イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ピエートロ・ブラッティ(2)

「詩人は自分がはまり込んでいる道の危険なことは自覚しており、この長詩の序言で彼自身がその事を述べている。今や妻や子供達もいることだから、それを平穏裏に置いてくれるようにミューズに頼んでいる。しかしそれは《北風は自分の好み》ということを彼から奪い、自分を抑えることが出来ず、英雄詩の典型的な詩節である104節の8行詩を一気にものにする。
Pietro Buratti『Elefanteide』しかし彼はごく少数の親しい者にだけは、この危険な詩句を知らせようとした。その詩句で当局を執拗に嘲ったのである。そしてハプスブルク皇帝フランツ1世(フランス人はヴェネツィアとヴェーネトをオーストリア人に譲り渡していた)までかなりいいように扱った。

ところが長詩はひどく流布してしまった。パーオロ・ステッラとかいうパン屋が《数時間》手稿を貸してくれないかと詩人に頼んだ。その《数時間》にこっそり4部コピーを作り、悪意で貴族のジローラモ・セミテーコロ、ニコロ・プリウーリ、フィリッポ・モリーンそしてロドヴィーコ・ソランツォに渡した。皆、《有名なラッパ手(吹聴家)》であった。

二日後ヴェネツィアはコピーの洪水だった。その内の一部が警察本部の詳細な報告書と共に政府の重鎮インザーギ伯爵の手元に届くのは避けられなかった。

そしてブラッティは司法当局により猥褻と冒瀆の罪で、更に1ヶ月間出身地の牢獄の煮え湯を飲むことになった。それから傷つき疲れて、テッラーリオのサンブゲ荘を手に入れ、そこに埋葬されることを願った。
……
数年後、再犯ということで更に罪が重くなる、同じような危険を伴った新しい事件が持ち上がった。ヴェローナで印刷された『ヴェネツィア人ピエートロ・ブラッティの詩と諷刺』と題された本の出現である。それはカバーに《アムステルダム、J. Loocheとその息子出版、1823年》、更に《ad usum delphini(若者用改訂版)》と皮肉な言葉が付け加えられていた。

詩はブラッティのものであり、出版は彼もついぞ知らぬもので、被害が及ぶと予測された。沢山いる敵の悪巧みだった。無罪だと三つの点を提示して身の潔白を証明するために警察署長に手紙を書かねばならなかった。

出版を許したことはなかった、むしろ作家の神聖なる著作権が侵害されていることが見てとれる。これらの詩句は《パルナッソス山上で禁断の木の実を摘み取ろうとして……豊饒と上機嫌が絡まり合った時》、その青春時代の行き過ぎの過ちだった。今や《家庭の平穏のために》更にそのような新しい事に邁進しようと、《年齢も環境も冷静さも》放り出しては、生きているとは言えない、と。

彼は信じられ、自ら田舎に逃げるように移り住んだことでそれ以上の悪化がないということで、その後始末には苦しまずに済んだ。しかしながら1832年10月20日、彼が突如亡くなった時、警察は丁度、詩人の家を急襲しようとしていた時だった。警察は手稿を袋詰めして持ち出し、全てを焼却した。

幸いなことにピエートロ・ブラッティは、友人マッテーオ・ダ・モストの献身的な援助を全面的に受けており、彼は15巻という膨大な著作を収集し、転写しており、現在それはコッレール市立博物館の図書館に保存されている。……」
  ――Tiziano Rizzo の前書きの解説より

参考までに endecasillabo(1行11音節詩行)の ottava(8行詩節)が104連続く長詩の第一 ottava を掲げます。
第一オッターヴァ
  Finissila una volta, Buzzarona!
Voi la mia pase, astu capi`o? la vogio;
Za pur tropo in paese se tontona
Che posso i corni urtar in qualche sco`gio;
Son stalon de fame'gia, idest mona,
Go un per de fioli, e presto el terzo imbrogio
Minacia la mugie`r, sgionfa la panza
De la poca semenza che m'avanza.
……」
   ――Pietro Buratti『Elefanteide』(Filippi Editori Venezia、1988)より
  1. 2012/09/22(土) 00:02:31|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィア室内合奏団(インテルプレティ・ヴェネツィアーニ)(2) | ホーム | 文学に表れたヴェネツィア――ピエートロ・ブラッティ(1)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア