イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

天正のローマ使節(4)[天正遣欧使節とも]

日本人と一番最初にダンスをしたヴェネツィア人とは?、それは天正の4使節がリヴォルノに上陸するや、ピーザのお城での歓迎の夜会に招き、その夜舞踏会を催し、最初に伊東マンショと踊ったトスカーナ大公妃ビアンカ・カッペッロ(1548~87)です。彼女はバルトロメーオ・カッペッロというヴェネツィア貴族の娘でした。
[ピーザの街を歩き回った時、ガリレーオの生家を見付けた時の感激は忘れられません。]

10代の時フィレンツェの青年と駆け落ちした彼女が、大公妃まで上りつめた経緯は、塩野七生さんの『愛の年代記』(新潮文庫)に詳しいのですが、私はリアルト橋に近いストゥーア小広場(Campiello de la Stua)にアパートを借りていた時、毎日のように彼女の生家(モリーン・カッペッロ館 Pal .Molin-Cappello)を眺めながら、行き来したのでこの館には思い入れがあります。

日本の本で彼女の事を、「公妃ビアンカはただ者ではない。……まんまと公妃を追い出して大公妃の座を獲得した一世の妖婦であった」と紹介している本があるのですが、「公妃を追い出して」と事実無根[公妃は病弱で早く亡くなったそうです]と思われる事が書かれているのは残念でなりません。
鳥瞰的リアルト橋[空から見たリアルト橋]  彼女の生家への道は、先ずリアルト橋から左河岸通り、ワイン河岸(Riva del Vin)を下方に行きます。突き当たりまで行き右へ曲がり、トラゲット(Tragheto)という名のソットポルティコ(sotoportego)を抜けると、サン・スィルヴェストロ(S.Silvestro)広場に出ます。

広場を左前方に向かって横切り、ルガネゲール(Luganegher=腸詰製造人)通りを通過すると、サンタポナール(S.Aponal――伊語では Apollinare)広場です。広場と同名の教会の前を直進し、ポンテ・ストルト通り(Cl.del Ponte Storto)、またの名ビアンカ・カッペッロ(Bianca Cappello)通りを通り過ぎるとストルト橋(捩じれ橋)に出ます。

ストルト(storto)は《捩じれた、歪んだ》の意味です。かつてヴェネツィア118ヶの島内でそれぞれに機能していた道と、後に隣り合った島同士の道を便宜的に結ぶために架橋したので、真っ直ぐでない橋が多く、橋には全て名前が付いているようですが、この名称の橋が各所に存在します。

この橋の頂上で進行方向右の、運河(Rio de le Becarie)の前にある建物がビアンカの生家です。取り立てて美麗という訳でもないこの建物に、今では名状しがたい懐かしさを覚えます。
友人から来たビアンカ・カッペッロの生家の絵葉書[ストルト橋の背後にビアンカの生家モリーン=カッペッロ館] 数年前、医者や病理学者等の専門家が、メーディチ一族の墓を暴き、49の遺体の骨格や死因等を調査するプロジェクトが始まったとヴェネツィアの友人が教えてくれました。現在その事についての翻訳書も出版されています。『メディチ家の墓をあばく』(ドナテッラ・リッピ、クリスティーナ・ディ・ドメニコ著、市口桂子訳、白水社、2006.6.30)です。

そして2006年12月24日、イタリアの Il Giornale 紙にその調査結果が発表されたことを友人が教えてくれました。その記事を訳している人のブログが見つかったので、載せてみます。http://chiacchierona.blog78.fc2.com/ メディチ家、フェルディナンドの陰謀(1月17日付)

フェルディナンドの兄毒殺の事を知った今では、フィレンツェに行ってもサンタ・トリーニタ(S.Trinita――伊語 S.Trinita` とするのは誤り)橋向こうのマッジョ通り(Via Maggio)中ほど右のビアンカの家(入口内部に碑があります)を再訪することはあっても、フェルディナンド1世騎馬像の立つサンティッシマ・アンヌンツィアータ(SS.Annunziata)広場には足を向けたくない思いです。
  1. 2008/04/11(金) 00:11:14|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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