イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――アルド・パラッツェスキ(Aldo Palazzeschi)

下掲の本によれば伊人アルド・パラッツェスキ(1885.02.02フィレンツェ~1974.08.17ローマ)は、Aldo Palazzeschi著『La Piramide』(Mondadori、1926)の中でヴェネツィアについて次のように書いているそうです。
アルド・パラッツェスキ『Venezia』[左、イタリアのサイトから借用。右、この本に引用されたものからの訳]  「昼となく夜となくゴンドラで大運河を行く、複雑に入り組んだ狭小のリーオから、大運河に抜け出ていくのを見る、その素晴らしい広大な大運河はラグーナに溢れ注いでいく、静寂の中でゴンドリエーレ達、また彼らの叫びが木魂し、唖然たる騒擾である。

目に迫りくる、はたまた春宵一刻値千金のサルーテ教会の丸屋根の影の背後から、ナーポリやスペインの楽しげなカンツォーネが耳を愛撫する。

ファサードにレース飾りを施した邸館が顔を出す、サン・マルコ小広場は陽光の下、薔薇のような黄金色に輝いて、そしてまた月光の下、白銀の光を発して眼前にある。

街灯が、大理石の中に埋め込まれた豆電球のように点滅しながら街衢を映し出す、賑わいのある、繁華な通りをお喋りに興じながら行く、メルチェリーア通りでヴェネツィア人の現代生活の中にそっと紛れ込む……。

サン・ジョヴァンニ・エ・パーオロ[引用文は“サンティ”ではなく“サン”と書いてあります]教会、フラーリ教会、スカルツィ(跣足派)教会、一つの曲がり角、更にまた曲がり角、ポルティコの傍を、そしてその下を通り、数え切れない様々な橋を上り下り、昇降し、ゴルドーニ劇場あるいはマーリブラン劇場に行く……。

カッフェ・クァードリあるいはフロリアーンでジェラートを注文し、楽団の演奏に腰を下ろして何時間も耳を傾け、散歩の人達に目をやり、それからスキアヴォーニ海岸通りへ向かう。

セポルクロ、ピエタ、更にヴィーノ、パーリャの素晴らしい橋をゆっくりと昇っては降り、カ・ディ・ディーオその先のジャルディーニ(公園)まで赴く。……」
[Ca' di Dio(神の館)とは、スキアヴォーニ海岸に面している、巡礼者のために13世紀に建てられたものです。サンソヴィーノによって1545年に再建されましたが、その後貴族あるいは正当市民階級の女性を収容する施設となりました。現在は女性の救護施設です。]
『イタリア文学史』『イタリア文学史』(岩倉具忠、清水純一、西本晃二、米川良夫著、東京大学出版会、1985年7月10日)はパラッツェスキについて次のように述べています。

「アルド・パラッツェスキも、長い生涯の最晩年まで、衰えを知らぬ才能を示した。詩集『白い馬』(1905)と『提燈』(1907)で、伝統的な詩的抒情の不可能を告げた後、未来派への参加とともに小詩篇『放火者』(1910)を発表し、グロテスクとナンセンスの哄笑による詩人の叛乱を宣言した。

最初の小説『ペレラーの法典』(1911)も、煙=人間を主人公として、現代の不条理を大胆痛烈に諷刺する。のちにかれは、パピーニらとともにマリネッティを批判するが、かれが執筆した宣言「反=苦悩(コントロ=ドローリ)」(1914)は、未来派の夥しい宣言のなかでももっとも辛辣である。

両大戦間には一転して、旧世界の慎ましい事物や貧しい小市民の生活に寄せる皮肉な共感を、リアリスティックな手法で、多くの短篇および長篇作品に表す(代表作『マテラッシ姉妹』(1934))が、本来のみずみずしく皮肉な好奇心と空想力はいささかも衰えず、六〇年代の《新前衛派》興隆の気運に際しては、ファンタスティックな小説『統領(ドージェ)』(1967)、『ステファニーノ』(1969)や、詩集『ぼくの心』(1968)、『百星の道』(1972)等をつぎつぎと発表して、人々を驚かせた。……」
  1. 2013/06/29(土) 00:03:17|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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