イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ドキュメントに表れたヴェネツィア――アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ(1) ゴンドラ

去る17日の新聞La Nuova紙に次の記事が掲載されました。

リアルトで衝突事故。アチティヴのヴァポレットが客を満載したゴンドラを転覆させた。ミュンヘン大学のヨアヒム・ラインハルト・フォーゲル刑法学正教授50歳は、岸に上げられた時には意識はあったが、病院で13時20分息を引き取った。3歳の娘は顔に深い損傷を受けた。副検事ロベルト・テルツォはヴァポレットの運転手とゴンドリエーレの過失を認め、過失致死罪の調べを開始。オルソーニ市長は交通再検討の会議を直ぐに開催するという。」

下記の書によればゴンドラの事故は今まで幾つかあったそうですが、死亡事故は今回初めてのようです。新聞のキャプションをクリックすると映像をご覧になれます。

アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ(Alessandro Marzo Magno、1962.09.ヴェネツィア~現ミラーノ在住)著『ゴンドラの文化史――運河をとおして見るヴェネツィア(La carrozza di Venezia Storia della gondola)』(和栗珠理訳、白水社、2010年8月30日)を、2011.05.21日ヴェネツィアの事について触れた本(3)の一覧にリストアップしましたが、本年4月、同著者の『そのとき、本が生まれた』(清水由貴子訳、柏書房、2013年4月8日)が更に刊行されました。どちらも大変面白い本ですので、今回は前者を紹介します。
アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ『ゴンドラの文化史』ゴンドラ雪を被ったゴンドラ係留のゴンドラこの本はゴンドラという言葉がどうして生まれたのかに始まって、その成立ち・構造から、世界での受容へ、歴史的視点から現状に至るまで、系統的にあらゆる面について述べたもので、大変興味をそそられました。ヴェネツィアに行かれる方の一読をお勧めします。

目次を読めば、全体の構成が一目瞭然ですが、その間に散りばめられた小話やエピソード等がゴンドラのみに固執することなくヴェネツィアという町をより興味深くし、旅を盛り立ててくれる内容となっていました(ヴェネツィア旅行をされる方は殆どゴンドラに乗られます。私も二度体験があります、トラゲットは別にして)。
例えば、
「……フラーリ広場を描いた1743年のミケーレ・マリエスキの銅版画には1台の馬車が見える。18世紀のヴェネツィアでは、馬はもはや移動手段ではなくなっていたが、明らかに、ヴェネツィアの馬車製造人はまだ名声を保っており、輸出用に馬車をつくっていた(実際には、19世紀半ばにもヴェネツィアに馬がいたことが、アメリカ領事ウィリアム・ディーン・ハウエルズがサンテレーナ[サンテーレナ島のこと]の公園の厩舎についての記録を残していることからわかる。

そこでは1時間1フィオリーノで馬を借りることができ、乗馬者のほとんどすべてが――なぜかはわからないが――ユダヤ人だったということである)。」(《ゴンドラは馬車である》の章)
……
「数十年前まで、ヴェネツィア人は結婚式と葬式の時しかゴンドラに乗らないと言われていた。今日では、そのような機会にさえ乗ることはない。かなり前から、ヴェネツィア市の葬儀事業では、共同墓地のあるサン・ミケーレ島に死者を運ぶのにモーターボートが使われている。また教会や市役所内の結婚式場へ向かうのに、豪華な調度で飾られ、白いお仕着せに赤い帯をしたゴンドリエーレが漕ぐゴンドラを選ぶ者は、もはや誰ひとりとしていない。嘆かわしいことだ。
ゴンドリエーレの結婚式衣装ゴンドリエーレの結婚式の正装[正装の《白いお仕着せに赤い帯をした》前後2名のゴンドリエーリが正式のようです――この写真はこの本掲載ではありません]
もっとも、現在営業している425人のゴンドリエーレ(プラス100人ほどの補欠人員)にとって、婚礼の仕事は厄介なだけで、金をたんまり持った観光客のグループを乗せるほうが好ましいだろう。
……
ゴンドラがいつ生まれたかはわからないが、その名前が史料に初めて現れた年は正確にわかる。1094年、ヴィターレ・フェリエールがドージェであったころに書かれた羊皮紙文書に、ロレオの住民に対してこの種の小舟をヴェネツィアに提供する義務を免除する、との記述がある(《汝らはいかなるゴンドラも我らにつくらずともよい》)。……
……
……ヴェネツィア共和国は、1797年5月12日に滅亡した。その歴史は、古代ローマの歴史よりも長い。ヴェネツィアの始まりは、滅亡の1200年前、ローマ帝国の遺産を略奪して回る蛮族が迫ったときのことだった。今度は、迫りくるナポレオン軍を前に、ヴェネツィア貴族の集会である大評議会は、自主的解散とドージェの廃位を可決した。

ナポレオンは、1万5000点の美術品を奪い、国立造船所(アルセナーレ)を破壊し、そこにあった船体と大砲の類いを持ち去り、気まぐれで10点ほどの聖堂を取り壊し、385のスクォーラ(信仰と慈善のための団体)を閉鎖し、想像できないほどの芸術的財産を散逸させた。 ……」等々。
 ――『ゴンドラの文化史――運河をとおして見るヴェネツィア』(和栗珠理訳、白水社、2010年8月30日)から

次の新聞La Nuovaの2009.06.26日、La Nuova 2の2010.08.13日の記事に、ゴンドリエーレ史上初の女性ゴンドリエーラとして免許取得試験に受かった、2人の子供のマンマであるジョルジャ・ボースコロ(23歳)さんのことが記事になっています。900年も男社会であったゴンドリエーレ達の仲間に加わった女性第1号です。

Youtube にフランツ・リストの曲『悲しみのゴンドラ』Lugubre gondolaという素晴らしいピアノ曲がありました。
日本ではゴンドラを、森鷗外は《軽舸》、木下杢太郎は《画舫》と訳しています。
  1. 2013/08/24(土) 00:03:59|
  2. ヴェネツィアに関する書籍
  3. | コメント:0
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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