イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの、飢饉(1)・ペスト

ヴェネツィアを襲った災厄として、地震、アックァ・アルタ(洪水)、ラグーナの凍結、火事等を書きましたが、飢饉やペストの襲来もありました。永井三明著『ヴェネツィア貴族の世界―社会と意識―』(刀水書房、1994年2月4日)によりますと、1527~29年に北イタリアを飢饉と黒死病が襲いました。カンブレー同盟戦争後のヴェネツィア共和国の最悪の時代だったようです。
『ヴェネツィア貴族の世界―社会と意識』「……飢饉は、収穫物を徴発したり蹂躙した侵入軍により引金をひかれたが、もとはといえばヴェネト地方は旱魃と洪水の大被害を受けていたのであった。しかも当時の国際情勢は豊作のオーストリア領から穀類を搬入することを許さなかった。
……
5月初めの5日間は昼夜をわかたず容赦ない激しい雨が降りつづき、ブレンタ川からの洪水はヴェネツィアの運河に真水を注ぎこんだ。ポレシーネ[アーディジェ川とポー川に挟まれたデルタ地帯のポレージネのことでしょうか?]全体が水没し収穫物は壊滅した。たとえとうもろこしが確保されたところで、洪水のため水車小屋での製粉は不可能であった。
……
ヴェネツィアは地方の飢えた農民をひきつけた。なぜならこの都市には、北イタリアや東地中海からの輸入食糧が集中したからである。ヴェネツィア自体が飢えた時は、東地中海からの食糧を北イタリアに移動するのを禁止した。中央ヨーロッパが切断された今となっては、救済の望みは海上からのみであった。したがってキプロス植民地からの穀物運搬船の役割は大きかった。

しかし1528年4月中ごろ、キプロスの食糧不足が急迫し、シリアで高価な穀物を買付けねばならなかった。あるいはアレクサンドリアからのとうもろこしや豆類の輸入がヴェネツィアの飢饉を緩和することになった。

1528年11月アレクサンドリアからの豆を満載した船が到着していらい、約半年間にわたって定期的に入荷した。にもかかわらず1529年6月17日、ヴェネツィアの倉庫は空になり、サン・マルコの倉庫の扉には《貸し家》Caxa d'Afitarと書かれていた。以上の飢饉の間のサヌート[ヴェ語=マリーン・サヌード]の『日記』はなまなましい描写を提供する。
……
1528年2月20日: 《たいへんなことを記録しなければならない。この都市の大飢饉を永久に記憶しておきたいものだ。この都市出身で街路でわめいている貧乏人は別として、連中はブラーノ島からやって来た。その多くは頭の上に衣類をのせ、手に子供を抱きかかえ、おめぐみを呼びかける。またヴィチェンツァやブレシア方面から多くの人々がやって来た。

おどろくべきことだ。ミサに出かけるなら、必ず10人もの貧民が慈悲を乞うのに出会う。なにかを買おうとして財布を開けば、貧民が小銭をねだる。夜おそく連中はドアをたたいて街路から叫ぶ。『腹がへって死にそうなんです』と。だが、これにたいして政府は何の手だても講じていないのだ》。

黒死病は飢饉の必然の結果だった。飢饉による栄養不良と、食糧を求めての人員の移動が伝染の原動と考えられよう。そして腺ペストは、奇妙なことに、貴族により大きな打撃を与えたという。……いずれにせよ黒死病のほかに、チフスと飢えが死亡者を増大させたはずである。……」 

この本の巻末のヴェネツィア年表から、ペスト・疫病の発生を拾い出してみました。
1343(ペスト)、1348(大ペスト)、1350(ペスト)、1357(ペスト)、1372(ペスト)、1382(大ペスト)、1388(ペスト)、1393(大ペスト)、1397(大ペスト)、1400(ペスト)、1424(疫病)、1427(疫病)、1428(ペスト)、1447(大ペスト)、1456(疫病)、1468(ペスト)、1484(大ペスト)、1485(疫病)、1506(熱病)、1510(ペスト)、1528(ペストとチフス)、1536(疫病)、1556(ペスト)、1575-76(大ペスト)、1630(~16ヶ月間)と大変な頻度の伝染病の発生です。

