イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたイタリア――ニッコロ・アンマニーティ

先日8月30日の新聞に第70回の《ベネチア映画祭開幕》の記事が出ました。それによりますと、日本からは宮崎駿監督のアニメ『風立ちぬ』が出品されるそうです。審査員には坂本龍一氏が招聘され、その審査員長にはベルナルド・ベルトルッチ監督が選ばれ「私が求めるのは驚きのある作品だ。金獅子賞は非常に重く大切な賞。私の希望を超えるものが受賞すればいい」と期待を寄せているそうです。

遅蒔きながらこの8月末ベルトルッチ監督が10年振りに手掛けた映画『孤独な天使たち(Io e te)』を見ました。私が今まで見たベルトルッチ監督作品と言えば、『殺し』(1962)に始まって、『革命前夜』(1964)、『暗殺の森』(1970)、『ラスト・タンゴ・イン・パリ』(1972)、『1900年』(1976)で、『ルナ』(1979)、『ラストエンペラー』(1987)、『シェルタリング・スカイ』(1990)、『リトル・ブッダ』(1993)等は見ていません。
『孤独な天使たち』『孤独な天使たち』裏この映画(2013)は、友達もいない、自閉症気味の少年ロレンツォが母親に嘘を言って閉じ籠った地下室に、偶々異母姉のオリヴィアが闖入し、あまり良く知らなかった、薬中毒のその姉と地下室という密室で容赦ない関わりを持ち、次第に外の世界への目線が拓けていくという過程が描かれていますが、私にとって『1900年』のイメージが強過ぎるのか、今回の『孤独な天使たち』はベルトルッチ監督のまた一つ違った側面を見たように感じました。
『孤独な天使たち』本この映画の原作『Io e te』。原作者のニッコロ・アンマニーティ(Niccolo' Ammaniti――1966.09.25ローマ~  )について、訳者である、ヴェネツィア大学日本語科で日本語教師をされている中山エツコさんは『孤独な天使たち』(河出書房新社)の《訳者あとがき》の中で、60年代生まれの作家達、カニバリズムの若者達の一人で、暴力と血に塗れたスプラッター作品を書くカンニーバレ(食人族)の一人だと紹介されています。
『Io non ho paura』アンマニーティ・インタビュー 1アンマニーティ・インタビュー2また彼には映画『ぼくは怖くない(Io non ho paura)』(2004年日本公開)の同名の原作[『ぼくは怖くない』(荒瀬ゆみこ訳、早川書房、2002年12月、ヴィアレッジョ賞受賞)]や本書があるように、「実際、《アンマニーティはふたりいる》などとも言われるほどに、著者は主にふたつの対照的な傾向の作品を発表してきている」のだそうです。以下にこの小説から若干の引用をしてみます。

「ぼくは不安で息もできなかった。ぼくは落書きの字や絵でいっぱいの塀に身をもたせかけた。どうして学校へなど行かなければならないのだろう。どうして世界はそういうふうになっているのだろう。生まれて、学校へ行き、仕事をして、死ぬ。そういうのが正しいなんて、いったい誰が決めたのだろう。違うふうに生きることはできないのだろうか。原始時代の人間みたいに。ラウラおばあちゃんのように。

おばあちゃんが子どものころは、家で学校をやった。教師が家まで通ってきたのだ。どうしてぼくも、そういうふうにできないのだろう。どうして、ぼくのことを放っておいてくれないのだろう。どうして、ほかのみんなと同じでなければならないのだろう。どうして、カナダの森のなかでひとりで暮らすことができないのだろう。
……
ぼくは言葉を返せず、頭を低くして黙っていた。いったいぼくにどうしろって言うんだ? 姉貴ですらないんだ。ぼくは彼女のことなど知りもしない。ぼくは誰にもやっかいをかけたりしないのに、どうしてこいつは僕を煩わせるんだ? ぼくの巣のなかにウソの約束をして入りこみ、そして今は出ていかないと言いはる。
……
ぼくはうんざりした仕草をし、恥ずかしがりながらも踊りだした。ああ、これだ。ぼくのいちばん嫌いなこと。踊ることだ。
でも、その夜はぼくも踊った。そして踊りながら、なにか新しい感じが、生きている感じがしてきて、ぼくは息の詰まる思いだった、何時間かしたら、ぼくはこの地下室から出るだろう。そしてまた、すべてが前と同じに戻るだろう。

それでも、ぼくにはわかっていた。あのドアの向こうに世界が待っていることが。ぼくもみんなのひとりのように人と話ができることが。なにかをしようと決め、そしてそれをする。ぼくは出発できるはずだ。寄宿学校に行くことだってできる。部屋の家具を替えることだってできる。……」
 ――ニッコロ・アンマニーティ著『孤独な天使たち』(中山エツコ訳、河出書房新社、2013年2月28日)より
  1. 2013/09/03(火) 12:05:42|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは十数年前。ヴェネツィアには即一目ぼれ。
その結果、伊語勉強のためにヴェネツィアの語学学校に何年間か数ヶ月通いました。
その後もヴェネツィアを訪れるたび、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら書くのが楽しいのです。

*図版はクリックすると拡大されます。

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