イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

ヴェネツィアの建物: ピザーニ・グリッティ館

サンタ・マリーア・デル・ジーリオ広場のトラゲット乗り場の右隣にはピザーニ・グリッティ館が現れます。R.ルッソ著『ヴェネツィアの建物』(1998)はこの館について次のように述べています。
ピザーニ・グリッティ館「今日においてもかの有名なグリッティ・パレス・ホテルであるピザーニ・グリッティ館には、アーネスト・ヘミングウェイが数ある長期のヴェネツィア滞在中、この豪華なホテルを愛した客として、その名を冠したスイートルーム(続き部屋)が存在する。

この米人作家以外にも、ピザーニ・グリッティ館の部屋は重要な作家を招いている、時いまだスザンナ・ヴェツラー男爵[オーストリア貴族]夫人の持ち物であった時代のことである。1851年5月男爵夫人は、ジョン・ラスキンとその若き妻エフィー・グレイを迎えた。ラスキン夫妻にとっては2度目のヴェネツィア滞在であり、ジョンは著書『ヴェニスの石』の執筆中のことであった。

エフィーはヴェツラー男爵夫人その人や《very curious old Lady》のエッセンスの詰まったような馥郁たる部屋に感動し、大変心地よい思いにさせられた。ピザーニ・グリッティ館で男爵夫人はヴェネツィアの貴族階級の集まるパーティや舞踏会を催し、その有名な邸宅に古き良き華やかさを蘇生させたのだった。

このゴシック様式の建物は14世紀に遡り、最初はピザーニ・ダル・バンコ(banco=銀行)というピザーニ一族の最も富裕な一家の所有であったが、その建物のファサードは《プット(子供)達が気儘に戯れる姿や、中央にはバッコスとウェヌス、マルス、メルクリウスの4人の平凡な図像》を表示するジョルジョーネの絵画やフレスコ画で飾られていた。残念ながら外部に描かれたその絵は、今日跡形なく消滅してしまった。

1814年、館はカミッロ・グリッティが購入し、グリッティ家の手に渡った。カミッロの祖母コルネーリア・バルバロ・グリッティはアウリスベ・タルセンセという名の18世紀アルカディア派の閨秀詩人であった。非常なる佳人であり、ユーモアに対する才鋒覆い難く、精彩を放つ精神生活を送った。また詩人アンジェロ・マリーア・バルバロの姉妹であり、カルロ・ゴルドーニ(彼はコメディ『Cavalier Giocondo(騎士ジョコンド)』を彼女に献呈した)の友人であったが、当時の文学者達のお気に入りのサロンを開いていた。

コルネーリアの息子であり、この館を入手したカミッロの父、カミッロ・ベルナルディーノ・グリッティもまた詩を愛し、彼に敬意を表して頌歌を書いたジュゼッペ・パリーニのような文学者とも友人だった。

グリッティ一族のオリジンは大変に古い。1104年ジョヴァンニ・グリッティとかいう人物はアークリ(カラーブリア州コゼンツァ県の町)での戦の時、最初のキャプテンとなった人物であり、もう一人のジョヴァンニは、1360年コルフ(現ケルキラ)島の大司教に選ばれた。

アンドレーア・グリッティ(肖像画が今日ワシントンのナショナル・ギャラリーに収蔵)は、1500年代の総督中、最も傑出した人物だったが、一族の中でも最も著名である。若かりし頃はコンスタンティノープルの商人、カンブレー同盟戦争中の指揮官、続いて共和国外交官(大使)となった。
ティツィアーノ画『アンドレーア・グリッティ像』[ティツィアーノ画『アンドレーア・グリッティ像』。サイトから借用] 1800年代、グリッテイ家はヴェツラー男爵夫人に大運河に面したこの館を売却した。続いて館はホテルに模様替えされた。」
 ――R.ルッソ『ヴェネツィアの建物』(1998)より

PCを見ると次のような記事もあります。
「《グリッティのテラスで腰を下ろして寛いでいる時ほど快い時は、人生の中ではさほどない……》と作家ウィリアム・サマーセット・モームは、ホテルの最初の顧客として書いた。米人映画監督ウッディ・アレンは妻スーン=イーとハネムーン初夜を偶々ここで過ごした。数ある著名な顧客の中には、特にフランシス・スコット・フィッツジェラルドとヘミングウェイがいる。」

[このホテルは15ヶ月の工事を経て、全面的に改築され(建物外部は基本的に変更不可)、今年1月31日再オープンしたとLa Nuovaの記事にありました。]
  1. 2013/12/18(水) 00:01:09|
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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