イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの火事

G.Nissati『Aneddoti storici veneziani(ヴェネツィア奇聞)』によれば火災の記述は次のようです。

「ヴェネツィアの火災の歴史は、428年の火事、リアルトのサン・ジャーコモ教会の建設を促す原因となったことに始まる。総督ピエートロ・カンディアーノ4世に謀反を企んだ人々が976年総督宮殿に放火した。

サンティ・アポーストリのダンドロ家から出火した1105年の火災は、幾つかの地域を炎に巻き込んだことで特に有名である。その、ほんの48日前の1月に発生した火事はザンターニ館から出火し、シーヴォス(Scivos)の年代記によれば16の島[ヴェネツィアは118の島から形成、と伊百科事典にあります]、ドルソドゥーロの殆ど全域が炎に包まれた。

16世紀の火災の中でも、1569年のアルセナーレの火災が際立っている。チェレスティーアの教会と修道院も灰になってしまった。また1574年の火災では総督宮殿を炎上させた。

17世紀にはサンティ・ジョヴァンニ・エ・パーオロのバルバリーア・デッレ・トーレから出火した1683年と1686年の二つの火事がある。現在でも存在する Calle Prima と Calle Seconda del Brusa` という通り名で記憶されている。

前世期[本の執筆時は1800年代]には、1735年のサンティ・フィリッポ・エ・ジャーコモの火事、1709年のターリャピエートラ小広場近くのサンティ・エルマゴーラ・エ・フォルトゥナート[サン・マルクオーラのこと]のものが有名である。この火事は本にも書かれたし、詩でも歌われた。

火事に関して共和国が公布した法律は色々ある。
1450年6月10日、ワイン樽の運び屋や娼婦らに消火に尽力するよう、罰金刑の名の下に命令を下した。1454年には教区司祭に、バケツや梯子、船その他を常備しておくよう依頼し、火勢を抑えるべく荷物の運び屋や山村出身者らに助力を受けるよう、全ヴェネツィア人に周知を図った。

1519年、予防と消火のために2人の行政官が選ばれた。1759年5月16日の通達では、全6区は消防長を持ち、職人達はその命令に従って行動すること、とある。1776年にはボナヴェントゥーラ・ベンヴェヌーティ製作の、ヴェネツィアで初めての吸い上げ式ポンプが元老院にお披露目された。そして1777年1月22日ようやく、常設の消防団が組織され、その長に技師で建築家のフィリッポ・ロッシが任命された。」

これらの火事の中から1686年6月2日の火事について、ジョヴァンニ・ディステーファノ『ヴェネツィア史 1400~1599』から訳出してみます。

「カステッロ区の Barbaria de le Tole のバルバリーア向けの木材倉庫から火事が発生した[バルバリーアあるいはバルベリーアとは、北アフリカの地中海側でエジプトの西端からサハラ砂漠を経て大西洋にかけて、紀元前からベルベル諸語の民族が住んだ、日本で言う、バーバリ地方のこと――Tole(ヴェ語)=tavola の複数]。

年代記作者は書いている。《火は猛烈な勢いで燃え上がり、24時間のうちにサンティ・ジョヴァンニ・エ・パーオロの全地域からヌオーヴェ海岸通りまで燃え広がった。アルセナロッティが鎮火に駆け付け、貴族達も水を運んだ。そして人々は大火が鎮まることを神に願って、祈願行列を行った。》

この火事で何人か焼死し、70軒が焼失した。《1軒の家がその時運よく焼失を免れたと言われており、それは聖アントニウス[パードヴァのイル・サント教会の]の奇跡だ、とされている》。出火した場所は Corte del Brusa` として地名が伝承されている。」
地図地図『Calli, Campielli e Canal』では、上左丸数字62がサンティ・ジョヴァンニ・エ・パーオロ教会でその広場から東へサン・ザニポーロ大通り、Barbaria de le Tole 通りが走っています。その南にSc.Media A.Vivaldi(アントーニオ・ヴィヴァルディ中学校)を挟んで左に Calle del Primo Brusa`(1683年)と右に Ramo del Secondo Brusa`(1686年)があります。[Brusa`(ヴェ語)=brucciato(伊語―焼失)]。
フェニーチェ劇場前の消火活動炎上するフェニーチェ劇場(1)炎上するフェニーチェ劇場(2)フェニーチェ劇場焼失翌朝写真は1996年1月29日深夜のフェニーチェ劇場炎上から
  1. 2013/02/09(土) 00:44:41|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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