イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

フリードリヒ・ニーチェ(3)

2009.02.14日に書きました文学に表れたヴェネツィア―フリードリヒ・ニーチェ の中の詩も、訳者が変われば次のようになります。

「   《ヴェニス(87)
先頃(さきつころ)、われ 鳶色の一夜、
橋の辺(へ)に佇(たたず)みしことあり。
遠きより歌声の流れ来て、
黄金色(こがねいろ)なす水のしずく
打ち震(ふる)う水面(みのも)に湧きては 流れ去りたり。
ゴンドラと 燈火(あかり)と 音楽と――
なべては酔(え)いて、漂(ただよ)い出(い)でては 小闇(さやみ)のなかにまぎれ離(さ)かりぬ……
そのとき、わが魂(たま) 弦(いと)の調(しら)べのごと、
ひとり、見えぬ手に奏(かな)でられつつ、
秘めやかにゴンドラの歌うたいたり、
目も綾(あや)な至福にしも打ち震えつつ。
――誰(たれ)か その歌に耳傾けし者ありや? ……」

同じヴェネツィアを歌った次の詩もどうぞ。
「   《わが幸福!(88)
 サン・マルコの鳩たちと われ 今ふたたび 相見(まみ)えぬ、
広場は 寂(しず)けくたたずまい、午前は 憩(いこ)いてそこにあり。
やわらなる涼気を衝(つ)いて つれづれに 歌をぞ われは送るなる、
舞い上(のぼ)る群鳩(むらばと)のごと、碧空(あおぞら)へ――
 然(さ)してまた、上(のぼ)りし歌を招き寄せ、
なお一聯(ひとつら)の歌 羽に 懸(か)くるなり、
――わが幸福! わが幸福!

 汝、静かなる天穹よ、淡き青色(あお)して 絹布(きぬ)のごとく、
目も文(あや)な伽藍の上を 漂いて 蔽うが如く 懸(かか)るなり、
わが――何ごとぞ――愛し、畏怖(おそ)れ、妬みてやまぬ伽藍の 上に……。
(げ)にわれは かの伽藍より 霊気をば飲まんと 望むなり!
 なれど、何(なに)とて 飲みたるものを返却(かえ)すことの あり得ん? ――
否なり、こはひとり われと汝(なれ)の秘密なり、汝、眼の 不思議なる悦びよ!
――わが幸福! わが幸福!

 汝、毅然たる塔よ、獅子の気迫もて
ここにそそり立つ、かちどきあげて いと軽々と!
また深き音色(ねいろ)もて 広場の上に ひびきてわたる――、
その姿、フランス語の 鋭音記号(アクサン・テギュ)にてもあらんこと。
 若しわれにして 汝が如く 永くここに留(とど)まるを得ば、
(な)が内の、絹のごとくやわらなる 必然の力を 知り得んに……
――わが幸福! わが幸福!

 去れよ迅(と)く、去れよかし 音楽よ! 先ず影の濃きを増し、
ついに鳶色(とびいろ)の 温(ぬる)き夜となるを 待て!
今はなお、調べには早き 日中(ひるなか)なり、黄金(おうごん)
飾り具も 未(いま)だ 灯火(ともしび)の バラ色なす絢爛(けんらん)に 煌(きら)めきてあらず、
 今はなお、日中(ひるなか)の あり余りて残れるなり、
(うた)作り、忍び歩き、はた孤独なる密談にこそふさわしき 日中(ひるなか)の、
――わが幸福! わが幸福!」
詩の注(87)と(88)の詩の注
   ――『ニーチェ全集』第十六巻(書簡集・詩集)(塚越敏・中島義生訳、理想社、昭和45年5月25日)より 
  1. 2013/04/20(土) 00:03:28|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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