イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――パトリシア・ハイスミス

パトリシア・ハイスミス著『ヴェネツィアで消えた男』(富永和子訳、扶桑社ミステリー文庫、1997年2月26日)を読んでみました。これはアラン・ドロン主演の仏映画『太陽がいっぱい』の原作を書いた作家の作品です。ミステリー研究家小山正氏の、この本のあとがきの《解説》によれば、ミステリー作家スタンリイ・エリンはミステリーを“logical and unexpected”な文学形式だと言ったそうです。
『ヴェネツィアで消えた男』しかしこの作品はミステリーと呼ぶほどの謎解き性は希薄で、ペギーという妻に自殺された夫レイと、娘婿レイが娘を自殺に追いやったと思い、恨みに思う父親コールマンとの確執がヴェネツィアという街で進行するというエンターテインメントです。ハイスミスはヴェネツィアを描くためにそんな筋立てを考えたものと思われます。

「……彼はサン・マルコ広場の回廊にある煙草屋に寄り、切手を買って、二通とも店の表にあるポストに投函した。まだ約束の時間には十分ある。広場をのんびり歩いていると、やがて小柄で均整のとれたイネズの姿が目に入った。ハイヒールを鳴らしながらサン・モイセ通り角からこちらにやってくる。
《おはよう!》彼はイネズがまだ彼に気がつかないうちに声をかけた。
……
レイは四時ごろ医者に行った。その診療所は時計塔の裏のフィウベラ通りに面した埃っぽい古い建物の中にあった。医者はレイの体温を測り、熱があるといったが、ペニシリンはくれず、かわりに大きな白い錠剤の袋をくれて家に帰って休めといった。
……
レイは少し離れてそのあとをつけた。彼女は右に曲がり、ヴァラレッソ小路に入った。そこの角には〈ハリーズ・バー〉があり、突きあたりには水上バスの停留所がある。どうやら彼女は船に乗るつもりらしかった。桟橋には何人か水上バスを待っていた。
……
彼らはサン・トゥロヴァソ運河に沿ってザッテレ埠頭のほうに歩いていった。どちらがザッテレに向かったわけでもなく、なんとなく曲がっているうちにその道に出たのだった。このあたりの歩道は細かく、曲がりくねっていて、ヴェネツィアのほかの場所より古く素朴で貧しく見えた。
……
レイは四十五分ほどでホテルへ行くと答えた。それから再び本土に渡り、デラ・サルーテのひとつ先のジーリオに行った。このあたりはヴェネツィアでもとくに美しいところだった。スキャヴォーニ埠頭、水を隔ててすぐそこにドゥカーレ宮殿とサン・マルコの鐘塔が見えるデラ・サルーテ。

デラ・サルーテ停留所では、偉大な教会が急にいちだんと大きくなり、ちっぽけな水上バスにのしかかってくるように思える。その次がグリッティ・パレス・ホテルだった。コールマンは生きている、レイはそう感じた。
……
イネズは彼の膝を見るといいはり、タオルで冷やしたほうがいいといって、水に濡らしたタオルを浴室から持ってくると、ベッドが濡れないようにもう一枚をその下に敷いた。今日はデラ・サルーテで、このヴェネツィアを千六百年のあいだ天然痘から守ってくれた神に感謝するお祭りがあったの、彼女はそういった。そもそも、それがサンタ・マリア・デラ・サルーテ寺院建立の理由だったのだ。 ……」
  ――パトリシア・ハイスミス『ヴェネツィアで消えた男』(富永和子訳、扶桑社ミステリー文庫、1997年2月26日)より

サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会は2009.06.20日の総大主教のセミナーリオでも若干触れましたように、ヴェネツィアで猛威を振るったペストの鎮静化に感謝して、1630年10月22日元老院は聖母マリアに捧げる教会を建てることを決めました。建築はバルダッサーレ・ロンゲーナに依嘱され、1631年4月1日から1687年まで掛かりました。ロンゲーナが1682年に亡くなった後は、アントーニオ・ガースパリの手で完成に漕ぎ着けます。

完成後1687年11月21日、総督マルカントーニオ・ジュスティニアーン(1684~88)はヴェネツィア市民がペスト終焉を聖母に感謝し、信心の証として毎年この日にサルーテ教会に詣でるようにと、サンタ・マリーア・ゾベニーゴ(伊語、サンタ・マリーア・デル・ジーリオ)教会前のトラゲット広場と対岸のトラゲット通りを結ぶ仮の votivo の橋を、7月のレデントーレ教会の祭日の時のように大運河に架橋しました。
サルーテ教会へのお詣りの浮橋。Alvise Zorzi『Venezia ritrovata』から借用Alvise Zorzi『Venezia ritrovata 1895-1939』から借用。左端の館はピザーニ・グリッティ館と呼ばれ、今はホテル・グリッティ・パレスでヘミングウェイが愛用したことで知られます。現在(2012.08.09)建物全体がテントを被り工事中です(壁面だけを残し、内部は空洞だそうです)。
追記(2013.02.05日): 15ヶ月の工事で再オープンしたそうです。次の記事をどうぞ。La Nuova di Venezia

訳文の《水だ! 水を一杯頼む!》のルビに《アクア! ウン・ビツチエレ・ドウ・アクア・ペール・フアヴオーレ!》(ルビは原則全て小字)となっていたので、最初《ビツチエレ》に大変戸惑いました。Acqua! Un bicchiere d'acqua, per favore! のことでしょう。ヴェーネトのワイン valpolicella をヴァルポリツェラとするなど、首を傾げる表記はままあります。天然痘(日本文献初登場は1830年とか)は、古くは疱瘡、痘瘡と言われ、ペスト同様恐ろしい伝染病だったそうですが、現在国内では根絶されたとか。
  1. 2012/08/11(土) 00:01:46|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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