イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

キプロスの女王カテリーナ・コルナーロ(1)

ヴェネツィアの歴史の中で、一番有名な女性は誰だったのでしょうか。Bruno Rosada『Donne veneziane―amori e valori』(Corbo e Fiore Editori)の劈頭を飾るのは、カテリーナ・コルネール(伊語―コルナーロ)ですが、やはり彼女ではないでしょうか? この本から彼女の生涯を辿ってみます。本をそのまま正確に訳すのは著作権に抵触すると思われますので、抄訳と誤訳で記してみます[森口いずみ先生に訳文を読まれたら日本語ではないと叱られるでしょう]。
ブルーノ・ロザーダ『ヴェネツィア女――愛とその価値』「毎年9月第1日曜日は、ヴェネツィアでは歴史的大レガッタ(Grande Regata storica)が行われる。競艇は一つだけという訳ではない。かつてモーターが登場するまで使われていた、商品等を運ぶための6本櫂の頑丈な船である、カオルリーネ(caorlina―単数)のレガッタがある。それからラグーナ(ヴェーネト潟)で使用されるもう一つのタイプの船、2本櫂の軽いサンドリ(sandolo―単数)の一種であるマスカレーテ(mascareta―単数)による女性のレガッタがある。

それから更に後ろの艫が少し持ち上がっていて、その上で漕ぎ手の一人(漕ぎ手は総勢2人だったり4人だったりする)が漕ぐサンドロの一種で、また別のタイプのプッパリーニ(pupparin/puparin―単数)による若者のレガッタがある(しかしこれらサンドロ、マスカレータ、プッパリーンそれぞれは、通常一人漕ぎであり、それがヴェーネト漕法の一大特徴である)。

しかし最重要の競艇、チャンピオン・シップを賭けたレガッタは2人漕ぎの非常に小さなゴンドラ形のゴンドリーニ(gondolino―単数)によるレガッタである(この舟はこの競艇でしか使われない)。[船については2011.02.26日のを、歴史的レガッタについては2011.03.12日の年中行事(9)も参照までに]。

実の所レガータ・ストーリカという競技にはストーリカ(storica―歴史的)と呼べる事は何もないのである。ヴェネツィアでは他の全ての海港都市のように、何か事あるごとにいつもレガッタ(伊語ではレガータregata)という船の競争が行われていた、即ち王侯のヴェネツィア訪問や宗教的・市民的民間儀式の挙行の度ごとに、である。

そして今日においてもヴェネツィアでは色々な行事の度ごとに、数多くの競艇が行われているが、毎年9月第1日曜日に《ストーリカ》という形容詞を冠して行われるレガッタは、ヴェネツィア美術ビエンナーレの第3回目、1899年の時に初めて行われた[ビエンナーレ第1回は1895年、第2回目1897年の特別展では日本の各種の工芸品が展示されました]。当時の市長フィリッポ・グリマーニの強い意向でこのように命名された。

しかしその日のスペクタクルは競艇というより、昔の装いで豪華に着飾った人達が乗った8本櫂の、これまた豪奢に艤装した《ビッソーネ(bissone)》の船列が主役であった。その船列に無数の個人の船が付き従った。2人の貴族に護衛されたサン・マルコ旗を掲げた船が船列に割って入り、3人のラッパ手と4人の鼓手の船が付き従う。
「レガータ・ストーリカ」ガイドそれからそれぞれがサン・マルコの旗を掲げる8人の貴族、10人の元老院議員そして総督の休息時の被り物を赤いビロードのクッションに置き、捧げ持った小姓の船が来る。そして総督自身、トゥニカと赤と黄金色の大きなマントを羽織り、歴史的な総督帽[Corno ducale, Acidaro, Acidario, camauro 等]を頭に、マントと剣を支える2人の小姓を従えて続く。

4人のオリエントからの大使達(シリア、ペルシャ、エジプト、トルコ)、そして8人の乙女がキプロスの女王カテリーナ・コルナーロを守護する。女王は8人のムーア人奴隷に担がれた輿に座し、6人のキプロスからの特使が侍る。行列のしんがりでは《海の提督》が武装したダルマツィア出身の兵士達に命令を下す。この船列はカテリーナ・コルナーロがヴェネツィアに帰還し、セレニッシマ共和国に自分の王国を譲り渡した時の、歓迎の凱旋式を蘇らせる。

しかしカテリーナ・コルナーロとは何者? コルネール家、あるいはコルナーロ家、はたまたコルネーリオ家(何故こうではないのか)。もし人々に信じられているように、ローマ出身のコルネーリアという家柄にまで遡る伝説に信を置きたいのなら、この一族は途方もなく富裕であったし、少なくともその住宅用の館の建つ場所によって、サン・マウリーツィオ教区にあるカ・グランダのコルネール、サン・ポーロのコルネール、サン・カッスィアーノ教区にあるレジーナのコルネールと呼ばれる3家が一番重要である(しかしより遠縁で貧しい分家は枚挙に遑がない)。

カテリーナはサン・カッスィアーノの家系に属していた。この家系は非常に裕福だったので彼女の兄弟のジョルジョは、ヴェネツィアでも余りに金持ち過ぎると思われ、財産分与の意味からも3人の息子達全員結婚させざるを得なかった。
[ヴェネツィアでは、一家の財産を守るために家督相続は嫡男にのみ渡し、他の息子は司教等にするなどの道を拓くのが通例でした]

一家の歴史では4人の総督、7人の枢機卿、4人の司教、4人のサン・マルコ財務官、その他色々の役職に就いた。そしてキプロス島での砂糖と木綿の製造販売で富を得た。この島で広大な敷地を自由に出来たのであった。 ……」 (2に続く)
  1. 2013/03/23(土) 00:02:22|
  2. | コメント:2
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コメント

pescecrudoさん、こんにちは。
ご報告が遅くなってしまいましたが、ご紹介いただいた斉藤茂吉の歌、おかげさまで無事にパラッツォ・グリマーニで読むことができました。
あの中から5つ、友人と選んだのですが、イタリア語訳もなかなかいい感じにできたのでは、と思っております。(友人がだいぶ直してくれましたが)
ありがとうございました。また何かとお願いすることもあるかと思いますが、どうぞ懲りずによろしくお願いいたします。
  1. 2013/03/22(金) 18:07:53 |
  2. URL |
  3. fumie #-
  4. [ 編集 ]

fumie さん、コメント有難うございます。
ブログの方も読ませて頂きました。こんな風に利用して頂き、本当に嬉しいです。
グリマーニ館は修復なった時、フォルモーザ広場に住むファビアーナが素晴らしいから
と言ってすぐ電話予約してくれました。その時は晴美さんが姉妹達に説明を訳して
くれました。
オペラ劇場を造ったグリマーニには本当に興味があるのです。
朗読、ご苦労様でした。日本語ファンの増加を願っています。
  1. 2013/03/23(土) 14:12:18 |
  2. URL |
  3. ペッシェクルード #/plE8HKU
  4. [ 編集 ]

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Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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