イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: カ・デル・ドゥーカ(Ca` del Duca)館

マリピエーロ・カッペッロ館を過ぎ、19世紀のテッキオ・マーモリ館の右にデル・ドゥーカ館が登場します。E.&W.Eleodori『大運河』(1993)はデル・ドゥーカ館について次のように言っています。
デル・ドゥーカ館「右角の柱の大きな柱身、ダイヤモンドの角を持つ浮き出し飾りのある石積みの力強い壁面等は、1450年頃バルトロメーオ・ボン(カ・ドーロの建築家)に建築が依頼された時、マルコ・コルネールが望んだと同じ建造物であるという思いを抱かせる。

それ故彼の娘のカテリーナがキプロス(Cipro)女王になった時、彼は自分の階級に相応しい、総督宮殿のそれよりずっと広い中央大サロンを備えた住いを建てさせるつもりだった。

しかし1461年、敷地は傭兵隊長だったミラーノ公フランチェスコ・スフォルツァに譲られた――その事のためにCa` del Duca(公の館)という名前は来ている――多分通称フィラレーテと呼ばれたアントーニオ・アヴェルリーノの建築案によって仕事が進められる予定だった。

しかし館の建築は中断されたままとなり、その壮大さとヴェネツィア的でないその建物の性格はラグーナの伝統の品位と尺度といった意味で、明白に異質なものと言ってよかった。紆余曲折の後、建築は決定的に中止され、そのため建物は見栄えのしない、地味なものとして完成した。

1513年にはティツィアーノがこの館にアトリエを設け、そこで総督宮殿のために大きなキャンバス画を完成させたが、その後館の火災で灰燼に帰した。

その後館は、ナーニ=モチェニーゴ家の手に渡った。 ……」

G.Lorenzetti『ヴェネツィアとその入江』(1926)によれば、
「……その後1961年、この上に近代的な建物が増築され、マリーノ・ナーニ=モチェニーゴ伯爵により、その妻カテリーナ・ヴェッルーティ・ナーニ=モチェニーゴの思い出のために、東洋美術のコレクション、珍しい、貴重な1700年代の陶磁器の興味深いコレクションが展示された。」

2012.11.03日に書いたヴィットーレ・カルパッチョの中のアッリーゴ・チプリアーニ著『ハリーズ・バー』に登場するナーニ・モチェニーゴ伯爵夫人の邸宅とはここでしょうか?
  1. 2013/05/25(土) 00:03:46|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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