イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

書簡に表れたヴェネツィア――フリードリヒ・ニーチェ(2)

2009.02.14日に文学に表れたヴェネツィア―フリードリヒ・ニーチェを書きました。若き日ヴァーグネリアンだった彼は、例えば後年1885年3月13日のマルヴィーダ・フォン・マイゼンブーク宛の書簡で次のように書いています。

「……音楽に関して申しますと、昨秋のことですが、今R.ヴァーグナーの音楽について自分がどのように考えているか、真面目な気持ちで、また好奇心を懐きながら、実験をやってみたのです。なんとどんよりとして、重苦しく、なによりも役者ぶって自惚れた音楽、虫の好かぬものです! 

その虫の好かないことと申したら、ちょうど、そう、そう沢山ありますが、たとえばショーペンハウァーの哲学のようなものです。それはひとりの出来そこないの音楽家にして人間の音楽、しかし偉大な役者の音楽です――断固として私はそう確信いたします。

私は、私の弟子でもあり友人でもありますペーター・ガストの、この本物の音楽家の、勇敢で無垢の音楽を賞賛いたします。……」と。

そんな彼は『この人を見よ』(1888年脱稿)以前の書簡で度々ヴェネツィアの事に触れています。例えば1885年4月には妹のエリーザベト宛の書簡で
「……いま僕が住みたいと思うところはヴェネチア以外にはない。ただし九十パーセントという高湿の空気が僕を苦しめる。……」と。
1887年9月8日には、音楽家ペーター・ガスト[ニーチェが病を得てヴェネツィアから帰国する時、彼に付き添った人]宛に次のような手紙を認めています。

「……フォン・ザーリス嬢は友だちのキム嬢といっしょに夏をここで過ごしていたが(歴史学の博士としてね)、昨日ここを発った。こちらは雨が降っている。兄のほうも降っているのじゃないかね?――察するところ、この秋は、以前に体験したときのように悪い秋になりそうだ。

今までのところ、まだヴェネチアの計画はそのままになっている。ヴェネチアの大運河(カナル・グランド)の婦人は気にいらないね、僕は機嫌をそこねてしまうことだろう。カッサ・ペトラルカでは、月にどれほどかかるのだろう? それとも、兄はなにかニュースを見つけたかね?――珍しいこともあるもので、ローマの計画は、僕が最近予想していたような仕方で、ぐらついている。

もしかすると、ローマは僕にとって無意味かもしれない? またニースへ這っていくことにしようか? せめて兄がニースにいてくれたら! ニースの夏は、兄にとって、ヴェネチアとは比較にならないほど快適であること受けあいなしだ(朝の十時から五時までは海風。その後はもっと涼しい山おろし。夜の外出には外套を着る)。 ……」
[書簡中、《兄》と言っているのはヴェネツィアの音楽家ペーター・ガストへの呼び掛けです。]
   ――『ニーチェ全集』第十六巻(書簡集・詩集)(塚越敏・中島義生訳、理想社、昭和45年5月25日)より
  1. 2013/04/13(土) 00:02:24|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:0
<<フェニーチェ歌劇場日本公演 | ホーム | 『橋を昇ったり降ったり大会(Su e Zo per i Ponti)』>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア