イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: 古モチェニーゴ館(3)

私が初めてヴェネツィアの語学学校に通ったのは、偶々この建物の一室をアパートに借りてのことでしたので、モチェニーゴと聞くと殊更感慨が込み上げてきます。古モチェニーゴ館は次のような歴史を持っているようです。
古モチェニーゴ館古モチェニーゴ館  1623~25年フランチェスコ・コンティーンによって完全に手が加えられたこの館は、モチェニーゴ一族の最も古い一家のために、当時のゴシック様式で建てられた1400年代の建物である。モチェニーゴ家はミラーノ出身で、コルネリーイ(Cornelii)の古いローマの血筋を引いているようである。

1574年、ミュールベルクとサン・クィンティーノの戦いで勝利を収めたサヴォイアのエマヌエーレ・フィリベルトがこの館に滞在した。出立に際して当家の女主人に、中央に大きな宝玉が埋め込まれ、4個の真珠が嵌め込まれた30の黄金の薔薇で飾られた帯を贈呈した。

1591-92年、ジョヴァンニ・モチェニーゴはこの屋敷にローマの教会の迫害を逃れてヴェネツィアに隠れ潜んでいた哲学者のジョルダーノ・ブルーノを招いた。しかしブルーノが錬金術と魔術の秘密を伝授出来ないことに失望して(ジョヴァンニは《哲学者が記憶している色々の素晴らしい秘術を教えてくれることを》期待していたのである)、ジョヴァンニは、彼が異端であるという厳しい告訴状を書き、ヴェネツィアの異端審問所に告発した。

事実哲学者は、《自分はミサを敵視している》《いかなる宗教も好きでない》とジョヴァンニに話してしまう手抜かりをしていた。更に《キリストは邪悪である》し、もし彼が人々を安心させようと《褒められもしないどうでもいいような事》をしていれば、直ぐにでも彼自身が処刑されるかも知れないと予測出来た筈だ、と言っていた。

元老院は彼をローマに送付することを決定した。ローマでは7年の刑で起訴された。ブルーノは自分の信条を捨てるつもりは全くなく、拷問を受け、その異端とされた教えは有罪とされ、1600年2月、ローマのカンポ・デイ・フィオーリ広場で火刑に処された[現在、この広場に彼の銅像が建っていますが、市場が立ち、楽しい広場です]。

言い伝えによると、彼の霊は最初客人として歓迎し、その後裏切った人間の家、古モチェニーゴ館に住み続けているのだと。そして今日でも毎年彼の2月の忌日に、この館の中庭に哲学者は亡霊となって現れると言われている。

1824年この一族が消滅した後、邸館の所有者は何度も変わった。そして幾つかのアパートに分割された。」
  ――ラッファエッラ・ルッソ著『ヴェネツィアの建物』(1998)より

[ブルーノは1576年ナーポリの修道院から逃亡し、北イタリアからジュネーヴ、パリ、ロンドン、ウィッテンベルク、プラハ、フランクフルトと15年余りヨーロッパを放浪し、教皇としばしば確執のあったヴェネツィアは比較的安全と見たのか(?)1591年到来し、自宅に招いてくれたジョヴァンニ・モチェニーゴ本人によって裏切られたのでした。また焚刑に処される時も《宣告を受けた私より宣告を下したあなた方の方が、真理の前に恐れ戦いているのではないか》と言葉を残したそうです。]

語学学校通学時2000年2月17日、このアパートで明日の予習をしながら携帯ラジオを聴いていると、ジョルダーノ・ブルーノの名前が何度も聞かれました。その日は彼の命日で特集番組が組まれていたのです。後でよくよく考えてみれば、彼がローマで火炙りの刑で亡くなったのは1600年。この日は2000年の大聖年でブルーノの400年回忌の当日だったのです。
旧モチェニーゴ館の中庭(1).jpg旧モチェニーゴ館の中庭(2).旧モチェニーゴ館中庭(3).[古モチェニーゴ館の中庭]  この夜、この館の中庭の前にある1階の私のアパートの一室で、赤ワインを口にしながら朝まで庭の変化に目を凝らしていました(広い中庭は時々落ち葉を掃いたりの掃除に来る人がいましたが、あまり手入れが行き届いているとは言えず、やや荒れ模様でした)。結局翌日は寝不足で登校出来ませんでした。何が起きたのでしょうか?

ジョルダーノ・ブルーノの伝記を撮ったイタリア映画を、YouTube で見ることが出来ます。次のアドレスでどうぞ。Giordano Bruno。映画はアルセナーレ前から始まります。追記: Youtubeから削除されたので、次をどうぞ。ジョルダーノ・ブルーノ

追記=年表によりますと、1488.12.17日錬金術を行うことを禁ずる通達が出ていますし、1587.10.16日フランチェスコ・バロッツィという人が占星術と魔術のかどで終身入牢になっていますから、ヴェネツィア政庁の考えは分かります。ジョヴァンニ・モチェニーゴの真意は何だったのでしょうか。
  1. 2012/12/15(土) 00:02:33|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
  3. | コメント:2
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コメント

こんにちは! またまたリンクをさせて頂きました事後承諾に上がりました。
今、モチェニーゴ博物館で、ヴェネツィアが登場の映画の主演女優が着ていた衣装の展示会が開かれているのですが、それをたまたまTVで見て、衣装も、邸の中も素晴らしいのを知り、見に行きたくなっているのですが・・。
博物館になっているサン・ルーカの館、というと、実際にはどの部分に当たるのでしょうか?

ジャンマリア・ヴォロンテの映画がYoutubeで見れるのを教えて頂けて嬉しいです!
あの幾つかのシーンをTVで見ていて、一度見たかったのでした。
  1. 2012/12/20(木) 08:16:06 |
  2. URL |
  3. shinkai #-
  4. [ 編集 ]

モチェニーゴ館

shinkai さん、コメント有り難うございます。
shinkai さんのブログ、ヴェネツィア・パート2を楽しく嬉しく拝見しました。モチェニーゴの紹介、有り難うございます。そちらに投稿しようと思っていましたが、こちらに書かせて下さい。
あのモチェニーゴのサイトはサン・スタエ教会右の大通りを大運河を背に奥へ行くと、次の左の曲り角がモチェニーゴ館(サン・スタエ教会の裏になります)でセッテチェントの貴族の館の例として現在博物館として一般公開されています。
ヴェネツィアの人に教わり、公開された時、見学に行きました。その後も大広間でオペラがあったりして足を運びました。ですから多分、サン・ルーカではなく、サン・スタエ教会裏のことだと思います。
その他にもモチェニーゴを冠する館はヴェネツィア中にあります。例えば、サン・ポーロ広場の西片隅にコルネール・モチェニーゴ館があり、現在は財務警察が入っています。
  1. 2012/12/20(木) 14:08:31 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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