イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ブチントーロ船

ヴェネツィア共和国時代、センサの祝日の海との結婚式に活躍したブチントーロ船(Bucintoro, Bucentoro, Bucentorio, Bucentauro 等)は、共和国を滅亡させたナポレオンによって破壊され、現在に残っていません。マルチェッロ・ブルゼガーン著『ヴェネツィアの神話と伝説』(Newton Compton Editore、2007.10.)は、この船について次のような話を語ってくれます。
Bucentoroフランチェスコ・グァルディ画『リードのサン・ニコロを出港するブチントーロ船』カナレット画『センサの日、サン・マルコ広場に帰還するブチントーロ船』[左、『センサの日、海との結婚式のためリード島に向かうブチェントーロ船』。中、フランチェスコ・グァルディ画『リード島のサン・ニコロを出港するブチントーロ船』。右、カナレット画『センサの日、サン・マルコ小広場に帰還したブチントーロ船』]
「これは総督用の船である。金箔や彫刻その他の装飾品で豊饒に飾られた豪華船で、アルセナロッティと呼ばれる造船所の職人衆によって漕櫂(櫂舟)され、総督のお出まし用とか公式の行事の時に使用された。特にキリスト昇天祭の日の海との結婚式で、ヴェネツィアと海との固い絆を、アドリア海の波間に投げる高価な指輪をその確認の印として誓うために総督が波浪を切って進むのは、正しくこのブチントーロに乗船してのことだった。

セレニッシマ共和国は国の力と富を誇示せんがために、一つの船に出来る限りの権威を与えようと、国家の威信を掛けて1177年迄には製作していた。船はアルセナーレで保管され、屋根付きのドックに大切に収蔵されて、重要な式典の時だけ、艤装され、手際よく装飾が施されて進水した。

当然何世紀もの間にはブチントーロ以外の船も使用され、時にはそれに範を取って、それ以上に大きく、派手になった物もあった。法令と町の歴史を語る年代記によって色々の後続する船を再構成することが出来る。

最初のブチントーロは1177年であり、1250年頃の物がその次である。1312年の物、特に1526年のキリスト昇天祭の祝日の物がある。後者二つについては非常に正確な事が伝えられている。

1600年代初頭、使用中の船の状態が極度に悪くなったので、元老院は新造するための予算を計上した。手作りするには7万ドゥカートという巨額が必要とのことながら、将来の1606年5月10日に総督レオナルド・ドナをリード島のサン・ニコロの外海への入口に運ぶことになる船の建造が始まった。

それまでの船は最も熟練した大工達(maragoni)とアルセナーレの船大工衆によって手掛けられたが、舷側は木彫のセイレン像と竜の落とし子像が彫り込まれ、開廊を支えるのは渦巻き状の黄金の円柱と海豚を象った柱、また舳(みよし)は海の怪物達で飾られた。

それを取り壊すことが決められた1719年迄、1世紀以上に渡って使用された。しかしとても美しい物だったので、新造船の装飾用に彫刻等の多くを保存することが望まれた。

最後のブチントーロ船の建造は、職人頭だったステーファノ・コンティの指導の下で1722年に始まった。それは先輩の船よりはるかに大きく(全長35m、船幅7.30m)、ゼッキーノ金貨の金箔で完全に覆われ、新しい、夥しい木彫で飾られた。約40人の船員、1櫂に4人の漕ぎ手で168人の漕櫂手が漕ぎ、アルセナーレの艦隊司令長官が司令を下した。

1796年の総督ロドヴィーコ・マニーンの時が最後の使用で、その時正にナポレオン・ボナパルトがイタリアに侵攻し始めたのであった。1797年5月16日ヴェネツィアを占領した仏軍はアルセナーレに侵入し、ブチントーロ船に襲い掛かった。そして甲板上の物を切り刻んで船を破壊し、サン・ジョルジョ島で燃える物全てを焼尽した。

Prama Hydra と名付けられた船体は、リード港守護の大砲の台座として浮かぶ架台に姿を変えた。これは最終的に1824年壊された。最後のブチントーロ船の現在に残存する物としては、コッレール美術館に保管されているサン・マルコのシンボルとしての黄金の帆である。」
  1. 2013/11/13(水) 00:03:22|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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