イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴィットーレ・カルパッチョ(5)

カルパッチョと聞けば、日本人が最初に思い描くのは鮪の赤い刺身などに白いチーズ等をあしらった《カルパッチョ料理》でしょうか。2011.05.21日に紹介したヴェネツィア本の中にハリーズ・バーのオーナー、アリーゴ・チプリアーニ著『ハリーズ・バー』(安西水丸訳、にじゅうに社、1999年2月22日)がありました。その本からの引用を読んでみて下さい。
『ハリーズ・バー』 「ハリーズ・バーと私の父がもたらした発明は、微妙に形を変えながら、数多くの影響を残した。それは、薄くスライスした生肉や生魚を表す料理名となった《カルパッチョ》から、ピンク色のカクテル《ベリーニ》、そして言うまでもなく、店のトレードマークとなった淡い水色のティファニー風メニューに至るまでさまざまだ。
 一九五〇年、ヴェネツィアに紅白の旗がひるがえった。ルネサンス期の画家ヴィットーレ・カルパッチョの大規模な回顧展が、ドゥカーレ宮殿から場所の提供を受けて開かれたのだ。旗は、カルパッチョをまさに有名にした、赤と白のまばゆい色彩に敬意を表したものだった。

 その秋、ハリーズ・バーの常連のひとり、見とれてしまうほど美しいアマーリャ・ナーニ・モチェニーゴ伯爵夫人が、昼食を食べに来た。父のお気に入りの客だ。夫人は父に合図をしてテーブルに呼び寄せると、涙ながらに訴えた。
「お医者さまから、厳しい食事制限を続けなければと、警告されたところですの。これから何週間か、調理した肉は一切口にできないのです」
 この厳しい条件を満たしながら、しかしできることならおいしい料理を考案して、彼女の窮地を救うことはできないだろうか。なかなかの難題だと思いながら、父はにっこり微笑むと、彼女にベリーニをすすめた。
「お任せください。十五分、お待ち願います」

 そう言って、父は厨房に消えた。そしてぴったり十五分後に現れた父の後ろに、料理を持った給仕長が続く。紙のように薄い生のフィレミニョンを扇形に美しく飾り、その上にマヨネーズとマスタードを混ぜたホワイトソースが網の目状にかかっている。
「何というお料理ですの?」
 たずねる夫人に、父は何世紀も前から存在する料理であるかのように答えた。
「ビーフ・カルパッチョでございます」
 本当は今、考えついたばかりだというのに。多くのヴェネツィア人と同じように父はドゥカーレ宮殿を訪れて、名声に違わぬカルパッチョの絵画の素晴らしさに感動していた。その赤と白の色彩にヒントを得て、ビーフのテンダロインとホワイトソースを即座に組み合わせたのだ。

 今日では、パリやニューヨーク、東京の高級レストランで、何千種類ものカルパッチョのイミテーションを見ることができる。もしも、父がもう少し利己的な人間であったり、今で言う“PR志向”が強かったら、この有名な料理はおそらく《チプリアーニ》と呼ばれていたということだ。 ……」

アッリーゴ・チプリアーニ(Arrigo Cipriani)の父ジュゼッペ(Giuseppe)考案による、《薄くスライスした生の牛肉に薄めに削ったチーズとオリーヴオイルドレッシングをかける》というオリジナルの正式な料理法は本の巻末に書かれていますが、現在ではイミテーションの方が幅を利かせて、料理名というより、食材のあしらい方のイメージ用語といった趣です。他の食材を使ったこのイミテーションを《カルパッチョ》と呼ぶように発案した人のアイデアも大きなものと思われます。いずれにしても、この画家の名前はこの時代のヴェネツィアの他のどんな画家よりも知られることになりました。
[英語で Harry という名は Henry の別称で、仏語では Henri、独語では Heinrich、伊語では Enrico です。しかし Arrigo という名は Heinrich と同根の名前だそうですから、アッリーゴ氏は《ハリー》という名を貰ったことになります。]
『ファブリ世界名画集 カルパッチョ』カルパッチョ作品集『カルパッチョ』『ヴェネツィア展』図録『ヴェネツィア展』図録別冊私自身が初めてカルパッチョを知ったのは、イタリアのファッブリ社(Fratelli Fabbri Editori)で印刷・製本された、日本版の『ファブリ世界名画集 72巻 カルパッチョ』(平凡社版)として出版されたワイド版の画集を手に入れてのことでした。その時代の製版・印刷技術、多色写真撮影技術などと比較し、昨近のそれら、例えば昨年の『ヴェネツィア展』の図録等を見れば、雲泥の開きがあるのは歴然と目に映ります。それでも実物が持つ迫力は別格に凄まじい!
『二人の娼婦』『二人の貴婦人』日本ではよく知られた『二人の娼婦』→『二人の貴婦人』の印刷画を比べてみました。左、『ファブリ世界名画集』、右、『ヴェネツィア展』図録より。2011.09.06日に書いた『ヴェネツィア展』も参考までに。

サント・ステーファノ教会前のサント・ステーファノ同信会館、別称ラネーリLaneri(ヴェ語―羊毛職人達)同信会館に描かれた聖ステパノの5点のシリーズはヴェネツィアに残っていません。同信会館が1806年にナポレオンの命令で廃止された時に四散し、現在はベルリンのゲメルデ美術館、パリのルーヴル美術館、ミラーノのブレーラ美術館、シュトゥットガルトの国立美術館にあるそうです。1点は消失したようです。
旧ラネーリ同信会館旧ラネーリ同信会館旧ラネーリ同信会館があったサント・ステーファノ教会前は、現在は一般住宅になっているようです。アーキトレーヴ下に15世紀の聖ステパノを示す浮彫りが残っています。

『黄金伝説』の注によれば、聖ステパノ(Santo Stefano)は「土地によって異なるが、桶屋、馭者、石工、左官、馬丁、織工、仕立屋等の職人の保護聖人」とあります。
  1. 2012/11/03(土) 00:03:47|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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