イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文学に表れたヴェネツィア――ディエーゴ・ヴァレーリ

ディエーゴ・ヴァレーリ(Diego Valeri――1887.01.25ピオーヴェ・ディ・サッコ(パードヴァ)~1976.11.27ローマ)という作家の『ヴェネツィア・センティメンタル・ガイド(Guida sentimentale di Venezia)』という本をヴェネツィアのファッブリ(Fabbri)通りの本屋さんで見付け、購入しました。
ディエーゴ・ヴァレーリ『ヴェネツィア・センティメンタル・ジャーニー』中身は《Invito》《Rialto》《San Marco》《Il Palazzo》《Piazza, Piazzetta, Molo e Riva》《Canal Grande》《L'altra Venezia》《Pittura》《Laguna》《Congedo》の章に分かれ、ローレンス・スターンの紀行文『センチメンタル・ジャーニー(A Sentimental Journey through France and Italy)』のヴェネツィア版ではないかと読み始めましたが、文章が難しく、著者が描くヴェネツィアのイメージを日本語にすることがなかなか叶いません。《Rialto》の章の冒頭を無理やり和文へと置き換えてみました。

「リアルトとは世界史の中で一つの大事件であり、今日でも世界に鳴り響く一つの名称であるが、要するに目に見えるような形の気高さといったものが染み込んでそれが表出したといった場所ではない。町が一つの市場であり、生き生きとして絵になる演劇的空間であるが、巨大で、威厳のあるといった態のものでは決してない。

(確かに橋という大きな建造物がある。モニュメントのように独りそこに存在し、二つの河岸と運河を背景にして一つの景色を成している。1500年代末になって漸くにして、今日見るような完成を見た。とは言えその時点では、リアルトの繁栄は既にして陰りを見せ始めていたのである。)

鶏肉屋、八百屋、穀物商(biavaroli)、ソーセージ屋(luganegheri)等がこの市場の旦那衆であり、メインのアーケード内外の木製の屋台に商品を並べ揃え、一方広場のテント下は散らかし放題である。

そしてラグーナの青物商は、カメルレンギの建物脇の長い河岸に商品満載の籐で編んだ大籠をペアータ舟から陸揚げしている。更に魚屋は開廊の建物下もっとその奥で、大理石の台に鯛を並べ揃え、鰻を捌いて血塗れの籠に放り込む。

彼らこそ、そうした事とともに生まれてその特質を備え、その仕事に合ったようにこうした場面に登場して溶け込んでいる主人公達である。

その他大勢の庶民が道一杯に右往左往して、祝祭日でもあるかのようにお喋りし、姦しい音を立てている。主婦やおさんどん達は買い物に大わらわ、お年寄りは物の値段を尋ね、仲買人達は小さなバールの入口で大声で喚き合い、少年達は口笛を吹きながら走り回っている。

時に荷物の運び屋が箱の重みに耐えかねて、くぐもった呻き声を上げながら群集を掻き分けて進む。その声は当(まさ)に哲学的瞑想に耽っているかのようである。これこそ正しく人生!
荷物運びイタリアのサイトから借用(サン・モイゼ教会前のサン・モイゼ橋を渡る現代の運び屋さん)
このリアルトの世界は良く知られているように、今日的な、飾らぬ一つの小さなヴェネツィアである。最も愛されている教会は、縮小辞を使う名称――サン・ジャコメット(San Giacometto)――という小さな教会であり、家庭的な愛らしさを持っている。
……
サン・マルコ広場は王宮であり、その海岸はラグーナに向いた素晴らしい大バルコニーである。大運河は絵画と鏡のギャラリーであり、リアルトは町の食料品室といった趣である。ある秋のひと時、野菜市場に黄金色と暗褐色の葡萄、肉色の桃、紫色の茄子、青白色の隠元豆、赤く燃えるようなトマトが溢れ返った。げに輝くような、芳香馥郁たる菜園である。 ……」
 ――ディエーゴ・ヴァレーリ『ヴェネツィア・センティメンタル・ガイド』(Passigli Editori、1997、古い版の新版)

ディエーゴは長い間ヴェネツィアに住んだそうです。ドルソドゥーロ区 Fondamenta dei Cereri の2448D に住んだので、建物に次の碑があります[Diego Valeri/ Poeta/ 1887-1976/ Qui c'e` sempre un poco di vento/ a tutte l'ore di ogni stagione/ un soffio almeno un respiro/ qui da tanti anni sto io ci vivo/ e giorno dopo giorno scrivo/ il mio nome sul vento/ 1975/ Comune di Venezia 1975]
ディエーゴ・ヴァレーリディエーゴ・ヴァレーリの家 『ヴェネツィア・センティメンタル・ガイド』中面「ここにはいつも風がある/ どの季節のどの時間にも/ 一吹きでさえ、それは安らぎ/ 幾とせここで居、住している/ そして、日に日を継いで書いている/ 風の流れに自分の名前を/(1975) 1979年ヴェネツィア市」[《風通り(Cl.del Vento)》という名前の通りについて、アンリ・ド・レニエが歌っています。次をご覧下さい。《アンリ・ド・レニエ》――ザッテレ運河通りの最左端から北のサン・バゼージョ(S.Basegio=伊語Basilioという古い一家で同名の教会を建立)広場へ抜ける通りです]
上の本には右のような頁があり、Youtube に次のようなビデオがあります。次をご覧下さい。 サン・マルコ鐘楼崩壊と再建
  1. 2014/04/16(水) 00:01:36|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手を知ったヴェネツィアを先ず訪れて、イタリア各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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