イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: エーリッツォ・ナーニ=モチェニーゴ館とダ・レッゼ館

コンタリーニ・デッレ・フィグーレ館から更に右へ行くと、右はエーリッツォ・ナーニ・モチェニーゴ館です。大運河向かいのフォースカリ館の趣味に近付いているような建物です。15世紀末後期ゴシック様式の建物で一部作り変えられました。四連窓の美しい窓が、煉瓦仕上げで際立っています。E.&W.Eleodori『大運河』(1993)は次のようなことを述べています。
エーリッツォ・ナーニ・モチェニーゴ館他[Erizzo Nani-Mocenigo館 と Da Lezze館] 「真向かいのフォースカリ館の趣を持った15世紀末の後期ゴシック様式の建物。部分的に改装された。2階の張り出した露台は念入りに仕上げられた腕木で支えられて、露台の手摺のコーナーは小獅子で飾られ、四角形の歯形飾りで縁取られた窓は、上部が花形装飾の四連窓で際立っている。

ナーニ家は1297年の大議会のセッラータ(serrata)に含まれる家系で、12世紀ヴェネツィアのトルチェッロから越してきた。その後三つの家系に分かれた。いずれも著名であったが、中心となる家系は1700年代末に消滅してしまった。フランチェスコという人物はダルマティアの施政長官(1194)だった人で、総督エンリーコ・ダンドロ(1192~1205)を選出した一人でもあった。

ジョヴァン・バッティスタ(1616~78)はフランス大使であり、枢機卿長マザリーナの個人的友人でもあり、カンディア(クレタ島)の和平条約締結後(1671)、ヴェネツィアとオスマン・トルコ(Osmanli あるいは Ottomani)の境界線をナーニ線と名付けた。

1300年代ピエートロという青年は、ファリエール家の貴婦人の胸から高価な宝石を奪い取ったことがあった(ナーニ家が裕福だったために向こう見ずな悪戯だったことは確かである)が、片手切断の上、絞首台に吊るされるという判決が下った。

1800年代、著名な名前モチェニーゴを引き継ぐことになった。」
[2012.09.09日に書いた、ジュゼッペ・チプリアーノが《カルパッチョ料理》を提供したアマーリア・ナーニ・モチェニーゴ伯爵夫人はここが住いだったのでしょうか。]

更に右隣のダ・レッゼ館について
「15世紀半ば頃と推定し得るゴシック様式建築。窓上部のアーチに特徴がある背丈の高い窓、上の階の中央の二つの窓は四連窓で、露台手摺は現在は鉄製となっている。18世紀に手が加えられたが、特に1階部分が甚だしい。

15世紀そこの施政官だったスクータリ(アルバニア北部のシュコデル)を放棄せざるを得ず、不運な、英雄的なアントーニオ・ダ・レッゼがヴェネツィアに帰還した時、裏切りの罪で投獄され、10年の追放刑を蒙った。

トルコ軍の圧倒的優勢の中で、ただ敵に勝利するという考えは狂気と言ってよかったし、自分の部下達と勇敢に戦ったということも自分のためにしたことではなかった。敵の攻撃は余りにも獰猛だったので、不注意に屋根に上った猫さえ直ぐ様10本程の矢を射掛けられ、射殺されるほどだった。そして町に降ってきた矢は、籠城軍に料理の燃料を補給するほどまで大量だった。……

しかしヴェネツィアは敗北を赦さなかったし、彼は敗れた指揮官達とその気の滅入る、呪わしい運命を共有しなければならなかった。

言い伝えによれば、973年プーリアのレッチェからヴェネツィアに来た《ダ・レッゼ家》に栄光をもたらした数多い将軍や行政官の中には、例えばあのシルヴェストロのように他の貴族の若者と気晴らしを求めてサン・ジョヴァンニ・グリゾーストモ教会へ行き、贖宥のためにそこにやって来ていた娘達のポケットから、ハンカチを抜き取る等といった、悪戯をするような気の置けない人物に事欠かなかった。

共和国はそんな軽はずみは容認しなかったし、厳罰に処した。6ヶ月の投獄と2ヶ年の追放刑を命じた。」
 ――E.&W.Eleodori『大運河』(1993)より
  1. 2013/03/02(土) 00:02:19|
  2. ヴェネツィアの建築・建物
  3. | コメント:0
<<ヴェネツィアの建物: モーロ=リーン(Moro-Lin)館とグラッシ(Grassi)館 | ホーム | アドルフォ・ファルサーリ>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア