イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

天正のローマ使節(1)[天正遣欧使節とも]

初めてヴェネツィアを訪れた日本人は、天正時代(1573~92)の4人の少年(青年)達、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノとそのお付の人々だったことはよく知られています。
『カトリック大辞典』で彼らの足跡を辿ってみます。

リヴォルノに1585年3月1日上陸、ピーザ、フィレンツェ、シエーナ、ヴィテルボ、バニャーイア、カプラローラを経てローマに到着、グレゴリウス13世(Gregorio ⅩⅢ)に拝謁しました。直後教皇が亡くなり、コンクラーベを経て選出されたシクトゥス5世(Sisto Ⅴ)にもお目通りが叶い(その間2ヶ月強)、その後イタリアを旅しながら帰国の途に付きます。
[グレゴリウス13世は、現在も世界で使用されている暦の制定者で、1582年10月4日(木)の翌日を10月15日(金)と10日を省き調整したことで知られています]

チヴィタ・カステッラーナ、ナルニ、スポレート、モンテファルコ、フォリーニョ、アッシージ、ペルージャ、カメリーノ、トレンティーノ、マチェラータ、レカナーティ、ロレート、アンコーナ、セニガッリア、ファーノ、ペーザロ、リーミニ、チェゼーナ、フォルリ、イーモラ、ボローニャ、フェッラーラ、キオッジャ、ヴェネツィア。この最後の町には、ローマ以外では一番長く9日間逗留しました。

その後パードヴァ、ヴィチェンツァ、ヴェローナ、マントヴァ、クレモーナ、ローディ、ミラーノ、パヴィーア、ヴォゲーラ、トルトーナ、ノーヴィ、ガーヴィ、ジェーノヴァ。ここから船でスペインに向かいました(1585年8月8日)。

彼らがヴェネツィアに到来したのは1585年6月26日でした。彼らの行動のあらましを『九州三侯遣欧使節行記』(ルイス・フロイス著、岡本良知訳注、東洋堂、1942)から抜粋してみますと次のようです。

6月26日=誓願修舎の客室に一泊。夜、教皇使節来訪。
6月27日=ヴェネツィア総大司教、ドイツ皇帝大使及び諸国の大使・貴顕の来訪。市内数ヶ所の聖堂を訪問。
6月28日=総督ニコロ・ダ・ポンテ(当時95歳)の謁見式が総督宮殿で。日本服1着、刀1振、短刀1振贈呈。その後、武器室、第十参議会[十人委員会の事?]室、宝庫を参観。昼食後ムラーノ島のガラス工場を見学。
6月29日=この日は聖ペテロと聖パウロの祝日であったが、毎年聖マルコの祝日(6月25日)に行われる習わしであったヨーロッパでも著名な豪奢な行列がこの日に延期された、それを参観。
ジェンティーレ・ベッリーニ画『サン・マルコ広場の祝祭行列』部分[ジェンティーレ・ベッリーニ画『サン・マルコ広場の祝祭行列』(部分)]
6月30日=大会議室にて歓迎会。
7月1日 =教皇使節の宴会。 
7月2日 =聖母御訪問の祝日でミサを聞き、天主堂で聖体拝領。
7月3日 =造船所、リードの2城塞を訪問。
7月4日 =政庁に告別に赴く。大会議室に彼らの姿を記念に残すことになり、ティントレットに描かせた(マンショの物だけが完成したが、いまだ未発見)。昼食後政庁は一行に贈物をした。
[2014.10.19日追記: 大ティントレットの息子ドメーニコが描いた伊東マンショの肖像画が、2014年3月イタリア北部の個人コレクションで発見されたそうです]

「高価な象牙製の十字架4個、美麗に彩色された鏡4面、立派な種々の硝子器の入った美しい函(硝子器が500個以上)、濃紅色天鵞絨の織物2反、グラン染織物2反、濃紫色琥珀織物2反、繻子2反、金襴の織物2反(1反は濃紅色、他は薔薇色でヴェネツィアで最も珍重される絹地であり、色合いであった)、金襴錦織物2反」。

7月5日 =サンタ・マリーア・デッラ・カリタ大同信会館を来訪、ヨハンネス(希語式バシレイオスBasilios)・ベッサリオン(羅典語式Johannes Bessarion――伊語式ジョヴァンニ・ベッサリオーネGiovanni Bessarione)枢機卿の残された聖遺物を拝観。ヴェネツィアを発つ。

使節が贈られた《美麗に彩色された鏡4面》とは、当時ムラーノ島でしか作れなかった平面鏡のことだそうです。
[後にフランス人は何十年もかけてムラーノの職人を引き抜き、ヴェルサイユ宮殿の鏡の間を完成することが出来たと言われています。]

《金襴の織物2反(1反は濃紅色、他は薔薇色でヴェネツィアで最も珍重される絹地であり色合いであった)》とは、前回に書きましたヴェネツィア人の《赤》好きの、正にその色合いではなかったかと想像されます。当時香辛料貿易が落目になったヴェネツィアの輸出品としては、ヴェネツィア製の高級織物、絹織物や毛織物、綿織物が地中海世界で持てはやされていたという記述を目にしたことがあります。

NHK教育テレビのイタリア語講座は、4月からは講座が展開する町がヴェネツィアだそうです。毎回この町の風景が楽しめるようです。
伊東マンショ像[サイトから借用] 近年伊東マンショの肖像画が発見されました。左の絵がそれだそうです。
  1. 2008/03/21(金) 22:39:23|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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