュエットでジャズをハモって歌うテープでした。曲名は失念しましたが、興奮しました。]
  1. 2012/04/14(土) 00:31:44|
  2. ヴェネツィアに関する映画
  3. | コメント:8
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コメント

ペさんのヴェネツィア

こんにちは。なんという豊穣な知識と感性が詰まった記事でしょう! 私のブログなら数回に分けて書かれる内容がぺさんのこの文章に凝縮されていて圧倒されながら興味深く読みました。
ぺさんとヴェネツィアの因縁は高校生のころからすでに始まったのだと納得しました。
これらの映画はまだ見ていない幾つかはもちろん、すでに見たものも含めてもう1度全部見るつもりです。
素敵な、そして貴重な記事をありがとう。
  1. 2012/04/18(水) 14:37:07 |
  2. URL |
  3. September30 #MAyMKToE
  4. [ 編集 ]

september さん、コメント有難うございます。
ヴィスコンティの『夏の嵐』やMJQのNo sun in Venice がヴェネツィアと関係があると、
改めて気付いたのは後年この街に興味を持つようになってからでした。そして名状し難い
不思議な因縁を感じました。
先日テレビを見ていて、アメリカにもヴェネツィアがあることを知りました。ラスベガスに
運河があり、ゴンドリエーレがゴンドラを漕いでいました。
それにしても淀川長治さんじゃないですが、映画って本当に楽しいですね。
  1. 2012/04/19(木) 12:41:29 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
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ぺさん、ラスベガスにはヴェネツィアもあればパリもあります。(笑い)
フェイクもあれほど極限までいってしまうと逆にそれ自体がひとつのアートになっていますね。ちょうど映画のセットの中にいるようなものです。
ラスベガスの友人Y子さんは同級生ですが、昔は紺屋町の石田やさんの向かいの裏のほうに住んでいました。
  1. 2012/04/19(木) 13:44:37 |
  2. URL |
  3. September30 #MAyMKToE
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September さん、色々な事を思い出しました。
紺屋町の、Y子さんが住んでいた辺りは子供の時の遊び場でした。あのヴェネツィアのように狭い入り組んだ路地は鬼ごっこ(旅鬼)の絶好の場所でした。
裏の紺屋町全域がその地域なのでした。
三村呉服店前の床屋の右隣のヴェネツィアのソットポルテゴのような路地を抜けて行くと、加茂川の際に、松田たんす店の材木置き場があって、
長い板が井形に組み上げてあり、中が空洞で隠れるのに絶好でした。
しかし、余りにうまく隠れてしまうとだれも見付けてくれないのでつまらなく、結局外に出て見付かってしまうのでした。
  1. 2012/04/19(木) 15:54:35 |
  2. URL |
  3. pescecrudo #/plE8HKU
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紺屋町で私もいろいろと思い出しました。テニス部で1年上級だった石井のクンちゃんの両親がやっていた「レナウン」という洋装店。それから現在鳥大医学部の学長をやっている能勢隆之は私と同年であの裏の方に住んでいたし、紙子屋の紙本節子、タンス屋の松田律子、時計屋の亀井起代、人形屋の長谷川町子(私の従妹)、鍛冶屋の神野壮六、それから法勝寺町へと行くと、刃物屋の山口富記子、呉服屋の田中敦子(私の従妹)、みんな幼稚園からの同級でした。なぜか女の子が多かった。
  1. 2012/04/19(木) 17:59:12 |
  2. URL |
  3. September30 #MAyMKToE
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september さん、石井のクンちゃんと言えば、もうだいぶ前のことですが、妻の友人が、知ってる人を連れてきたよと言って、
北里病院の同僚だったクンちゃんを連れて家に現れたことがありました。何十年振りかの出会いでした。
クンちゃんがテニスを始めたのは、松田一三さんの影響でしょうね。
列記された名前も店も思い出されますが、一つだけ、山口の刃物屋が思い浮かばず妻に聞くと、野坂の古本屋と田中の呉服屋の間で、
そこのお嬢さんと話したことがあると言われました。
小学生時代の同級生は男女とも姓名、氏名までをちゃんと覚えているもののようです。
  1. 2012/04/20(金) 03:05:00 |
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  3. pescecrudo #/plE8HKU
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ペさん、石井のクンちゃんと会ったんですか!
彼はテニス部のキャプテンをしていた時に私とペアを組んで個人、団体の両方で1年間全優勝しました。
私が生意気だということで数人の上級生に呼び出されて制裁を受けそうになった時、話をつけて救ってくれたのはクンちゃんです。
そういえばペさんの妹さんも松田のいっちゃんの妹さんのタカちゃんといっしょにテニス部でしたね。
何度もしつこくごめんなさい。
つい懐かしさに我慢ができませんでした。
  1. 2012/04/20(金) 14:17:53 |
  2. URL |
  3. September30 #MAyMKToE
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September さん、松田の一ちゃんと明道校の前の三保さんのペアが優勝したことを覚えています。あれ以来あの辺りの児童は
テニス部に入る子が増えたように思います。誠之助君を始め、クンちゃん、たかちゃん、妹。二中はコートが絶好の場所にありました。
妹は私の同級生木下らにシゴかれた等言っていました。先輩がよく教えに来てくれたものでした。
  1. 2012/04/21(土) 07:22:54 |
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  3. pescecrudo #/plE8HKU
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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