イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――モンテスキュー

モンテスキュー(Charles=Louis de Secondat, Baron de la Brède et de Montesquieu―1689.01.18ボルドー~1755.02.10パリ)と言えば、高校時代の世界史で『法の精神』を書いた啓蒙思想家と教わりましたが、事典によれば次のようです。

「1714年ボルドー高等法院判事、16年同院長。『ペルシア人の手紙』を21年出版、文名が高まる。27年アカデミー・フランセーズ会員。28年ヨーロッパ中を遊学。実証的・社会学的方法論で書かれた『法の精神』(1748)を出版、権力の分立・抑制理論を展開して近代の政治原理の基礎を構築した。政治的自由とは法を尊重することにより獲得されるものであるが、それは国家の立法・行政・司法の三権分立によって保証されるべきである」と。
モンテスキュー『Venezia』[左、サイトから借用。右、彼のヨーロッパ遊学中の『イタリア旅行記』(1729)ヴェネツィア編が、伊語訳(Viaggio in Italia)で上掲の本にありましたので、その伊訳から訳してみます。]
「……ヴェネツィアの館はファサードが狭苦しく、軒を連ねているのだが、ファサードそのものは美しい。素晴らしい建築家がいたのだ。パッラーディオであり、サンソヴィーノである。教会のクーポラは美しいが、木製である。土地が重い建造物には耐え難いからだ。他所の土地では無駄なことはしない……。

古い館には絵が沢山ある。
ゴルジは、ヴェネツィアを自分の家財を売り払ってしまう年老いた娼婦に比較していた。
絵が教会で何時までも保存されるのはよろしくない。一つには湿気、二つには埋葬された遺骸が発する瘴気が駄目にしてしまうのだ。

ヴェネツィア以上に大理石に満ちた町というのはない。ヴェネツィア人はコンスタンティノープルを占領して、沢山の円柱を持ち出した。更にギリシアの島々や群島を獲得し、直ぐ後にはオリエントの王達を屈服させ、欲しいだけ大理石を手に入れた。

聖イグナティウス(伊語S.Ignazio di Loyola―イグナティウス・デ・ロヨラ)が暫くの間ヴェネツィアに滞在したことがあった。修道会の最高のものを作り出したと言われており、イエズス会士のカラーと僧服は当時の僧達のカラーと酷似している。バルナバ会修道士を御覧じろ。

イエズス会は元老院議員を信者にした。だからヴェネツィアでしたいように出来ることになる。何という斎日であったことか。そしてヴェネツィアの法律を、良心という掟が邪魔立てする。彼らは結婚するために、それまでの内縁関係など重視しないのである。

ヴェネツィアには軽妙なゴシック建築が数多く存在する。例えば総督宮殿。ゴシック様式というのは他の建造物より教会がよりお似合いと思われる。
……
サン・マルコ広場の一方は旧行政館であり、真向かいは新行政館である。新行政館はヴィンチェンツォ・スカモッツィの設計であり、1583年に建設が始まった。旧行政館より高く、3様式を持つ。即ち、ドーリア式、イオニア式、コリント式である。専門家の意見は、建築は新旧の間で統一性がない、と。広場の奥は……。
サン・ジェミニアーノ教会サン・ジェミニアーノ教会[ナポレオンが1807年ナポレオン翼(Ala napoleonica)を作るために取り壊させたサン・ジェミニアーノ教会が広場奥に見えます。左、カナレット画、右、その絵をヴィゼンティーニがエッチングにした物。教会左が新行政館、右が旧行政館。]

大運河のグリマーニ館は、ヴェネツィアで最も美しい建物の一つである。斜めに建設されたのは、土地のコーナーを有効利用するためであった。正にそう見える。パッラーディオの手によるものである。ティエーポロ館はその向かいにある。サンソヴィーノが手掛けた。単純だが非常に美しい。

ヴェネツィアは150の島から成っている。各島には沢山の道がある。例えば Biri 地区の島は3本の運河と海に囲まれており、56本の通りを数えた。
[カンナレージョ区のサン・カンチャーノ(S.Canzian)教会の東に、現在 Rio terà dei Biri(ビーリ埋立通り)o del Parsemolo という通りがあり、Rio de Ca' Widmann と Rio de la Panada の二つの運河と Laguna(潟)で囲まれた地区があります。モンテスキューの訪ヴェネツィア時は、このビーリ埋立通りはまだ運河だったと思われます。]

大運河は町を2分する。六つの地区に分かれ、各々7教区があり、25の修道士と36の修道女の教会がある、救貧院や小礼拝堂、同信会館は勘定に入れないでである。

これらの島々には500の橋(殆どが石橋)がある。リアルト橋は大運河に架かる唯一のアーチ状の橋で、48軒の店と3本の通りが通じている。造幣所(Zecca)とサン・ジョルジョ島を含めて市の周囲は7マイルに及び、造船所(Arsenale)だけでも2マイルの広さがある。

ヴェネツィアは大きいが車庫も厩舎も庭も公園もない。ムラーノ島には2万人の住民がいるというが、ヴェネツィアの住民の数を私は言うことが出来ない。言える事はサン・マルコ広場周辺より他の地区は、人口密度が少ないということである。ムラーノとヴェネツィアを総合して、16万人を数えると聞いた。……」

1700年代前半は、現在の町の様子と大分違っていたように思われます。
  1. 2013/07/13(土) 00:04:22|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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