イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ピエートロ・ブラッティ(1)

前々回紹介したピエートロ・ブラッティ(生没年、1772.10.13ヴェネツィア~1832.10.20サンブゲ)の『Elefanteide(象殺し―ヴェ語)――真に本当の象の話』(Filippi Editore Venezia、1988)の前書きの解説に面白い実話が書かれています。
Pietro Buratti『Elefanteide』ピエートロ・ロンギ画集、解説ロンギ画集に1774年の見世物に出た象の絵の説明が205にあります。
「1819年春の事、ヴェネツィアで稀に見る、劇的とも言える出来事が発生した。カーニヴァルのアトラクションの一つとしてスキアヴォーニ海岸通り[今日でもその期間(年末から)、回転木馬や見世物小屋等の設置場所です]の大きな小屋で見世物に供されていた象が激高して、象使いの制止を振り切り、全速力で海岸通りから脇の小路へ逃げ走り、人々を恐怖に陥れた。
サンタントニーン教会玄関サンタントニーン教会[サンタントニーン教会] ロヴィーゴ出身のカミッロ・ローザという若い象使いが偶々目前の頃合いの場所にいたので、象はその強力な長い鼻で彼を巻き上げ、空中で振り回し、地面に叩き付け、殺してしまった。武装警官が制止しようと、象に怪我はさせないようにと銃を発砲した。象は驚いて猛り狂い、サンタントニーン教会の中まで逃げ込んでいった。内部での捕獲作戦はうまくいかず、大砲を2発撃ち込んだ。」
ピエートロ・ロンギ画の「象」ピエートロ・ロンギ画の「犀」『ライオンの見世物小屋』ピエートロ・ロンギが描いた見世物の《象》(1774)[ヴィチェンツァのレオーニ・モンタナーリ館美術館(内部は大変美しい)にはロンギのコレクションがあり、その内の1点でした]、その他見世物の《犀》(1751)、《ライオン》(1762)
この事件のこの説明は非常に簡単です。次のブログが大変詳細に調べておられます。是非ともご覧下さい。Venezia の芸術に囲まれてです。

「当時のガゼッタ紙は大きく紙面を割いているが、その模様はピエートロ・ブラッティの風刺的インスピレーションを大変刺激した。彼は豊饒の才能を持つ詩人であり、1800年代最大の傑出した詩人であった。

彼はボローニャの裕福な商人の一家の子として、1772年ヴェネツィアで生まれた。オランダから渡ってきた一族である。早熟な才能を早々と現し、辛辣な詩句を書き、だらしない恋愛沙汰、博識と活発な活動で社会に頭角を現した。

1797年の共和国の滅亡に際して、ボローニャで家業を継ぐことを拒否し、後年投獄されることになるヴェネツィアへの思いに従った。『1813~14年の封鎖の年におけるヴェネツィア長官の嘆き』の中で、自分の言葉を抑えることが出来ず、教会の大破壊者にして芸術作品の大略奪者であったナポレオンに対して"beco da rapina"(強奪者のコキュ野郎め)と罵った。それはフランス軍占領の最後の日々であった。一ヶ月間という投獄は、予測された日数の中で最少のものだった。

諷刺や卑猥な話という危険を伴う道は捨て、悲歌に専念すると決めた。毎秋田舎暮らしを繰り返している(プレガンツィオル、ゼーロ・ブランコ、サルツァーノにかなりの広さの土地を持っていた)という曖昧な理由では、人間形成をしてきた家族への義務もあり、勝手に決定する訳にはいかなかった。

象の殺戮の事件が生じた。その事件自体は単なる悲劇だったが、ブラッティは霊感に満ちた詩人として、二つのミューズを自由に羽ばたかすために過剰なばかりの刺激と空想を示したのだった。一つは放蕩的で卑猥なミューズであり、もう一つは苛立たせるような、パロディー的皮肉のこもったミューズである。

前者のミューズは彼に奇妙な仮説を暗示した。それは温和しい厚皮動物が、自分の意志で動き回ることを阻止されたがために猛り狂ったというものであり、後者は、貴族や中産階級の連中、カッフェ・フロリアーンに集まる杓子定規の分からず屋の常連、よりはっきり直接的に言えば、町でもよく知られた人物、トロメーイ(プトレマイオス)憲兵隊の長官マルッツィ侯爵に対してで、彼は構えて武装する。

可哀想な象のことではなく、この動物を虐待した凡庸で虚栄心ばかり強い人間に対立する高貴な英雄の姿を描いたのである。ピエートロ・ブラッティの厳しい諷刺の対象になっているのは、この1800年代初頭サン・マルコ広場のカッフェに四六時中集まって陰口ばかり叩いている連中が正にその象徴となっているのである。」
 ――Pietro Buratti『Elefanteide』(Filippi Editore Venezia、1988)の Tiziano Rizzo の解説より
  1. 2012/09/15(土) 00:03:26|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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