イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ロザルバ・カッリエーラ

10年以上前初めてヴェネツィアに行った時、訪れたたいと思った場所が4ヶ所ありました。マルコ・ポーロとゴルドーニの家、クェリーニ・スタンパーリア美術館、そして《18世紀美術館》としてのカ・レッツォーニコ館でした。この館の正面階段を昇り、最初の部屋に入ると予期せぬ肖像画『ファウスティーナ・ボルドーニの肖像』があり、閨秀画家の名前ロザルバ・カッリエーラ(1675.10.07ヴェネツィア~1757.04.15ヴェネツィア)が頭に染み込みました。
『ロザルバ・カッリエーラ自画像』カ・レッツォーニコ館ロザルバ・カッリエーラの部屋ロザルバ・カッリエーラ画『ファウスティーナ・ボルドーニ・ハッセの肖像』 左、『ロザルバ・カッリエーラ自画像』。中左、カ・レッツォーニコ館。中右、館内のロザルバの部屋。右、『ファウスティーナ・ボルドーニの肖像』(彼女については2007.12.25日のCa' Rezzonicoも参考までに)。
バロック・オペラ好きだった私にとってボルドーニの名前は、当時ロンドンでヘンデルやG.ボノンチーニのイタリア・オペラを歌う歌姫としてフランチェスカ・クッツォーニとトップを争うプリマ・ドンナの一人でした。文字に書かれた歴史だけでなく、こうした絵画の形で目の前に現れると、名状し難い感慨を覚えました。

ここでロザルバの人生を辿ってみることにしました。Marcello Bruseganの『ヴェネツィア人物事典(I personaggi che hanno fatto grande Venezia)』(Newton Compton Editori)から何とか日本語として理解出来るように変換してみます。
『ヴェネツィア人物事典』「ロザルバ・カッリエーラは有能にして頭脳明晰、内向的で孤独癖があり、憂鬱に沈みがちであった。また意志堅固の上、大いなる独創力に長けていた。美人ではなかったものの魅力に溢れ、彼女の絵画の優雅さや多才な天分によって、当時の最高の肖像画家として一世を風靡し、若くして国際的な名声を得て、ヨーロッパ中の有名な宮廷から度々お呼びが掛かり、特にパリとヴェネツィア間を往復した。

描く技量のみならず、ヴァイオリン奏者として、また歌手としても卓越しており、当時の教養人の集まりに対して王宮や貴族の館が門戸を開いており、そこで他の画家達と同等に競うことが出来たのだが、彼女はそこではプリマ・ドンナだった。

1675年10月7日サン・バジーリオ教区[後この教区は廃止]に生まれた。子供の頃から彼女の天職の成長を妨害するものは何もなかった、というより、ラッザリやディアマンティーニのような画家、細密画の手法を伝授したバレーストラやステーヴェ[一家の友人フェリーチェ・ラメッリの説もある]のような教師の下、彼女を画家の道に進ませようとする父の愛情で勇気づけられた[彼女の祖父が画家だった。ティントレットが娘マリエッタに対した態度とは丸で異なる。彼の時代は娘に対しては厳しいものだった]。

直ぐに名前が知られるようになり、形式張らないテクニックとデリケートなタッチを兼ね備えた、洗練された肖像画家としてのロザルバは、細密画でもデリケートで、優雅さを持ち合わせたパステル画の名手として、貴族階級とブルジョワ階級が彼女を奪い合うような、イタリアと国際的な画界で絶大な人気を博した。

肖像画とミニアチュールは、デンマークのフレデリク4世(FedericoⅣ)、ザクセンのアウグスト公、モーデナ公、ウィーンの宮廷等から注文があり、ウィーン宮廷は特にメタスタージオの肖像画を求めた。

1720年パリに移動したが、収集家のパリジャン、クロザに招かれ、1721年までその地に滞在し、クロザ本人や当時の最も有力な貴族、王まで描いた。彼女の名声は絶頂となり、ある美術評論家が書いたように《当時のあらゆる貴紳淑女は彼女の前に身を屈したと言えよう。彼女のパステル画は大成功を収めた……。ルイ15世は当時子供であったが、彼女に礼を尽くした最初の人間の一人だった》。

しかしロザルバは、大成功や取り巻く周りの空疎な状況で自分の道を踏み誤ることはなかった。内向的になり、鬱で孤独に浸り込み、家族の愛情を必要としてヴェネツィアに戻った。しかしそこから新しくモーデナへの短い旅、ウィーン滞在へと動き出す。

間断なく描き続けたが、直観に頼ったり、また顔形の表現のみからは遠ざかっていき、表情の内面性を深く掘り下げ、アレゴリックで神話的テーマを追究するようになっていく。

最晩年は愛した姉妹で協力者であったジョヴァンナの死で打ちのめされる。抱えていた重篤の眼病は、最初回復の兆しが見えたものの、良くなることはなく、失明へと進んでいった。ドルソドゥーロ区サン・ヴィーオ教区の大運河に面した館で、1757年4月15日亡くなった。 ……」
カーザ・ビオンデッティ他左端に一部見える白いグッゲンハイム美術館(ヴェニエール・デイ・レオーニ館)右隣の赤茶色の建物が、彼女が生まれ、亡くなった、ビオンデッティ館。
『鳩を持つ少女』.『弦楽器を持つ少年』『タンバリンを持少女』.『ジャンバッティスタ・ティエポロの肖像』『La Primavera(春)』.左、2001年『華麗なる18世紀イタリア――ヴェネツィア絵画展』で来日の『鳩を持つ少女』。中左、2007年『ヴェネツィア絵画のきらめき』で来日の『弦楽器をもつ少年』、中央『タンバリンをもつ少女』、中右『ジャンバッティスタ・ティエポロの肖像』、右、2011年『ヴェネツィア展』で来日の『La Primavera(春)』。――ロザルバ・カッリエーラの絵画、全般については次のサイトでどうぞ。Rosalba Carriera
  1. 2013/06/08(土) 00:05:37|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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