1575-76年の時には、沈静化を神に感謝してジュデッカ島にレデントーレ教会が建立されましたし、16ヶ月間続き死者4万6490人[ヴェネツィアの統計数字は10台までの正確さがあり、他の地方では100台だそうです]を出した1630年のペストの沈静化の際には、サルーテ教会が献堂されました。レデントーレ教会については、2011.03.05日のヴェネツィア年中行事(8)を、サルーテ教会については、2012.08.11日の文学に表れたヴェネツィア―パトリシア・ハイスミスをご参照下さい。
《飢饉》(2)に続きます。
  1. 2013/02/16(土) 00:03:10|
  2. ヴェネツィアの災害
  3. | コメント:4
<<ヴェネツィアを歌った詩人達 | ホーム | ヴェネツィアの火事>>

コメント

こんにちは。ごぶさたしております。

すみません、1つご相談なのですが、イタリアの美術・建築を詠んだ日本人の方の詩(短歌や俳句でも)というの、何かご存知でしょうか?
ヴェネツィアであればなお良し、なのですが、イタリアのほかの町でも構いません。
ヴェネツィア(イタリア全般でも)を詠んだ詩や文学はたくさんあるのですが、日本人作家のもの、それも詩となるとなかなか見つからなくて。アドヴァイスいただけると助かります。

そうそう、いつもリンクをいただきたいと思いながら、ものぐさなもので、伺いそびれていました。あらためて、リンクさせていただいてよろしいでしょうか?
  1. 2013/02/15(金) 23:58:36 |
  2. URL |
  3. fumie #-
  4. [ 編集 ]

poemi veneziani par giapponesi

fumie さん、コメント有り難うございます。
私は yiszk 時代から fumie さんのblogを拝見させて頂いています。今後ともよろしくお願い致します。リンク、よろしくお願いします。
東大比較文学教授平川祐広先生の『藝術にあらわれたヴェネチア』(内田老鶴圃、昭和37年10月20日)を読みますと、斉藤茂吉がイタリアに行った時の歌《パドワなるGiotto(ジョットー)も観たりヴェネチアの流派も見たり幸ふかくして》(「遠遊」)が引用されていましたから全集を検索すればヴェネチアの歌も見付かるでしょう。彼の旅行記『ヴェネチア雑記』は秀逸だそうです。
また西脇順三郎詩集『あむばるわりあ』の中には、シェイクスピアの『ベニスの商人』達のことを歌った箇所があります。シャイロック、アントニオ、…
平川先生の本にはヴェネチアを歌った詩が掲載されていますが、無名です。多分ご自分の詩でしょう。
2012.03.31日に「ゴンドラの唄」《http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-268.html》について書きました。 歌謡ですがこれがbetterでしょうか。
Guido Gualtieri の『日本遣欧使者記』を訳した木下杢太郎は興味津々、近日中に日本の作家等纏めて、私のブログなり fumie さんの blog で分かるようにします。私にも興味深いテーマなので、3~4日猶予を下さい。
  1. 2013/02/16(土) 11:15:07 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

ありがとうございます。
実は3月に、パラッツォ・グリマーニで、いろいろな外国語の詩を朗読するというイベントが企画されているのですが、企画者がご近所さんで、ぜひ日本語もと声をかけられています。
できることはなるべく協力したいのですが、なにしろお恥ずかしながらほとんど本を詠んでいないもので・・・テキスト探しに難航しておりました。ペッシェクルードさんなら、ご存知なのでは!と、過去の記事も含めて参照させていただいていた次第です。
ゴンドラの唄も拝見したのですが、イタリア美術という意味ではちょっと弱いかな、と。上に挙げていただいた茂吉の唄はいいですね。私も全集を検索してみます。
引き続き、情報お待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。
  1. 2013/02/18(月) 16:46:57 |
  2. URL |
  3. fumie #-
  4. [ 編集 ]

齋藤茂吉

fumie さん、コメント有り難うございます。
是非日本の詩歌を朗誦して下さい。
吉増剛造氏は昔から色々な会で自詩の朗誦をされており、何度か聞いたことがあります。
TVで梁石日氏がパリのカッフェで自詩の朗誦されるのを見たこともありました。
齋藤茂吉の歌をコピーして来ましたのでブログの方に載せました。
fumie さんの意向にはまだまだと思われますが。
ご活躍下さい。
  1. 2013/02/19(火) 04:06:20 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア