イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: コルネール・デッラ・カ・グランダ館

カジーナ・デッレ・ローゼ館から更に右に進むと右に巨大なコルネール・デッラ・カ・グランダ館が大運河を睥睨しています。R.ルッソ著『ヴェネツィアの館』(1998)の表現は次の如くです。
Corner della Ca' Granda「1532年8月16日の大火で、サン・マウリーツィオのマロンブラ館が灰燼に帰した。キプロス女王の兄弟であったジョルジョ・コルネールがバルトロメーオ・マロンブラから2万ドゥカートで買っていた館だった。日記作家マリン・サヌードは記している。《トロイの街の大火と言えるなら、全て倒壊、岸辺の円柱を残して。もろもろが焼失し、崩壊した》。

この大惨事を引き起こしたのは、キプロス島から届いた大量の砂糖の山を乾燥させるために、最上階で燃やしていた石炭の火だった。誰も気付かぬ内に、屋根裏部屋の乾いた梁の下で燃えるコークスの熱が柱に火を点けたのだった。

《コルネール家が火事だ!》 と大運河で叫び声が上がった。瞬く間にメイン階に火が移った。更に火事は下の階の基礎部分に燃え広がった。砂糖以外に、70の寝台、礼拝堂、廊下に飾られた絵画作品、400スタイオ(約1万5千リットル)の小麦等。

ヤーコポ・サンソヴィーノの建築案による再建は、1533年に始まった。完成は1556年の後、スカモッツィの手によると思われる。コルネール・デッラ・カ・グランダ館を構想するにあたって、サンソヴィーノはヴェネツィアにトスカーナやローマのルネサンスのモチーフを取り入れた。

即ち、広い中庭、渦巻き模様のコーニスの付いた大きな円形窓、渦型装飾を施した大きな桁。またサンソヴィーノ作と思われる井桁があり、それは1824年からサンティ・ジョヴァンニ・エ・パーオロ広場に置かれてる。
[ジョルジョ・コルネールの息子ジャーコモは大火の翌年には礎石を据えさせ、個人住宅としては最大級の物とすることを目論んだということです。]

館は1812年までコルネール家の手にあったが、フランス式民主主義の支持者で最後の末裔ニコロは、デマーニオに売り渡した。内部には調度一式、書籍、絵画その中にはティントレット、ラッファエッロ、ティツィアーノの物が含まれていた。本来の装飾は天井の幾つかに残されている。

オーストリア支配の時代、建物にはオーストリア帝国支庁が置かれていた。イタリア統一後は県庁所在地となっている。」
  1. 2013/11/06(水) 00:04:24|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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