イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

アントーニオ・ヴィゼンティーニ(2)

この『Le prospettive di Venezia――Dipinte da Canaletto e incise da Antonio Visentini』(Dario Succi著、Grafiche Vianello srl/Vianello Libri)は、下記のような文で解説が始まります。
『Le prospettive di Venezia』 カナレットとヴィゼンティーニの画像ヴィゼンティーニ版画集第1巻大扉[中図版、左カナレットと右ヴィゼンティーニ、右、第一集(~第三集)の大扉] 

「ヴィゼンティーニは、《アントーニオ・ペッレグリーニから描く技術を学び、建築の研究に勤しみ、自らも建築の最良の教師の一人、そしてまた遠近法についてのエキスパートとなった。銅版に蝕刻することを準備し、賞賛に値する理解力と精確さでもって大衆に提供する作品を作った、特にサン・マルコ寺院の平面投影の内面図である。

それ以外に現在は、イギリス領事ジョゼフ・スミス氏の所有となったアントーニオ・カナールの40点の絵や沢山のヴェネツィア景観画を大いに賞賛されながら銅版に陰刻した、その色々の作品の中で、注意深く、念入りに、精確に、根気よく仕事をし、ヴェネツィアで評価され、その知識と能力で尊敬され、謙虚さで愛され、それ以外の素晴らしい才能故に特別の尊敬と名誉を受けた。》

この適切なプロフィールはオルランディの『絵画入門』書の追記の中で、ピエートロ・グァリエンティが60年代後に多彩なプロ的才や人間としての与えられた能力のその際立った面に光を与えた。遠近法画家、建築家、教師、銅版画家としてアントーニオ・ヴィゼンティーニは……ジャンアントーニオ・ペッレグリーニの学校で修練を積んだのである。

結果的には、肖像画家、歴史画家でもあった、その例証が見当たらないが。既に1711年彼の名は画家として Fraglia 一覧の中に表れている。1708年からパードヴァ大学の天文学の正教授であったジョヴァンニ・ポレーニ侯爵のために働いた後、1717年頃から、共和国の将来のイギリス領事となるジョゼフ・スミスと関係を持つようになった。トーマス・コークのためのスミスの注文作品で、事実この年25ゼッキーノがヴィゼンティーニに支払われた。

アントーニオ・カナールにとってそうであったようにヴィゼンティーニにとっても、この積極的なイギリスの収集家との出会いは彼の芸術活動の発展のために、非常に重要なものであったに違いない。1726年頃スミスは行政官ジローラモ・カナールからモリアーノ地区のヴィッラを借り、1731年にはそれを手に入れ、その広大な敷地を美しく、より良いものにしたいと、教会や鳩舍に至るまでを含めてのその仕事をヴィゼンティーニに任せた。

ヴィゼンティーニの最初のグラフィック・アートの記録は1722年に始まる。その年の8月12日の通達で元老院は、サン・マルコ寺院やその他の教会の平面図や断面図の販売の、10年間の特権を彼に許した。モスキーニはヴィゼンティーニが『Iconografia della Chiesa Ducale di S. Marco』と題するサン・マルコ寺院の平面図や内面図の図版を出版したことを記憶している。そして芸術家は《素晴らしい床面も同様に版刻したかったが、何故かは分からないが、辛抱ならず途中で放棄してしまった》と追記している……。」
カナレットのクロッキーカナレットの芸術カナレット『Canaletto Drawings at Windsor Castle』(K.T.Parker著、Nuova Alfa Editoriale)や『Canaletto』(Dorothea Terpitz著、Koenemann)、『Canaletto』(Filippo Pedrocco著、Giunti)等のカナレットの景観画とヴィゼンティーニの版画を並べて、彼のエッチングの秘密に迫ります。
大運河に向いたサン・ヴィーオ広場大運河に向いたサン・ヴィーオ広場  大運河のベンボ館とヴェンドラミーン・カレルジ館大運河に向いたベンボ館とヴェンドラミーン・カレルジ館左、大運河とサン・ヴィーオ広場。右、大運河とヴェンドラミーン・カレルジ館  
カナレットのリアルト橋の西側ヴィゼンティーニのリアルト橋  カナレットのリアルト橋ヴィゼンティーニ『東側のリアルト橋』左、リアルト橋の西側。右、リアルト橋の東側
カナレットの最初のスケッチ(イギリス、ウィンザー城蔵)カナレット画『センサの日、サン・マルコ小広場に帰還したブチントーロ船』ヴィゼンティーニ板刻画『ブチントーロ船のサン・マルコ広場への帰還』   カナレット画『センサの日、サン・マルコ広場に帰還するブチントーロ船』センサの日、サン・マルコ小広場に帰還したブチントーロ船
サン・ロッコ大同信会館サン・ロッコ大同信会館  サンティ・アポーストリ教会サンティ・アポーストリ教会広場左、サン・ロッコ大同信会館。右、サンティ・アポーストリ教会
サント・ステーファノ広場サント・ステーファノ広場Antonio Visentini のサント・ステーファノ広場  サンタ・マリーア・フォルモーザ広場カナレット『サンタ・マリーア・フォルモーザ広場』ヴィゼンティーニ板刻のフォルモーザ広場左3点、左からカナレットのクロッキー、中カナレットの甥ベルナルド・ベッロット画、右ヴィゼンティーニ版画のサント・ステーファノ広場。右3点、サンタ・マリーア・フォルモーザ広場
サン・ジェミニアーノ教会サン・ジェミニアーノ教会  サン・マルコ広場サン・マルコ広場左、ナポレオンに破壊されたサン・ジェミニアーノ教会とピアッツァ。右、サン・マルコ寺院とピアッツァ
『サンタ・マリア・サルーテ聖堂』現在開催されているニューヨークのメトロポリタン美術館展にカナレットの景観画『サンタ・マリア・サルーテ聖堂』が展示されていました。左の絵です(2012.10.31追記)。
  1. 2012/10/20(土) 00:04:16|
  2. | コメント:0
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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