イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

哲学に表れたヴェネツィア――ゲオルク・ジンメル

『ローマ帝国衰亡史』を書いた英人エドワード・ギボン(1737~95)は、「……運河という大仰な名前をつけられている悪臭ふんぷんの溝……わたしがこれまで見たなかでも最悪の建物でかざられ、水よりも陸地の多い点だけがみごとな大きな広場……」(鳥越輝昭著『ヴェネツィアの光と影』大修館書店、1994年8月1日より)等ヴェネツィアを腐した言説を残しているそうです。余程印象が悪かったのでしょう。

独人哲学者ゲオルク・ジンメル(1858.09.26ベルリン~1918.09.26シュトラスブルク)に、『ジンメル・コレクション』(北川東子編訳、鈴木直訳、筑摩書房、1999年1月12日)があり、その中に《ヴェネツィア(1907年)》と題したエッセイがあり、読んでみました。
『ジンメル・コレクション』「フィレンツェの、いやトスカーナ全域の館では、外見はその内的意味のありのままの表現のように感じられる。反抗的で、城のような外観をそなえ、石のひとつひとつにまで感じ取られる権力の厳粛な、あるいは華麗な展開、それらすべてが自信と自己責任を背負う人格の表現なのだ。

これに比べるとヴェネツィアの館は、気取った遊び、その一様さからしてすでに人間の個性的性格を仮面で包み隠すひとつのヴェールだ。そのヴェールの襞(ひだ)は自分自身の美の法則にしか服従せず、その背後にある人生の存在は、それを包み隠すという手段をつうじてしかあらわにされない。

内的に真実な芸術作品ならば、どんな空想的で主観的なものであっても、人生を可能ならしめる何らかの様式をかならず表明しているものだ。しかしヴェネツィアの大運河(カナル・グランデ)を船で行く人は、人生がいかなるものであろうとも、すくなくともこのようなものでだけはありえない、と思うのだ。」
……
「フィレンツェが芸術作品のような印象を人々に与えるのは、この町の絵画的な性格が、歴史的には消え失せても理念のうえではそこに忠実に生き続けている人生と、なおも結びつきをたもっているからだ。

ヴェネツィアはしかし作為的な都市だ。……だからこそこうした人生が没落したあと、そこには魂の抜けた舞台映像、歎きのための仮面の美だけが残されたのだ。」
……
「ここでは橋さえも、活力を失っている。普通の都市ならば橋は比類ない効果を発揮する。空間の地点間にたちどころに緊張感と宥和を作り出し、その間の往来を可能にすることによって分離と結合が同じひとつのことであるかのように感じさせてくれる。この二重の機能は橋にそなわったたんなる絵画的な外見に意義深い生命力を与える。

ところがここヴェネツィアではこの橋の二重機能もまた色あせてみえる。街路は無数の橋のうえをとぎれることなく、あたかもすべるように超えていく。橋のアーチがどんなに高くせりあがっていても、街路はそこでほんの一息つくだけで、その連続した歩みを中断することがない。
まったく同じように季節もまたこの都市のあいだをすべりぬけていく。……」
……
「……真の生命の実体や活動から切り離されたこれらの内容は、にもかかわらず私たちの生を作り上げ、それによって私たちの生は内側からヴェネツィアの虚偽に加担することになる。

なぜといって、土台に見すてられた表層、実在がもはや住みついていない仮象が、にもかかわらず自分を完全で実体的なものに見せかけ、あるいは真に体験しうる生の内実のように見せかけるということ、これこそヴェネツィアのもつ悲劇性だからだ。そしてこの悲劇性によって、ヴェネツィアは私たちの世界観の諸形態の比類なき秩序のシンボルとなる。……」
 ――ゲオルク・ジンメル著『ジンメル・コレクション』(北川東子編訳、鈴木直訳、筑摩文庫、1999年1月12日)より

哲学者は何を言わんとしているのでしょう。理解力の脆弱な者は見当はずれの理解に向かうのは必然です。このエッセイは《ヴェネツィア》を比較の対象にした《フィレンツェ》という題で語られた方がベターではないかと思われました。例えば《橋》、(ポンテ・ヴェッキオ)は《橋にそなわったたんなる絵画的な外見に意義深い生命力を与える》が、(リアルト橋)は《活力を失っている。……橋の二重機能もまた色あせてみえる》という比較などよく分かりません。

ヴァポレットで大運河に並ぶ華麗なゴシックやルネサンス様式の館を見やりながら、例えばフィレンツェの街歩きではメーディチの邸宅のごつごつした粗面壁を目の当たりにする度に何故かこの町に拒否されたような思いに捉われたことを思い出します。私には街中の粗面壁が simpatico に感じられず、ジンメルの言う「石のひとつひとつにまで感じ取られる権力」は、「厳粛な、あるいは華麗な展開」ではなく、庶民を寄せ付けない、睥睨する権力の横暴さと思われたのです(メーディチ家は絶対権力者となりますが、ヴェネツィアでは権力は分散されました)。

ヴェネツィアが、他のイタリア諸都市と異なって、傭兵に頼ることなく庶民皆兵で対外的に事に当たった昔があったことが思い出されます。当時はガレー船の漕ぎ手でありかつ兵士であったのはヴェネツィア市民であり、囚人等を使うようになったのはヴェネツィアが落ち目になり始めてからのことだったようです。元々農地を持たなかったヴェネツィア共和国は、飢饉に備えて市民の食糧確保のためには海賊行為にまで及んだというお国柄だったと歴史書にあります。

このエッセイは、平凡社ライブラリー文庫『ジンメル・エッセイ集』(川村二郎訳、1999年9月)にも収載されています。
  1. 2014/02/12(水) 00:02:02|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
  3. | コメント:0
<<2014年のカーニヴァル(4) | ホーム | 文学に表れたヴェネツィア――ヘルマン・ヘッセ(1)>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

カウンタ

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

プロフィール

ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

最近の記事+コメント

カテゴリー

ブログ内検索

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

このブログをリンクに追加する

過去ログ

フリーエリア