イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――アントン・チェーホフ

『Zeppelin, citta` raccontate da scrittori―Venezia』(I libri di diario というシリーズ本の付録だったようです)という本をボローニャ駅前の屋台の古本屋で見付け、読んでみました。チェーホフのヴェネツィア滞在記が掲載されていました。日本でアントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ[1860.01.29タガンログ~1904.07.15バーデンヴァイラー]の翻訳を探してみましたが、チェーホフ全集(中央公論に訳があるようです)を見付けることが出来ませんでしたので、この本の伊語訳からそのチェーホフの和訳を試みてみました。
『Venezia』アントン・チェーホフ[チェーホフ像、ウィキペディアから借用] 「ヴェネツィアに来て、突如胸の痛みに襲われた。多分夕方、サンタ・ルチーア駅からホテル・バウアーまでゴンドラで向かう最中、風邪を引いたに違いない。ヴェネツィア初日からこんな風に、ベッドに潜り込まざるを得なかった。その上2週間もの間であった。

毎朝、病でベッドに臥せっている間、Zina`djda Fjo`dorovna が部屋から見舞いに来てくれて一緒にコーヒーをした。それからウィーンで買った沢山のロシアやフランスの本を読んでくれた。これらの本はずっと前から熟知しているもので、別段興味を呼び覚ますといった類のものではなかったが。

しかし傍で聞いていると、親しい声が耳に心地よく響く。だから結局その語られる事は全て、独特の印象を帯びるのである、それは多様性を帯びたものになるということ。

彼女は散歩に出掛ける、そして明るい灰色の衣装を纏い、春の陽光を一杯浴びて温かくなった、軽快な麦藁帽子を被って帰ってくる。そして私の枕元に腰を下ろし、私の顔を覗き込んで、見てきたヴェネツィアの由無し事をあれこれ話しながら、本を読んでくれるのだった。私は大いに慰められた。

夜は寒さに戦き、おまけに退屈していたが、昼間は生きていることが楽しく感じられた。そんな風に感じていることは他のやり方では表現出来ないかもしれない。燦々と光り輝く、焼けるような陽光が開け放った窓や露台の開き戸に打ち付ける。

階下から飛び込んでくる人の叫び声、櫂を漕ぐシャワシャワという音、鐘楼の鐘の音、お昼に撃たれる大砲の轟音、そして完全に心置きなく自由なのだという思いが、私には何かしら奇跡のように思われた。何処へでも私を運んでくれる大きな力強い、いくつかの翼を両脇に生やしているような感があった。

そして何と魅惑に満ち、はたまた歓びに溢れていることか、私には我が命ともう一つの命が今や轡を並べて闊歩しているかのような思いに囚われた。そして私は若くして美しい、富裕ではあるが、ひ弱で侮蔑に足る、孤独なる、か弱き生物である旅のお供、従者であり守衛であり友であり、はたまた必要にして不可欠なる者なのである。

病に臥せることさえ喜びとなる。そこには誰か人がいて、彼はお祭りのように君の全快を待ち侘びているのだ。ある日ドアの傍で、主治医とひそひそ話すのを聞く、そして泣き腫らした赤い眼で部屋に入ってくるのを見る。凶兆だ! しかしながら感慨いとしげく、心に常ならぬ軽やかさが生まれる。 …… [下写真中、三連窓のデズデーモナの家、コンタリーニ・ファザーン館]。
コンタリーニ・ファザーン館2週間の最初の日は、行きたい所へ行くことから始めた。私は薄日の太陽の下で過ごしたり、意味は分からないがゴンドリエーレが歌うのを聞いたり、何時間もデズデーモナが住んだと言われている館を見て過ごすのが好きだった。軽いレースのように乙女っぽい軽快さを見せる、清げで寂しさを湛えた建物である。片腕でも持ち上げることが出来るとも言えよう。

長い間、カノーヴァの墓の傍にいた。そしてあの悲しみに眩れるライオンから目を逸らさなかった。そしてまた総督宮殿の中庭で、あの天井の片隅で目にした物のことを感じ続けていた。そこには哀れなマリーン・ファリエーロの肖像が黒く塗り潰されていたのだ。 ……」
 ――アントン・チェーホフ著、短編集(1886年)より
  1. 2013/06/01(土) 00:05:20|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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