天正のローマ使節(1)2008 / 03 / 21 ( Fri )
初めてヴェネツィアを訪れた日本人は、天正時代(1573-92)の4人の少年(青年)達、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルティノとそのお付の人々だったことはよく知られています。
『カトリック大辞典』で彼らの足跡を辿ってみます。 リヴォルノに1585年3月1日上陸、ピーザ、フィレンツェ、シエーナ、ヴィテルボ、バニャイア、カプラローラを経てローマに到着、グレゴリウス13世に拝謁しました。その直後教皇が亡くなり、コンクラーベを経て選出されたシクトゥス5世にもお目通りが叶い(その間2ヶ月強)、その後イタリアを旅しながら帰国の途に付きます。 チヴィタ・カステッラーナ、ナルニ、スポレート、モンテファルコ、フォリーニョ、アッシージ、ペルージャ、カメリーノ、トレンティーノ、マチェラータ、レカナーティ、ロレート、アンコーナ、セニガッリア、ファーノ、ペーザロ、リーミニ、チェゼーナ、フォルリ、イーモラ、ボロンニャ、フェッラーラ、キオッジャ、ヴェネーツィア。この町には、ローマ以外では一番長く9日間逗留しました。 その後パードヴァ、ヴィチェンツァ、ヴェローナ、マントヴァ、クレモーナ、ローディ、ミラーノ、パヴィーア、ヴォゲーラ、トルトーナ、ノーヴィ、ガーヴィ、ジェーノヴァ。ここから船でスペインに向かいました(1585年8月8日)。 彼らがヴェネツィアに到来したのは1585年6月26日でした。彼らの行動のあらましを『九州三侯遣欧使節行記』(ルイス・フロイス著、岡本良知訳注、東洋堂、1942)から抜粋してみますと次のようです。 6月26日=誓願修舎の客室に一泊。夜、教皇使節来訪。 6月27日=ヴェネツィア総大司教、ドイツ皇帝大使及び諸国の大使・貴顕の来訪。市内数ヵ所の聖堂を訪問。 6月 28日=総督ニコロ・ダ・ポンテ(当時95歳)の謁見式が総督宮殿で。日本服1着、刀1振、短刀1振贈呈。その後、武器室、第十参議会室、宝庫を参観。昼食後ムラーノ島のガラス工場を見学。 6月29日=この日は聖ペテロと聖パウロの祝日であったが、毎年聖マルコの祝日(6月25日)に行われる習しであったヨーロッパでも有名な豪奢な行列がこの日に延期され、それを参観。 6月30日=大会議室にて歓迎会。 7月1日=教皇使節の宴会。 7月 2日=聖母御訪問の祝日でミサを聞き、天主堂で聖体拝領。 7月 3日=造船所、リードの2城塞を訪問。 7月 4日=政庁に告別に赴く。大会議室に彼らの姿を記念に残すことになり、ティントレットに描かせた(マンショの物だけが完成したが、いまだ未発見)。昼食後政庁は一行に贈物をした。 「高価な象牙製の十字架4個、美麗に彩色された鏡4面、立派な種々の硝子器の入った美しい函(硝子器が500個以上)、濃紅色天鵞絨の織物2反、グラン染織物2反、濃紫色琥珀織物2反、繻子2反、金襴の織物2反(1反は濃紅色、他は薔薇色でヴェネツィアで最も珍重される絹地であり、色合いであった)、金襴錦織物2反」。 7月5日=サンタ・マリーア・デッラ・カリタ大同信会館を来訪、ヨハネス・ベッサリオン枢機卿の残された聖遺物を拝観。ヴェネツィアを発つ。 使節が贈られた「美麗に彩色された鏡4面」とは、当時ムラーノ島でしか出来なかった平面鏡のことでしょう。フランス人は何十年もかけてムラーノの職人を引き抜き、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間を完成することが出来たようです。 「金襴の織物2反(1反は濃紅色、他は薔薇色でヴェネツィアで最も珍重される絹地であり色合いであった)」とは、前回に書いたヴェネツィア人の「赤」好きの、正にその色合いではないかと想像されます。当時香辛料貿易が落目になったヴェネツィアの輸出品としては、ヴェネツィア製の高級織物、絹織物や毛織物、綿織物が地中海世界で持てはやされていたという記述は目にしました。 NHK教育テレビのイタリア語講座は、4月からは講座が展開する町がヴェネツィアのようです。毎回この町の風景が楽しめそうです。 近年伊東マンショの肖像画が発見されました。次のサイトでご覧になれます。 http://www.h6.dion.ne.jp/~be.happy/travel-itoumannsyo.htm 伊東マンショの肖像画 |
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1933年の映画『未完成交響曲』はヴィリ・フォルスト監督で、ウィーンの舞台俳優
ハンス・ヤーライとブダペストの舞台女優マルタ・エゲルトが演ペッシェクルード文学に表れたヴェネツィア――シュニッツラーこんばんは、 再度です。
古い映画の話になると、とたんに懐かしくなって・・!
ああ、やはり、そうですね。 ヴィエンナでした。
「未完成交響曲」と言うと、最後のshinkai文学に表れたヴェネツィア――シュニッツラーshinkaiさん、コメント有難うございます。
「シュニッツラー、黄昏、映画」で検索してみました。1934年『たそがれの維納
(ウィーン)』というオーストリア映画が、パウラペッシェクルード文学に表れたヴェネツィア――シュニッツラーこんにちは!
ああ、この部分は素敵ですねぇ!
カザノヴァの抑えた、でも隠し切れない弾む心を感じさせますね。 望郷の念、ですね。
シュニッツラーというと、[shinkaiSeminario Patriarcale(教皇庁セミナーリオ)september30さん、コメント有難うございました。
私も単なる物珍しさだけから大歓迎されたのではないと思います。イエズス会の布教
に応えて、挨拶に地球の裏側からローペッシェクルード