イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――アンリ・ド・レニエ(4)

2009.05.23~05.30日に書いたアンリ・ド・レニエ(1)~(2)で触れた、『世界名詩集大成 3巻 フランスⅡ』(平凡社、昭和37年4月1日)中の『水都幻談』は、1994年5月に同出版社から平凡社ライブラリー版『水都幻談――詩のコレクション』として再版されています。2011.08.27日のアンリ・ド・レニエ(3)でもレニエについて触れました。

そのド・レニエがイタリアに赴き、ヴェネツィアに到着したのは1899年だそうで、彼は一目でヴェネツィアの虜になってしまったようです。以後彼の作品には、しばしばイタリア、とりわけヴェネツィアが舞台として登場するのだそうです。

下掲の作品『生きている過去』は、チェスキーニ伯爵の舞踏会でワトソン嬢との結婚話が最終的に終りとなったジャン・ド・フラノワに、主人公ロオヴローが費用は自分が持つからイタリアを旅行しようと持ち掛け、ナーポリ、ローマ……ヴェネツィアと旅をします。
『生きている過去』『ロオヴローはジャン・ド・フラノワにいったとおり、ヴェネツィアで《カザノヴァ風》に暮した。

大好きな英雄のあとを追って、彼は熱心にこの町を歩きまわった。そこはカザノヴァが執政官官邸の廻廊を気どって散策した時代から、ほとんど変っていなかった。サン・ジョヴァンニとサン・パオロ両聖人の広場には、コレオーニの像があいかわらず立っており、その足もとで、ムラーノの修道院からゴンドラでやってきた美人修道尼が、恋人のカザノヴァと落ちあったのである。

カザノヴァがコルフやフジーナに向かって舟に乗ったサン・マルコ小広場は、依然としてその大理石の階段を潟の海水にひたしていた。この運河のそばの小さな橋は、まさしく、ある夜彼がラツェッタを棒でたたいたところである。サン・タンジェロ広場の彫刻があるこの井戸は、彼がある晩、石卓を取りのけてしまった井戸である。

その頃の彼は、ブラガディーノ氏と出あってカバラをやってみせる前のことであり、サン・サムエーレ座のしがないヴァイオリン弾きとして良からぬ生活をおくり、深夜に悪ふざけをして町じゅうを恐れおののかせていた。彼がひそかにゴンドラの纜(ともづな)をといたのは、ここの《渡船場(トラゲット)》においてである。

総督宮殿(パラッツォ・ドゥカーレ)のなかでは、プロン[piombo(鉛監獄)の仏語式表記]脱走の道順をねりなおすことができた。あの名高い書物に描かれていることは、それが演じられた同じ場所に今も一つ一つ甦っていた。

もちろん、衣裳の色とか布地のきらめき、あらゆる流行の衣裳やお仕着せや制服、あるいはまた、赤い服の元老院議員、トルコ風の身なりをしたスラボニア人、鐘の揺れと音楽の響きに合わせて行進や行列を楽しみ、六カ月もつづく謝肉祭の狂乱に酔いながら陽気にはしゃぎまわる群集、といったものには欠けている! 

しかし過去の、ロオヴローが当時の絵やデッサンに見出した人物たちのいる過去の、その幻影をみるのに好都合なヴェネツィアの景観は、いまも変らず残っていた。グァルディ、カナレット、ロンギ、ロザルバといった画家たちはロオヴローのために、華やかな各自の衣裳を身につけ、板についたしぐさをする人物たちを描いてくれていたのだ。

カザノヴァと同時代の彼らは、化粧や仮面やかつらの下から、今なお、ロオヴローにほほえみかけていた。

アヴァンテュロスという名前にしてリーニュ公はカザノヴァの肖像画を描いているが、そのカザノヴァはわれわれに、ヘラクレスばりの頑丈な体軀と、いきいきとした目と、《アフリカ人の顔色》をみせている。」
……
「《お好きな町はどちらでした?》
彼は一瞬ためらった。
《ヴェネツィアです。》
そしてさらにいった。
《とても美しく、悲しいところです。あすこでは人は誰も、自分を待っている誰かと会うのじゃないかと、つねにそんな気持を抱くんです。人気のない小さな広場がいくつもあって、まるでそれらが、神秘的なめぐり会いのためにつくられているようなのです……。》 ……」
 ――アンリ・ド・レニエ『生きている過去』(窪田般彌訳、岩波文庫、1989年11月16日)より

最後の引用部は、レニエのヴェネツィアに対する思いが作品の中に素直に表現されたのだという思いを抱かせます。
  1. 2013/12/11(水) 00:03:11|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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