イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ラグーナの氷結

初めてミゼリコルディア湾でスケートをする絵を見た時のことです。ラグーナ(ヴェーネタ潟)が氷結するなどとは思いもしなかったので、あり得ない風景と一瞬思い込んでいました。色々ヴェネツィア関連の本を読み、分かってくることがありました。G.タッシーニの『ヴェネツィア興味津々』の著作からG.ニッサーティが抽出した『ヴェネツィア奇聞』の中で《Il Ghiaccio del 1788-1789》と題して凍結したラグーナの話を語っています。
『1708年に凍結したラグーナ』『凍結したラグーナ』[左、作者不詳『1708年に凍結したラグーナ』(『華麗なる18世紀イタリア ヴェネツィア絵画展』図録)より、右、Battaglioli Francesco の弟子『1788年に凍結したラグーナ』(『ヴェネツィア展』図録)より]  「ガッリッチョリ(Galliccioli)は共和国の初めから1796年までの、ヴェネツィア人を苦しめた主たる寒波を表に纏めた。しかしながら1788-89年の寒波を忘れないで欲しい、その寒さは真に厳しいもので、ラグーナ全体が凍り付いた。だからヴェネツィアとメーストレの間、あるいはヴェネツィアとカンパルト(メーストレの郊外)の間が、徒歩は勿論、馬車や牛車という重い車でもお互いに行き来が出来た。

レーヴィ医師はその時の思い出を語っている。
《大勢で楽しく行ったり来たりして、人々が氷を踏み付け、動き回って重量を掛け、はっきりとした道が出来て、夜間でもカンテラを持って迷うことなく歩き回ったものである。その道では小屋掛けかあるいはテントが張られ、オステリーアのような食べ物屋が出現した。

道では子供達がボール遊びやコマ遊びをするのが見られたし、多くの人が氷の堅牢度を試して、氷の上で温めてみたり、火を燃やしてみたり、ガンガン氷を叩いてみたり、またあるいはヴェーネト人の陽気さを大袈裟に現して、先ずニコロッティ達が人間ピラミッドを組み立てたり、更に1789年1月15日には軍隊訓練と称してモレスカ踊り(モリス・ダンス)を披露したりした。それらは真に熟練した巧みなものであった。》

このような場合、ヴェネツィアと本土との間の関税は中止されたので、パンやワイン、肉類は町で自由に売られた。しかし事故というものは起こらざるを得ないというか、災難は付き物であった。あるならず者が夜、サンタ・カテリーナ広場の食堂でしたたかに酔っ払い、翌朝ヌオーヴェ海岸通りで凍え死んでいるのが見付かった。

サン・レオナルド教会の僧は、歩いてサン・セコンドに行きたかったのだが、人の通りから外れた場所を通ったがために、氷結の非常に脆弱な場所で溺れ死んだ。ワイン樽の運び屋が夜間酔って氷下に転落し、自分の体を引き上げられなかった。

ある司祭はラグーナの中にあるアンコネッタ(祭壇の聖母像等の板絵を収める場所)の聖母マリア像に接吻したいと思ったのだが、道から外れるや氷の中に嵌ってしまい、頭から閉じ込められてしまった。上に残されていたのは唯一、三角帽子(tricorno)だけだった。またある夫人も、いわゆるミゼリコルディア湾(Sacca della Misericordia)を横断したいと思い、氷に嵌ってしまった。が、運よく救い上げられた。

1788-89年の凍結はノヴェッロが作曲したカンツォーネで、またヴィエーロが彫った2枚の版画と、もう一つグレーゴがデザインし、スカッターリャが陰刻した版画で人々に記憶されている。」
  ――G.Nissati『ヴェネツィア奇聞』(Filippi Editore Venezia)より

またこの時の寒さについて、ジョヴァンニ・ディステーファノ著『ヴェネツィア史(Atlante storico della Serenissima 1600-1797)』(Supernova)は1788年12月30日の項で次のような記述をしています。
ヴェネツィア史 1600-1797「1788年12月30日: 水の流れが速いジュデッカ運河を除いて全ての運河が凍結した。この現象は1789年1月9日まで続くだろう。そして年代記作者は次のように記す。即ち《夥しい降雪を伴って、月半ばから際立ち始めた今冬の異常なまでの極寒のため、我がラグーナの水は凍結するに至り、この日にメーストレからあるいは逆にこの海洋都市から色々の人達が氷の上を徒歩でラグーナを渡り始めている。》

ラグーナは将来何度も凍結することになる。即ち1800年代には、1808、1809、1811、1820、1864の各年。部分的に凍った厳寒は1830、1858、1880年である。」
  1. 2013/02/02(土) 00:01:51|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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