イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――吉行淳之介

吉行淳之介(1924.04.13岡山~1994.07.26東京)好きだった私は、この吉行淳之介・篠山紀信著『ヴェニス 光と影』(新潮社、五十五年十月二十日)を初めて読んだ時、ヴェネツィア=原色の街といった思い込みで読み始めたように記憶します。ヴェネツィアに行くようになって読み直しました。
『ヴェニス 光と影』「……陸路を経てヴェニスの中央停車場に着くのは、宮殿に入るのにわざわざ裏口を選ぶのと同じだ、とその作品には書いてある。たしかに、海を越えて近寄ってくれば、この石の島の中心部をいきなり見ることができる。

ヴェニスに数日滞在しているうちに、この島の表玄関は、サン・マルコ広場に隣り合わせているドゥカーレ宮殿の前の石甃のスペースであることが分かってくる。

そこの岸には、ある間隔を置いて二本の背の高い円柱が立っている。海から見て左の円柱の頂上にはライオンの彫刻が置かれ、右の円柱の頂には聖者像がある。この円柱のあいだが、表玄関なのである。

私たちはまぎれもなく、海のほうからヴェニス本島の中心部に近づいていった。しかし、そういうものは、何一つとして私の眼には映らなかった。同年輩の小説家アシェンバハは、同じアドリア海の島の一つから、大きな船に乗ってわずか数時間の航海をしただけなのだから、疲労で眼が霞むということはない。好奇心もまだ生き生きしていただろう。

しかし、この島の風物を細密に描き上げるのは、トーマス・マンの企みでもある。末尾に近づくにつれて、そういう美しい風物を、陽画から陰画へとしだいに移行させてゆくのである。
……
運河から海へ出たモーターボートは、しばらく走ってから舳先を左へ向けた。振り返ってヴェニスを見た。

ホテル・ダニエリの左の建物は、牢獄である。そのすぐ左に運河があり、ドゥカーレ宮殿がある。運河の上に、牢獄と宮殿との連結部分があり、あれが溜息橋だ。牢獄に送られる囚人が、入口を兼ねているこの橋を渡るとき、ふっと溜息をつくので、その名が付けられたという。

サン・マルコ広場に、一際高く突出しているのは大鐘楼である。

左へ眼を移すと、海の上に点々と漁船が浮き、遊覧船が一隻、ゆっくり動いている。その向こうに、細長く左右に伸びているのはリド島である。その島には土があり樹木があり砂浜があったが、ヴェニスは石と水だけの島だった。
『不思議な場所にきていたものだ』
ようやく私の心に、そういう感慨がゆっくりと拡がっていった。 ……」
『ヴェニス 光と影』[この本は2006年5月25日に装いも新たに、吉行X篠山の対談を追加、更に写真を全面的に差し替えて、魁星出版から再版が発行されました。吉行さんはトーマス・マンの『ヴェニスに死す』(最近は『ヴェネツィアに死す』という新訳も出版されています)と対話しながらこの本を執筆していますが、この本を映画化したルキーノ・ヴィスコンティ監督の『ベニスに死す』(1971年一般公開)はご覧になっていないのでしょうか、その事についての記述はありません。]
  1. 2013/08/10(土) 00:02:06|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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