イタリア、とりわけヴェネツィア(Italia, soprattutto Venezia)

ヴェネツィア偏愛、時には脱線。

文芸評論に表れたヴェネツィア――鳥越輝昭(1)

数年前神奈川大学の市民講座で、鳥越輝昭先生のヴェネツィア話のシリーズを聴講したことがあります。映画『旅情』をまくらに、話の展開は多岐に渡りました。先生の著書にはヴェネツィアに関するものが3冊あります。
鳥越輝昭『ヴェネツィアの光と陰』先ずは『ヴェネツィアの光と影』(大修館書店、1994年8月1日)。ヴェネツィアについて記述した作家らが色々に取り上げられています。バイロンを皮切りに、オトウェイ、ラッドクリフ、シラー、シェイクスピア、スタンダール、コーリャット、モリソン、ラセルズ、アディソン、ギボン、ド・ブロス、モンテスキュー、ゲーテ、ベックフォードと多彩です[著書中作家達から引用されている箇所は相当部分、本邦初訳と思われます]。

その内、先ず最初に述べられているバイロンについては、章を改めて何度となく取り上げられ、日本では彼の訳された書は比較的目にすることが出来ますので、比較しやすいという意味で彼のことを中心にこの著者から引用してみます。

「十九世紀以後の文人がヴェネツィアの美を語ったものには、およそ三種類ある。ひとつはヴェネツィアの絵画的な美しさをいうもの。たとえば、一八三四年にヴェネツィアをおとずれたフランスの女流作家ジョルジュ・サンドが《世界中でヴェネツィアほど美しいものはない》と、この町の美しさを讃えているが、その美しさとは、《まっ青な空の下で、澄みきった水のなかに据えられている、白大理石づくりのイスラム風の建物》が生み出す効果である(書簡、一八三四年)。

もうひとつは、ヴェネツィアの非現実的な美しさをいうもので、たとえば旅行記作家のフランシス・トロロップは、それを《白昼夢のような美しさ》と表現している(『イタリア訪問記』一八四二年)。そしてもうひとつが、拙文の冒頭に引用した[バイロンを指す]ように、ヴェネツィアの<滅びの美>をいうもの。三種類の美はいずれも、ヴェネツィア史にひとつの大事件がおこらなければ、一般には感じられることのなかったものである。大事件とは、いうまでもなく、ヴェネツィアという独立国が消滅したことである。」
……
「バイロンは手紙のなかで、荒れはてた町のようすをみても《がっかりしていない》という。《ぼくは、これまでずいぶん長いあいだ荒廃したものになじんできたから、荒れはてたものを見てもいやだとは思わない》というのである。あたらしい感受性の持ちぬしの来訪。荒廃の都ヴェネツィアは、その<滅びの美>を歌うのにふさわしい詩人をえたのである。

全ヨーロッパの人気詩人だったバイロンの歌うヴェネツィア挽歌によって、荒廃の都ヴェネツィアは詩人たちのあこがれる<夢の都>に変身する。シェレーもここをおとずれ、キーツもこの町の名を口にして死に、ミュッセもこの町をおとずれて詩にうたう。

……バイロンは《その文学をとおして、ヴェネツィアを新しいかたちに変えてヨーロッパに贈ったのだ》といわれるとおりである。観光の都ヴェネツィアは、バイロンの詩行から生まれた。」
……
「バイロンが作品のなかに表現したヴェネツィアの四つの要素にかんして、<不気味さ>についてはオトウェイとラッドクリフとシラーとのなかに、<美しさ>と<陽気さ>とについてはラッドクリフとシラーとのなかに、また<圧政>についてはオトウェイのなかにみられる、というぐあいである。

バイロンの独創はおそらく、ラッドクリフとシラーとのなかにすでにあったヴェネツィアの<美しさ>についての感覚に、<滅びの美>の感覚をつけくわえたという一点だけである。

だがここで忘れてならないのは、バイロンが活躍していた時代のなかでバイロンの占めていた位置である。その位置については、《シェイクスピアをべつにすれば、バイロンはイギリスの外で、おそらくほかのどのイギリス詩人よりも大きな影響をあたえただろう》といわれ、また、《ナポレオンをぬきにして、十九世紀のヨーロッパ史を考えることがおそらく不可能であるように、バイロンをぬきにして十九世紀のヨーロッパ文化を考えることは不可能だ》ともいわれるほどである。

バイロンは、なによりもイギリスの国境と文化とを越えて、ヨーロッパ人として高く評価され、スペイン・ロシア・フランス・ドイツ・イタリア・ギリシアのいずれにおいても、ロマン主義運動を形づくる大きな力となったし、またロマン主義運動に連動したナショナリズムの希望をかきたてる大きな力でもあった。

たとえばイタリアの統一をめざして活動した革命家ジュゼッペ・マッツィーニは《どれほど多くのものをバイロンに負っているかを、<民主主義>はいつの日かかならず思いだすだろう》と書いた。……」
 ――鳥越輝昭著『ヴェネツィアの光と影』《第二章 バイロンと先行の四人の文学者》(大修館書店、1994年8月1日発行)より
  1. 2014/01/11(土) 00:02:45|
  2. ヴェネツィアに関する言葉・文学
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ペッシェクルード(Pescecrudo)

Author:ペッシェクルード(Pescecrudo)
初めてイタリアに行ったのは1994年、ヴェネツィアには即一目ぼれ。その結果、伊語会話勉強のためにヴェネツィアの語学学校に数年間の間、何ヶ月にも渡り通いました。
その後勝手知ったヴェネツィアを先ずは訪れて、各地にも足を伸ばしています。
東京に住んでいるので、憧れのヴェネツィアについて何かしら触れているとヴェネツィア気分で楽しいのです。

*図版・写真はクリックすると拡大されます。

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